第三章 いとことリリイベ

3-1 少しの変化は大きな一歩

 花奈との共同生活は思ったよりもあっという間に過ぎていく。

 初日の手探り感が嘘のように、今は「あれもしたい」「これもしたい」に溢れている。例えば柚木園雫の出演アニメを観たり。柚木園雫の出演ゲーム(恋愛シミュレーション)を買って、二人で照れながらプレイしたり。『柚木園雫のサブカルボックス』を聴いたり。他にもゲスト出演している番組を観たり、聴いたり……。


 二人の日常は完全に柚木園雫一色に染まっていた。

 なのにまだまだ「あれもこれもしたい」に溢れているということは、それだけ雫がマルチに活躍している人気声優ということだろう。



 十二月九日、土曜日。

 そんな人気声優と対面する日がついに訪れた。


 推し活計画その三、リリースイベントに行く。


 知世と花奈にとって初めての柚木園雫のイベント。

 最新曲『希望のアンブレラ』の発売を記念した観覧フリーのリリースイベントで、全国七ヶ所で開催されている。東京の開催場所は池袋で、複合商業施設の地下一階にある屋内イベントスペースで行われるらしい。

 内容はトークイベントで、ラジオの公開収録がメイン。更にはCD購入特典でお渡し会もあるらしく、


「ど、どど……どうしましょう、知世さん!」


 花奈は当然のように緊張を爆発させていた。

 気持ちはよくわかる。ずっと歌声や演技やトークを画面越しに見てきたのだ。

 初めて生で対面すると考えるだけでそわそわするし、しかも今回はお渡し会もある。数秒間だけだが雫と会話までできてしまう訳で、意識するとドキドキが止まらなかった。


「まだ早いよ、花奈ちゃん」

「あ、あの……。声、震えてますけど」

「…………気のせいじゃないかな」


 思い切り苦い笑みを浮かべながら、知世はぼそりと呟く。

 緊張している花奈の前だ。できることなら余裕な振りをしたかったが、どうやら花奈にはバレバレだったらしい。


「とりあえず、まずはご飯を食べようか」


 誤魔化すように呟くと、花奈は素直に頷いてくれた。

 時刻は正午すぎ。

 知世と花奈はすでにイベントスペースに到着していた。

 開催時間は午後五時からで、「優先観覧エリア入場券」と「お渡し会参加券」がもらえるCD販売コーナーは午後三時から。元々は三時頃に辿り着けば良いと思っていたが、宍戸兄妹が言うには「それでは間に合わないと思う」とのこと。

 イベントスペースと同じフロアにレストランもたくさんあるし、昼食をとってからCD販売列に並ぼうというのが二人の計画だ。


「知世さん、何を食べましょうか?」


 花奈に訊ねられ、知世はフロアガイドボードを見つめながら「んー」と微かな声を漏らす。

 普段だったらイタリアンやカフェを選ぶことが多い。なんならパンケーキをランチで食べることもあるくらいだ。


 今日の知世の服装は黒いフレアスカートにマスタード色のニット。花奈は大人びたシックな黒いワンピース。

 推しと対面すると考えると、自然と服装にも気を遣うものだ。しかも花奈はいつも結んでいる髪を解いている。きっと、雫を前にして背伸びしたい気持ちがあるのだろう。実際、いつもの溌剌はつらつとしたイメージとは違っていて、むしろ「本当に中学生……?」なんて思ってしまうような大人な雰囲気をまとっていた。

 だからここはイタリアンにすべき、と思っていたのだが。


「担々麺ですか?」

「……え?」

「いや、その。知世さん、その担々麺のお店をじっと見ている気がしたので」


 担々麺。

 確かに知世は「最近ラーメン食べてないな」と思いながら見つめていた。多分、一人暮らしを始めてから一度もラーメン屋には行っていないのではないだろうか。


(そういえば私、普通にラーメン好きだったな)


 最近は外食=映えを意識しすぎていたのだと、知世は改めて気付く。


「私も担々麺が良いです。こう見えて、辛いもの平気なので」


 言って、花奈は隠しきれないドヤ顔を浮かべる。

 辛いもの平気アピールが可愛くて仕方がない。……と思っているのは、当然のように内緒である。


「良いの? せっかくおしゃれしてきたのに」

「? 別に白い服じゃないから大丈夫ですよ?」

「……ふふっ。確かにそうだね」


 ふっと、肩の力が抜ける。

 花奈とラーメン屋に行く。

 ただそれだけのことなのに、自分にとっては大きな一歩なのだと知世は思った。



 ***



 昼食を済ませた知世と花奈は、CD販売列に並ぼうとイベントスペースへと向かう。今日のイベントは宍戸兄妹も参加予定だ。まだ担々麺を食べている時に「あたしと兄貴は並び始めたよー」という連絡が来たため、列の中には二人の姿もあるのだろう。

 自分達も早く並ばなければ、と思っていたのだが。



「あれぇ、知世ちゃん?」



 ふと、聞き慣れた声に呼び止められる。


亜矢乃あやの、偶然だね」

「わー、やっぱり知世ちゃんだ。おはろ~」


 独特のあいさつをされ、知世も慣れたように「おはろ」と返す。


 彼女の名前は石河いしかわ亜矢乃。

 よくショッピングをしたり、スイーツを食べに出かけたりしている知世の大学の友人だった。

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