4-5 伝えたいこと
翌朝。
二人はハムとチーズのホットサンドを作って食べ、チェックアウトの時間ギリギリまでキャンピングトレーラーでまったりと過ごした。
それから最後の目的地へと向かう。
旅のラストを飾る場所。それは海浜公園だった。
「わぁ……」
それでも綺麗な景色であることに変わりはなかった。
リゾート感のあるヤシの木に、透き通った海岸、遠くに見える鳥居。どこか幻想的な空間で、思わず二人は見入ってしまう。
(そろそろだと思うけど)
だけど知世は今、別の意味でもそわそわしていた。
撮影に夢中になっている花奈を横目に、知世はひっそりとSNSを確認する。彼女――晴子からの連絡はまだ来ていない。約束の時間はもう過ぎているはずだ。
もしや晴子の都合が悪くなってしまったのだろうか。だとしたら仕方がない話なのだが、こちらから連絡を入れて良いものかと悩んでしまう。
すると、
「花奈、知世ちゃん」
不意に声が聞こえてきた。
一瞬、悩みすぎて晴子の幻聴が聞こえてきてしまったのかと思ったが、そうではないことは知世が一番わかっていることだ。
「え……?」
振り返る。
意図せず花奈と同じタイミングだった。きっと、二人して似たようなきょとん顔になっていることだろう。
「花奈はともかく、まさか知世ちゃんにまで驚かれるとは思わなかったわね」
言いながら、晴子はおかしそうに微笑む。
黒髪の前下がりボブに、大人らしい色気を感じる口元のほくろ。紺色のスーツと赤いスカーフという制服に身を包んだ彼女は、確かに叔母の雛倉晴子だった。
「ど、どうしてお母さんがここに……」
「あら、出張先は静岡だって言ったはずよ」
「それはそうだけど。でもこんな偶然って」
花奈は当然のように動揺を露わにしていた。
きょろきょろと視線を彷徨わせてから、やがて知世と目を合わせる。
瞬間、彼女の表情は一気に訝しげなものへと変わってしまった。そりゃあそうだろう。知世は花奈ほど驚いてはいないし、晴子も「まさか知世ちゃんにまで驚かれるとは思わなかった」と漏らしていた。この時点で察してしまうのは普通のことだと思う。
だって、晴子に「花奈に会って欲しい」と頼んだのは知世なのだから。
「偶然じゃないんだ」
「偶然は偶然なのよ。私もちょうど海浜公園に取材に来ていたから」
「……そっか」
俯き、花奈は困ったように小さな声を漏らす。
そのまま沈黙が訪れてしまい、知世は内心「どうしよう」と不安に思ってしまった。
花奈の中には「本当はもっと自分のことを話したい」という気持ちがあって、だけど遠慮してしまう気持ちもあって。だから今、こうして彼女の背中が押せたら……と思っていた。
でも、もしかしたら方法が強引だったのかも知れない。
心の準備ができていないままに対面させても、彼女は一歩を踏み出せないのではないか。こういうのは自分のタイミングで進むから意味があるのではないか。
急激に後悔が渦巻いてしまって、知世は視線を沈ませる。
「知世さん」
すると、花奈は何故か知世の名前を呼んだ。
はっとして顔を上げると、ぎこちない笑みを浮かべる花奈と目が合う。
「わかってますよ。この状況がどういうことなのか。流石に理解しました。……だから、知世さん。…………背中を押してもらえますか」
まるで囁くような小さな声。
なのに知世には力強いものに感じられて、気付けばじっと彼女の瞳を見つめながら頷いていた。このアイコンタクトが花奈の勇気に変われば良い。
そう思っていたのだが。
(……あれ)
花奈はわかりやすく背中を向けてくる。
どうやら物理的に背中を押して欲しいらしい。
おかしいな、と知世は思う。シリアスな空気のはずなのに、ほんのりと微笑ましい気持ちに包まれてしまった。
(ほら、行っておいで)
そのままの温かい想いを手のひらに乗せて、知世はポンと彼女の背中を押す。
一歩、二歩。花奈は晴子へ近付いた。
今が夕暮れだったら、『あなたの忘却になりたい』の告白シーンにも見えるな、と知世は思った。だけど夕暮れじゃなくても、恋ではなく親子関係でも、忘れられない光景になるのだろう。
「お母さん。私……お母さんに伝えたいことがたくさんあるの」
ぎゅっと両手を握り締めながら、花奈はゆっくりと口を開く。
料理をするのが好きなこと。
特にお菓子作りが好きなこと。
パティシエになることが夢だということ。
「……そう。………そうだったの」
晴子が相槌を打つ。
その声色は優しく、どこか震えを帯びていた。
知世は雛倉親子がどこまでコミュニケーションを取れているのか詳しく知っている訳ではない。だけどもし、花奈が料理好きであることをたった今知ったのだとしたら。
花奈の告白は晴子にとっての救いになっているのかも知れないな、と知世は思った。
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