4-7 予感

 三人で過ごした時間は、先ほど晴子が「特別な日」と言っていたように、かけがえのないものとなって知世達の心に溶けていく。


 晴子に教えられ、『あなたの忘却になりたい』のキャラクターパネルを撮ったり。晴子に近くのうなぎ専門店へ連れていってもらったり。お土産に饅頭を買ったり。そうこうしているうちに日は暮れて、鳥居の奥で光輝く夕陽を撮影したり。

 親子にとっての温かな時間と、自分の純粋に楽しい気持ちが混ざり合う。車で移動している時間でさえも知世には眩しく感じられた。


 あぁ良かった、と思う。

 まだエンドロールには早いということはわかっている。

 この共同生活のラストを飾るのは武道館ライブであって今じゃない。だけどどうしても気持ちが満たされてしまって、知世はふうっと息を吐いた。


「知世さん、どうしたんですか?」


 助手席に座る花奈がこちらを向く。

 後部座席にいるのだからこの腑抜けた表情はバレないと思っていたが、そういう訳にはいかなかったらしい。


「何でもないよ」


 と、誤魔化す言葉もちゃんと言えていたかどうか。

 それすらはっきりしないままに、知世はうとうとと瞳を閉じていた。



「知世ちゃん、着いたわよ」

「…………んぇ……っ、は、はい!」


 驚いたことに、気が付いた時には見慣れたマンションが目の前にあった。

 晴子の声でようやく目覚めた知世は、反射的に背筋を伸ばす。慌ててよだれが垂れていないか確認してから、たまらず目を逸らした。


「す、すみません。……寝てしまいました、ね」

「良いのよそんなの。それより、あの子の……いえ、私達のために、本当にありがとうね」

「それは、こちらこそ……なんですよ。花奈ちゃんとの共同生活がきっかけで、私も前に進むことができたので」


 ちらりと花奈の様子を確認しながら、知世はまっすぐな言葉を零す。

 花奈はすでに荷物を持って車の外に出ている。寒い中であまり待たせるのも悪いが、彼女の母親である晴子に感謝を伝えるなら今しかないと思った。


「花奈ちゃんは従妹ですけど、私にとっては友達でもあるんです。だから、これからもよろしくお願いします」

「そう。……ところでその友達の誕生日は覚えてる?」

「えっ」


 突然の問いかけに、知世は間抜けな声を漏らす。

 そして気付いた。答えは「いいえ」であるということに。

 今までの花奈との関係は時々会う従妹だったのだ。年齢はまだしも、ちゃんとした生年月日を覚えているという訳ではなかった。


「……その、冬生まれだっていうのは何となく覚えているんですけど」

「花奈の誕生日ね、今月の二十五日なのよ」

「!」


 クリスマス。

 しかも武道館ライブの翌日だ。


「あ、ありがとうございます。助かりました。……危うく大事なイベントをスルーしてしまうところでした」

「今年は一緒に過ごすことができないから。だから誕生日もクリスマスも、知世ちゃんに託しても良いかしら?」

「はい、もちろんです」


 じっと晴子を見据えながら、知世は頷く。

 すると、我慢の限界と言わんばかりに花奈が車のフロントガラスに迫ってきた。「ごめんごめん」と思いながら、知世は慌てて車から出る。


「送ってくださって本当にありがとうございました」

「運転は好きだから、こっちも良い気分転換になったわ。……花奈」

「な、なぁにお母さん」

「迷惑だなんて思わないから、作った料理の写真とか遠慮なく送ってきても良いのよ」

「……それ、お母さんが見たいだけでしょ?」

「まぁ、そうとも言うわね。……それじゃ、私は戻るから」


 片手を上げ、無理矢理会話を切り上げる晴子。

 花奈は小さく頬を膨らませながらも、どこか嬉しそうに母親の姿を見つめていた。



 ***



 部屋へと戻り、知世は小さく息を吐く。

 暖房がついていない部屋はまだ肌寒く、吐く息は白かった。すぐさま手洗いを済ませ、エアコンのスイッチを入れる。


 時刻は午後八時すぎ。

 まだ晩御飯は食べていないが、サービスエリアで弁当を購入していた……らしい。思った以上に爆睡してしまって気付けなかったが、晴子が気を利かせて知世の分も買ってくれていたようだ。


(このお礼もまた言っておかないと)


 若干の申し訳なさを感じつつも、知世は口元を綻ばせる。

 花奈はもちろんのこと、晴子ともこの数時間で距離が縮まったような気がして、知世の心はほっこりとしてしまった。


「花奈ちゃん。とりあえずお弁当食べよっか」


 暖房が効くまではブランケットに包まっていたかったが、もう夜も遅い。今週いっぱいまでは知世も花奈も学校があり、まだ冬休みに突入している訳ではないのだ。

 だから早く晩御飯を食べて、お風呂に入って、寝なくては。


 ――そう、思っていたはずなのに。


「…………花奈ちゃん?」


 花奈の返事がない。

 それどころか、彼女はその場に突っ立っていた。手にはスマートフォンを持っていて、花奈は画面をじっと見つめている。


(いや、違う。……スマホを見てる訳じゃ、ない……?)


 ほんの一瞬だけ、知世は「もう。スマホを見るのはあとでね」と注意しようとした。

 でも気付いてしまう。

 花奈はスマートフォンの画面を見ているようで、どこか遠くを見つめているということに。


「あ、莉麻ちゃんと咲間くんに今日のことを報告してるとか?」


 何故だかわからないけれど、心がざわざわする。

 だから知世はわざとらしく語尾を上げて訊ねてみたのだが、それでも花奈の反応がなかった。


 嫌な予感が加速する。

 具体的に心当たりがある訳ではないのに、鼓動が速まっていく。「どうして」と「どうしたの」で頭の中が埋め尽くされていく。次の言葉を発することさえ、勇気のいることなのではないか? と思ってしまう。

 だけど知世は、意を決して口を開いた。


「ねぇ、花奈ちゃ……」


 花奈の名前を呼ぶと同時に、ガタッという音が鳴った。

 スマートフォンが彼女の手から滑り落ちたのだ。なのに花奈は気にする素振りも見せず、ただ虚空を見つめ続けている。


(…………っ)


 だけど知世は見た。見てしまった。

 花奈のスマートフォンに表示されているネットニュースの記事を。


「知世さん」


 少しの沈黙のあと、花奈はようやくこちらに視線を向けてくれた。

 いつもは優しさに満ちている胡桃色のたれ目が、今ばかりは深い悲しみに包まれているように見える。



「っ、雫さん……が」



 花奈の震えを帯びた声は、まるで自分の心の叫びのようで。知世もまた、自分自身の表情が歪むのを感じる。



 目の前に広がる真実。

 それはあまりにも悲しくて、苦しくて、信じがたいものだった。

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