4-6 特別な日
「それとね、最近好きになったこともあるんだよ?」
初めは緊張していた花奈も、だんだんと声のトーンが上がっていった。
話題が柚木園雫のことになった時は知世とも視線を合わせ、ウキウキとしながら語っていく。
知世との共同生活が始まった日、動画サイトで声優アーティストの柚木園雫を知ったこと。
知世と一緒に雫のことが好きになり、二人で武道館ライブに行くことになったこと。
二人でアニメショップに行って、コラボカフェに行って、リリースイベントに参加したこと。
宍戸兄妹という、自分達の推し活を引っ張ってくれる仲間に出会えたこと。
そして今も、ただの旅行ではなく雫が出演しているアニメの聖地巡礼をしていること。
「……あら」
すべてを話し終えると、晴子は何故か目を丸くさせた。
あまりにも情報量が多くてついていけなかったのだろうか。それくらい濃厚な日々だったのだから仕方がないか、と知世は薄く笑う。
しかし、知世の考えは少々ずれていたようだ。
「そのアニメってもしかして、『あなたの忘却になりたい』のことかしら」
まさか晴子の口から『あなたの忘却になりたい』の名前が出てくるとは思わず、知世は花奈と顔を見合わせる。
「えっ、お母さん知ってるの?」
「旅行会社に勤めているのだから当然よ。ここの海浜公園も最終話に出てくる大切な場所なのでしょう?」
「わっ、お母さん凄い……! あのね、『あなたの忘却になりたい』の皐月有栖ちゃんいるでしょ? メインヒロインの女の子なんだけど、その子の声を雫さんがやってるんだよ」
「……楽しそうね、花奈」
「えー、他人ごとなの? お母さんだって嬉しいでしょ?」
晴子に飛びつかんばかり勢いで迫る花奈。まるで母親に甘える子犬のようで、知世は密かに微笑ましい気持ちに包まれる。
しかし、
「ええ、嬉しいわよ。……本当に嬉しい」
晴子の声が微かに震える。
知世の知る晴子はいつだって冷静で、時折優しさを覗かせるような人だった。だけど今は、優しい部分だけがじわりと浮かび上がっているように見える。
「……お母さん?」
「ごめんなさいね。私…………あなたにたくさん無理をさせてしまったかしら」
「っ! そんなことっ」
弱さを滲ませる晴子に、花奈は慌てて駆け寄る。
いったいどちらが母親なのだろう。……というのは流石に大袈裟なのかも知れない。でも、小さな両手で母親を抱き締める花奈の姿からは、家族に対する大きな愛を感じた。
「本当はね、寂しかったよ。でもお母さんとお父さんに迷惑はかけられないから、ずっと我慢してたの。……だから、ね。今……すっごく嬉しんだ」
囁きながら、花奈は晴子に甘えるように顔を擦り付ける。晴子はそんな花奈の髪を撫で、涙を目に溜めたままくしゃりと笑ってみせた。
「ありがとう……。ありがとうね、花奈」
「ううん、違うよ。お礼を言うのは私じゃなくて知世さんなの」
「……そうね」
様々な感情を乗せた二人の瞳が一斉にこちらを向く。
正直、今の自分は部外者だ。親子の時間を大事にして欲しいからなるべく存在感を消していたかったのだが、そういう訳にはいかないらしい。
「知世ちゃんもありがとうね。知世ちゃんがきっかけをくれなかったら、花奈と向き合うタイミングが掴めずにいただろうから」
「いえ、そんな。本当に駄目元で提案した感じだったので。……あの、お仕事は大丈夫なんですか?」
照れ隠しも兼ねて、知世は晴子に訊ねる。
すると晴子は何故か腰に手を当て、ドヤ顔にも近い表情を浮かべた。
「それなら安心してもらって大丈夫よ。今日はこれから自由時間なの」
「え……あ、そうなんですか? 制服姿なので、てっきり忙しい合間を縫ってきてくれたのかと思っていました」
「それは……。早く花奈と知世ちゃんに会いたかったから、そのまま来ちゃっただけよ」
声のボリュームを抑えながら、晴子は思い切り目を逸らす。
叔母に対して抱く感想ではないかも知れないが、ひっそりと可愛いと思う知世であった。
「お母さん。じゃあ、もう少し一緒にいられるの?」
「もう少し……ねぇ」
「うぅ……。だって、お母さんも疲れてるだろうし、休みたいかなぁって」
「花奈を目の前にして私がそんなこと言うと思う?」
またドヤ顔だ。
眉がキリッと上がって格好良い。
「車で送っていくわよ」
「……へっ?」
「知世ちゃんのマンションまで送っていくわ。むしろそれくらいはさせて欲しいのだけど」
どう? と訊ねるように首を傾げる晴子。
一瞬だけ申し訳ないと思ってしまったが、晴子の表情は真剣そのものだ。断る方が申し訳ないと思ってしまうような圧を感じる。
「……良いんですか?」
「ええ、もちろんよ。せっかくだから夕焼けの海浜公園も撮っていったらどう? 聖地巡礼がしたいのならそっちの方が良いのでしょう?」
「っ!」
知世はつい、「良いんですか!」と言わんばかりに息を呑んでしまった。
隣で花奈の顔もテカテカと輝いている。嬉しさが溢れ出ているのがこちらにまで伝わってきて、知世は無意識のうちに「お願いします」と頭を下げていた。
「花奈も知世ちゃんも楽しそうね」
「そういうお母さんもね?」
「それはそうよ。今日は特別な日なんだもの」
晴子は何でもないことのように言い放ち、手のひらを合わせるポーズをする。
まるで少女のような無邪気な笑顔を浮かべていて、こちらまで気持ちが華やいでいくようだった。
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