3-5 単なる友達

 あれから宍戸兄妹とも顔を合わせて軽く会話をしてから、花奈とともに帰路についた。


 ――今日は楽しかったな。


 と、知世は素直に思う。

 電車に揺られている最中には亜矢乃から「柚木園雫さん、素敵な人だねぇ」というメッセージも届いた。どうやらイベントを見ていたらしい。まったりとした話し方に親近感を覚えたというのと、「曲も聴いてみるね」というメッセージに心がぽかぽかするのを感じる。


 ただ嬉しかった。

 少しずつ変わっていく景色がこんなにも心地が良いなんて知らなかったから。



 だけど知世は気付いていた。

 イベントの余韻でふわふわしている知世とは違って、何故か元気のない様子の花奈がいることに。

 一つひとつの楽しいことが終わってしまって、切ない気持ちになっているのだろうか?

 確かに推し活計画の五分の三は今日で終わってしまった。

 だけどまだまだ楽しいことは残っているし、むしろここからが本番といっても過言ではないのだ。

 聖地巡礼は宍戸兄妹と一緒に行った喫茶店以外にも行きたいし、せっかくなら遠出をしたいと思っている。ライブは物販に並んでグッズを買ったり、パネルを撮ったり、開場時間まで宍戸兄妹と過ごしたり……。考えるだけで心が躍ってしまう。


「花奈ちゃん、今度はどのアニメを観よっか」


 だから知世は、自分の部屋に帰ってくるなりそう提案していた。

 寂しい気持ちは新しいわくわくで埋めてしまえば良い。知世も花奈も、雫についてはまだまだ知らないことばかりだ。いくらでも楽しいことに手を伸ばすことはできる。


 ――だけど。


「知世さん、私」


 今はそういう場面ではなかったようだ。

 フローリングの床にぺたんと座り込み、花奈はゆっくりと知世を見つめる。本当だったら「そんなところに座ったら冷たいよ」と言うところだ。だけど言葉が詰まってしまう。


「本当は寂しいんです」


 だって、花奈の瞳が潤んでいる。

 今にも溢れ出てしまいそうだが、必死に堪えているようにも見えた。こんなに時まで我慢しなくて良いのに、と思いながら知世は彼女の肩を抱く。


「大丈夫。ゆっくりで良いからね。……私じゃ頼りないかも知れないけど。でも、迷惑だなんて思わないから」

「本当、ですか?」

「うん。だからほら、こっちにおいで。花奈ちゃんが風邪引いちゃったら晴子さんに怒られちゃうよ」

「…………お母さん」


 知世が叔母の名前を出すと、花奈はより一層寂しそうな顔になりながらぼそりと呟いた。もしかしてとは思っていたが、やはり花奈の言う「本当は寂しい」は母親に対するもののようだ。


(そりゃ、そうだよね)


 花奈の手を引き、ビーズクッションの上に座らせる。

 彼女の表情は陰ったままだ。


「わかるよ。一ヶ月もお母さんの離れ離れになるなんて、私が中学生の頃だったら考えられないから。……でも大丈夫。この生活もあと半月くらいで終わるからね」

「えっ」

「ん、どうしたの?」

「そ、そうじゃない……です。知世さんとの共同生活はむしろ終わって欲しくないくらい楽しくて。……だけど、その」


 困ったように視線を彷徨わせてから、花奈はやがて覚悟を決めたように知世を見る。

 何故だろう。

 一見すると不安定に感じるはずなのに、どうしてか力強さも感じてしまって。知世はただ、じっと彼女の瞳を見つめてしまう。


「私がこうなってしまったのは、今日のリリイベがきっかけだったんです」


 やがて花奈はゆっくりと話し始める。

 それは公開録音のお悩み相談のコーナーの時のことだった。中学生の恋の悩みに対する雫の言葉が頭から離れなかったのだという。


 確かに知世の記憶にも残った場面だった。というよりも、その時の花奈の真剣な表情が忘れられないという感じだろうか。「きっと花奈にも片思いの相手がいるのだろう」なんて思って微笑ましく思った覚えがある。


 しかし、どうやら知世は見当違いなことを考えていたようだ。


 ――少しずつ本音を言ってみると良いんじゃないかな? 今まで言ってなかった趣味とか、好きな食べ物とか。そこから新しい共通点が見つかるかも知れないし、だんだん関係性も変わっていくかも知れない。


 雫の回答を口にしながら、花奈は弱々しい笑みを浮かべる。



「私、本当はもっとお母さんとお父さんに自分のことを話したいんです。……でも、二人とも忙しいからって、遠慮しちゃうんです」



 か細い声で、花奈はきっと両親にも告げたことがないであろう本音を漏らす。

 花奈が遠慮がちな性格であることは知世も薄々気付いていたことだった。大きなきっかけは初めてクリームシチューを作ってくれた時だろうか。本当は料理好きなのに「迷惑かも知れない」と言い出せなかった彼女の姿を思い浮かべると、改めて胸がきゅっと痛んでしまう。


「……遠慮しちゃうのは、知世さんに対しても同じですけど」

「それはないと思うけど」

「…………?」

「ふふっ。花奈ちゃん、ハテナでいっぱいっていう顔だね」


 唖然とする花奈に、知世は小さく微笑む。

 花奈の気持ちも確かにわかる。だけど自分達は雫と出会って、好きになって、二人で夢中になって駆け抜けてきた。

 少なくとも、おとな木さん同士でいる瞬間は遠慮の文字はなかったはずだ。


「でも、私……知世さんに対して敬語で話してしまうんです。少し前まではそんなことなかったはずなのに」


 言って、花奈はシュンと眉根を寄せる。

 敬語。思えば知世も初めは花奈が敬語で驚いたものだ。

 でも今はどうだろう? 前みたいに友達口調で話して欲しいと思っているだろうか?


「花奈ちゃんはどうしたいの?」

「それは……も、もちろん、こういう風に喋りたい……よ?」

「へぇ。凄く喋りづらそうだけどね?」

「……うぅ」


 俯き、困り果てる花奈。

 少し意地悪なことをしてしまっただろうか。でもこれではっきりした。口調が変わっても変わらなくても花奈は花奈だということが。


「口調なんて関係ないでしょ」

「え……?」

「私は花奈ちゃんのこと、同じものを見て楽しいって言い合える特別な相手だって思ってるよ。そこに無理矢理ぎこちなさを混ぜなくても良いと思う。今の花奈ちゃんの当たり前を疑問に思う私じゃないよ。……だってもう、友達でしょ」


 私は何を言っているのだろうと思う。

 雛倉花奈は従妹だ。それ以上でも以下でもないと思っていたはずだし、共同生活というきっかけがなければその印象のままだったのだろう。


 だけど今は、従妹以前に、大学生と中学生以前に、単なる友達だ。

 だから知世は恥ずかしげもなく笑うのだ。

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