2-5 彼女の夢

「料理はやっぱり、両親が忙しいから?」

「……はい。元々のきっかけはそうでした。でも、料理のレパートリーが増えると嬉しくて、いつの間にか趣味になってたんです。でも、特に好きなのはお菓子作りなんですけど」

「へぇ。お菓子作りって分量とかちゃんとしなきゃいけないから難しいイメージがあるよ。凄いね」

「全然凄くないですよ。ただ、甘いものが好きなだけです」


 言って、花奈はえへへと微笑む。

 甘いものが好きだと笑う彼女の姿は、一見すると年相応の中学生らしい。だけど知世には大人っぽく見えて、眩しく感じてしまう。


「あの、知世さん。これはまだ誰にも言ったことがないんですけど」

「ん、何々。お姉さんに教えてくれるの?」

「はい」


 ふふっと笑みを零してから、花奈は告白する。



「私、将来はパティシエになりたいんですよ」



 ……と。

 瞬間、知世の鼓動はドクンと跳ねた。

 そっか、花奈ちゃんには夢があるんだ。――という自分の心の声が、どうしてか知世を動揺させる。

 花奈との共同生活が始まって、柚木園雫と出会って、推し活計画が始まって。自分も少しは前に進めたと思ったのに。

 夢という言葉は、自分にとってあまりにも大きな壁なのだと気付いてしまった。


「知世さん?」

「あぁ、ごめんね。花奈ちゃんがあまりにも眩しくて」

「そんなことないです。私、ただのオタクですから」

「……私もそうかな?」


 思わず訊ねる。

 鼓動はまだざわついていた。これで「そんなことないです」と言われてしまったら、きっと知世は落ち込んでしまうだろう。

 非常に面倒臭いことこの上ないのだが、柚木園雫に出会っても尚「おしゃれなお姉さんな印象です」みたいなことを言われてしまったら、『空っぽ』な自分からまったく変わっていないことになってしまう気がして。



「当たり前じゃないですか。明日もおとな木さんとしてよろしくお願いしますっ」



 だからたった今、花奈の無邪気な返答に救われたのだ。

 情けないし、恥ずかしい。だけど心は馬鹿みたいに清々しくなっていて、苦笑を零す。


「うん、よろしくね。花奈ちゃん」


 よろしく。

 そう言い合える相手がいるだけで、自分は一歩ずつ前に進むことができる。

 雛倉花奈という少女はあまりにも眩しくて、時に胸がちくりと痛んで――だからこそ一緒に歩みたいのだと、知世は強く感じ始めていた。



 ***



 翌日の十二月三日、日曜日。

 今日は推し活計画その二、「柚木園雫の出演作品のコラボカフェに行く」を実行する日だ。


 コラボ作品は昨日グッズも購入した『百合子さんの悩みごと』。

 場所は中野で、事務所を移転したアニメ会社のスタジオ跡地にできたコラボカフェらしい。『百合子さんの悩みごと』もそのアニメ会社で制作された作品のため、大々的にコラボされているということだ。


「えっ、ここ……で合ってますか?」

「いや、合ってるはずだけど」


 きっとスタジオ跡地である所以ゆえんなのだろう。

 コラボカフェの扉を開けるや否や下駄箱が目に飛び込んできて、二人して首を傾げ合ってしまう。しかしスリッパを履いた客らしき人が階段を下りてきたのを確認して、ようやくここで大丈夫なのだと安心する。どうやらカフェは二階にあるようだ。


 スリッパに履き替えて店内に入ると、まずは雫が演じる桃ヶ池百合子を始めとしたキャラクターの等身大パネルがズラリと並んでいるのが目に飛び込んでくる。

 モニターにはアニメ映像が流れ、壁には原画が飾られ……一瞬で『百合子さんの悩みごと』一色に染まってしまったようだ。


 カウンター席に案内され、オーダーシートで注文をする。

 ちゃんとお腹は空かせてきた。だからしっかりとフード、ドリンク、デザートを頼んだ。だって百合子さんはアフタヌーンティー部に所属しているのだ。

 ドリンクはフレーバーティー、デザートはスコーンやマフィン、ケーキなど。メニューを眺めているだけで心が躍ってしまうラインナップで、事前に頼むものを決めていなかったら長らく悩んでしまっていたことだろう。


「お願いします。……あ、パネルとかの写真を撮っても大丈夫ですか?」


 オーダーシートを店員に渡す際に訊ねると、快く了承してくれた。

 こちらのそわそわ感が伝わってしまったのか、微笑ましいものでも見るような顔をされてしまった。少し恥ずかしい。


「知世さん、ありますよ。サイン」

「…………本当だね」


 百合子さんのパネルには「ティータイムを満喫してね」というメッセージとともに雫のサインが書かれている。どうやらメインキャストでコラボカフェに訪れたらしく、「サインも書いたよ」とSNSに投稿されていたのだ。


「よし、こんな感じかな」

「あっ、私もそうやって撮りたいです」

「……これぞ推し活って感じだよね」

「ですねっ」


 昨日買ったばかり雫のアクリルスタンドとともにパネルの写真を撮る。それから原画をじっくりと眺めて席に戻ると、ちょうど良く料理が運ばれてきた。


 フードは知世が『お弁当風プレート(百合子さんが毎日作っている豪華な弁当をイメージしたプレート)』、花奈が『あまあまカレー(百合子さんが誰に対しても甘い+甘口カレー好きが由来)。ドリンクは知世が『ピーチティー(百合子さんのお気に入り)』、花奈が『桜風味のミルクティー(アニメにも登場)』。デザートは知世が『桃のショートケーキ(原作漫画に登場)』、花奈が『百合子の手作り風マフィン(チョコペンで「召し上がれ」の文字付き)』。

 こんなにもテーブルの上が賑やかになることがあるのかと思うくらい、すっかり百合子さんワールドに染まってしまった。

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