1-5 これから始まること

『――ということでお送りしました~。「柚木園雫のサブカルボックス」、エンディングのお時間です』


 ガタンゴトンという電車の音とともに、心地良いラジオの音声が混ざり合う。

 通学中も雫関連の何かに触れたい。となるとやはり楽曲を聴くことだろうと知世は思った。

 ……のだが、雫がパーソナリティのラジオ番組があることを知る。アーカイブ配信もされているようだし、これは彼女の人柄を知るチャンスだと聴き始めたのだ。


『……おやおやぁ? おかしいですね~、もうエンディングですか? コーナー、一つしかやってないですけど…………へ、オープニングトークが十二分もあった? あー、そのくらいだったような気もしますね~。そのぉ、いつもの私クオリティってことで許し……いや、ごめんなさい! 来週はもっと皆のおたより読めるように頑張るからね~っ』


 想像とかけ離れたほんわかとした口調で、雫がリスナーと構成作家に謝っている。

 正直、雫の素の喋りは知世にとって衝撃的なものだった。だって雫は銀髪が似合ってしまうようなクールで格好良い女性なのだ。

 きっと素の彼女も凛としているのだろうと当然のように思っていたのに。


(な、に……このギャップは)


 知世は思わず口元に左手を触れされる。

 今は電車の中なのだ。表情が緩んでしまっていないか不安になってしまう。


 だって、こんなの反則ではないか。

 容姿は落ち着いた大人の雰囲気があって、歌声はパワフルで。だけど口を開けばおっとりとした可愛らしいお姉さんだった、なんて。


(もしかして、これが沼ってやつなのかも)


 大学の友人達は推しのアイドルや俳優に対してよく沼だ沼だと騒いでいる。

 知世もそんな友人達を冷めた目で見ている訳ではなくて、「確かに格好良いかも」「可愛いかも」と素直に思っていた。しかし、「沼」という表現はいまいちピンときていなかったのだ。


 だけど昨夜からずっと、雫の『ここが好き』を次々に知っていくことができて、心の真ん中が満たされていくのを感じる。

 あぁ、これが沼にハマるという感覚なのか、と。

 気付いた瞬間、とうとう気が緩んで笑みが零れてしまった。もし友人が近くにいたら「どうした?」と突っ込まれているところだろう。


 傍から見たら恥ずかしい顔をしているのかも知れない。

 でも、今の知世は「恥ずかしい」よりも「嬉しい」気持ちの方が勝っていた。


『さてさて、時間もないのでささっと告知をしちゃいますね? 柚木園雫ニューシングル「希望きぼうのアンブレラ」はいよいよ十二月六日に発売されます。久しぶりのノンタイアップ楽曲、皆様の希望の光になれたら~という思いを込めて作詞をしました。よろしくお願いしますっ。そして「希望のアンブレラ」の発売を記念したリリースイベントを開催します! 東京・神奈川・大阪・愛知・福岡・宮城・北海道、全国七ヶ所を巡らせていただきます~。フリーイベントなのでお友達を誘って気軽に参加してくださいね? お渡し会もやっちゃいますよ~! からの~、最後はライブの告知です。来たる十二月二十四日、クリスマスイブに柚木園雫十周年記念ライブを開催します! 会場は日本武道館。チケットはすでにソールドアウト中ですが、現在見切れ席の先行抽選申込みを受付け中です。アーティストデビュー十周年。私にとって特別で大切な公演になります。ずっと応援してくれている方も最近知ったよ~という方も、一緒にこのお祭りを楽しみましょう~』


 ――凄いな、と知世は思った。


 早口の告知タイムなのに聞き取りやすくて、ただ単に台本を読んでいる感もなく情報がスッと頭に入ってくる。


 新曲。

 リリースイベント。

 そして、日本武道館での十周年記念ライブ。


 花奈との共同生活は十二月二十六日までだ。

 新曲のリリースイベントはもちろんのこと、行こうと思えばライブにも花奈と一緒に参加できるかも知れない。


(……はは)


 知世の心の中で苦笑を浮かべる。

 ほんの一瞬だけ、知世は「本当に良いのだろうか?」と思ってしまった。ふわふわと宙に浮かんだような気持ちのまま突き進んでしまって後悔はないだろうか、と。


 でも、知世はすぐさま首を横に振る。

 馬鹿でも良い。そう決めて歩み始めたのは他でもない、自分なのだから。



 午後五時半。

 知世が自室に帰ってくると、すでに花奈の姿があった。

 制服から私服に着替えていて、ボーダーシャツに紺色のサロペットスカートという恰好をしている。髪型はいつものワンサイドアップだ。髪を下ろすのはお風呂以降~朝起きるまでの間で、花奈曰く「髪を下ろすのが逆に恥ずかしい」とのこと。色んな意味で可愛いと思ってしまった……のは、もちろん花奈には内緒の話だ。


 花奈はビーズクッションの上でくつろいでいるようで、スマートフォンをじっと見つめていた。

 知世が「ただいま」と言うと、ようやく気付いたように視線をこちらに向ける。


「あっ、知世さん。おかえりなさい」


 知世の顔を見るなり、花奈は慌てたように立ち上がった。

 ついつい「くつろいだままで良いのに」と思ってしまうが、まだまだ気を遣ってしまうのだろう。知世が花奈の立場だったら同じような態度を取ってしまうはずだ。


「知世さん?」

「あぁいや。……気持ちはわかるなって思って。でもそんなに遠慮しなくて良いからね」


 ビーズクッションを見ながら言うと、花奈は「すみません」と小声で囁く。

 こういうのは慣れの問題だ。一ヶ月も一緒に過ごす訳なのだから、きっと自分達なりの日常が見つけられるはず。

 気を遣い合ってしまうこの空気も、いつしか懐かしいと感じる時が来るのだ。……きっと。


「あの、知世さん」

「ごめん、ぼーっとしてたね。これからご飯の支度を……」

「いや、そうじゃなくて。知世さん、何だか嬉しそうな顔をしているので」

「…………あー、っと」


 言葉に詰まる。

 花奈との共同生活が始まって、柚木園雫を知って、花奈と『好き』を共有して、これから何が始まるのか――なんて。


 答えはすべて知世の頭の中にある。

 あとはもう、花奈と共有するだけだ。


「花奈ちゃん、ちょっと良い?」

「はい、何でしょう。……もしかして柚木園さんのことですか?」

「…………やっぱりバレバレか」


 ふっ、と知世は微笑む。

 本当は夕食の時に訊いてみようと思っていたが、そういう訳にはいかなくなってしまった。心の中にあるそわそわはもう止められないようだ。



「花奈ちゃん。良かったら、私と一緒に……柚木園さんのライブに行かない?」

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