2-4 今更な気付き

「知世さんは円盤って買いますか?」

「円盤……? あぁ、CDとかの話か。ベストアルバムを買おうと思ってるよ」


 オンリーショップ限定の「柚木園雫アクリルスタンド」をカゴの中に入れてから、CD・BDコーナーの前に移動する。


 CDを買うなんて何年振りなのだろう。

 今まで特定の推しはいなかったし、音楽はサブスクリプションで聴くだけだった。百曲以上ある雫の楽曲もサブスクで配信されているし、曲を聴くだけならわざわざCDを買う必要はないのかも知れない。


「一枚くらいはCDを手元に置いておきたいと思って。だったらやっぱりベストアルバムかなって。特典映像にMV集も付くみたいなんだ」


 だけど知世は自然な動作でベストアルバムを手に取っていた。

 ただそれだけで、おとな木さんへの第一歩を踏み出せたような気分になってしまう。


「ん、これは……」


 次に書籍コーナーへと目を移す。

 出演アニメの原作漫画やライトノベルはもちろんのこと、写真集やエッセイ集、自叙伝などが並べられている。


「こんなものもあるんだ」


 そんな中、知世が注目したのはアーティストスコアブックだった。つまるところ楽譜であり、柚木園雫の代表曲が集められているようだ。


「あれ、知世さんってピアノ弾けるんですか?」

「……まぁ、それなりにはね。高校生まではピアノ教室に通ってたよ」

「わっ、凄いです……っ」


 花奈の瞳が興味津々に輝く。

 気のせいだろうか。彼女の視線から期待の文字が滲み出ていてるようで、知世は苦笑を零す。別に知世はピアノコンクールで名を馳せていた訳ではないのだ。強いて言うならば、中高生の頃に合唱コンクールの伴奏を任されていたくらいだろうか。

 結局音大の道に進むこともなかったし、ピアノから離れて一年ほどが経ってしまった。


(まぁでも、せっかくだしね)


 ピアノのアプリで弾くことくらいならできるだろう。

 そう思ってアーティストスコアブックをカゴの中に入れると、花奈の表情は当然のように輝きを増していた。



 ***



 声優雑誌に、キャラクターグッズに、雫のアクリルスタンドに、CDに、アーティストスコアブックに……。

 想像以上に大量の買いものを済ませたあと、知世は花奈とともに大宮へと戻った。せっかく秋葉原まで来ただからもう少し散策したかったが、知世にはアルバイトの予定があったのだ。


 ちなみに、知世のバイト先はファミレスのホールスタッフである。

 初めはキッチン希望だったのに気付けばホール担当になっていた。ピアノが弾けるくらいに手先は器用なはずなのに、料理になると何故あんなにも不器用になるのか。まったくもって謎である。



「ただいま」


 午後八時すぎ。

 知世がコンビニ袋をぶら下げながら玄関のドアを開けると、ふわりとクリーミーな香りが漂ってきた。花奈には「今日は遅くなるから、悪いけどお弁当か何かを買って食べておいてね」と伝えておいたはずだ。

 もしかして、一緒に食べようと待っていてくれたのだろうか。


「ごめん花奈ちゃん。待っててくれた…………の」


 手を洗ってから部屋の中に入ると、知世の言葉は自然と途切れてしまった。

 花奈と目が合う。彼女は見るからに苦さに溢れた笑みを零していた。いったい何故、と知世は思う。


「花奈ちゃん、これって」

「ごめんなさい! 迷惑かなって思ったんですが、私も晩御飯が作りたくて……それで」

「何言ってるの。怒ってるとかじゃなくて、むしろ逆だよ」


 言いながら、知世は改めてテーブルに並べられた料理に視線を向ける。

 花奈が「晩御飯を作りたくて」と用意してくれたのはクリームシチューだった。

 付け合わせはフランスパンで、知世の勘違いでなければガーリックトーストだろう。更には彩り豊かなサラダも添えられていて、まるでおしゃれなレストランにでもやってきたようだ。


「……花奈ちゃん、天才?」

「そ、そんなことはないです。でも、その…………本当は私、料理を作るのが好きで」


 遠慮気味に呟き、花奈は目を伏せる。


「…………っ」


 知世はそっと息を呑んだ。

 気付いたのだ。こっちが気を遣うあまり、むしろ花奈に気を遣わせてしまっていたのだと。花奈は料理が好きで、きっと知世にも振舞ってみたいと思っていたのだろう。



 ――あの、私が料理当番の日があっても良いですよ……?



 共同生活が始まった日、花奈は恐る恐るといった様子で提案してくれた。

 なのにあの時、知世は「甘えてくれて良いんだよ」なんて言葉を返してしまったような記憶がある。


(馬鹿か私は……)


 あの時の自分を思い返すと眉間にしわが寄りそうだ。

 だけど今は花奈の作ってくれた手料理がある。しかも知世がバイトから帰ってくるのを待っていてくれたようで、花奈もまだ食べていないらしい。

 つまり、過ぎたことをうじうじ悩んでいる場合ではないということだ。


「ごめんね、ありがとう」


 知世は囁くように言い、花奈の手を握り締める。

 すると花奈は視線をあっちこっちに動かした。感情を行き場に困ってしまっているのだろう。

 やがて花奈は、


「……ぁい」


 とよくわからない頷き方をし、ボッと顔を赤くさせた。


「ぁい?」

「な、何でもないです。それより早く食べましょう。冷めちゃいますよ?」

「だね」


 ついつい微笑ましい気持ちになってしまうが、これ以上彼女をからかったら不貞腐れてしまうかも知れない。

 素直に頷き、花奈の向かいに腰かける。


「…………美味しい」


 いただきますと手を合わせてから、まずはシチューを口に運ぶ。

 すると噓偽りない言葉が滑り落ちた。思えば、知世は市販のルーで作ったクリームシチューしか食べたことがなかったような気がする。てっきり花奈の作ったシチューはルーを用いたものだと思っていたし、それでも充分凄いことだと思っていた。


 だけど何故だろう。

 これってルーは使ってないの? と聞くことさえ野暮に思えてしまった。


「あの……。実はホワイトソースから手作りしてるんです」

「……花奈ちゃん、天才?」

「それ、さっきも聞きました」

「思ったことははっきりと言わないと。変に気を遣うのは良くないなーって思ったからさ」

「そ、ですか」


 さっきから花奈の顔が赤いままだ。

 だけど知世は気付いている。恥ずかしさに紛れて、単純な嬉しさも口元を緩みに表われているということに。

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