2-2 新しい自分の形

 柚木園雫を知ったばかりの自分が、果たして勢いのままファンクラブに入会して良いものなのか。それとももう少し様子を見るべきなのか。


「…………」


 ゆらりと心が揺れる。

 今じゃない、と思った。

 だけどどうしようもなく視線を落としてしまう自分がいて。


(……やっぱり、私は)


 好きに手を伸ばすのが下手すぎる。

 ふとした瞬間に顔を出した『空っぽ』な現実に、知世は顔をしかめた。人はそんなに簡単に変われるものではない。結局自分は自分だし、無意識のうちに安心感を求めてしまう。今こうして柚木園雫に興味を持っているのも、隣に瞳をキラキラさせている花奈がいるからだ。


 これは花奈のためだから。

 そんな理由を付けないと、七沢知世という人間は前には進めない。


「あの、知世さん。知世さんはファンクラブ……入りますか?」

「…………うん、そうだね。雫さんのライブに初参戦できたら入ろうかと思ってるところだよ」


 ――あれ?


「あ、それ良いですね。私はちょっとお母さん……親と相談しなきゃなので」

「そっか。じゃあ、お母さんが許可してくれたら同じタイミングで入会しよっか」

「えっ、良いんですか!」


 ――おかしい。


 いや、もちろん純粋に喜んでいる花奈は何もおかしくないのだ。

 むしろ可愛くてたまらない。怒られてしまうかも知れないが頭を撫でたいくらいだ。


 そうではなく、知世は「ライブに初参戦できたら」といとも簡単に入会するタイミングを告げていた。

 頭はすっかりネガティブモードに傾いていたはずなのに。普通だったら「いや、その……あはは」と笑って誤魔化すはずの場面だったのに。

 いったいどうして。


「知世さん、通りすぎてますよ……?」

「へっ? あぁ、ごめんごめん」


 花奈の指摘に、知世は我に返ったように足を止める。

 ぐるぐると思考を巡らせているうちに目的のアニメショップへと辿り着いていたようだ。苦い笑みを零しながら、知世は七階建てのビルを眺める。

 事前に調べていたから知っていたが、いざ目の当たりにすると想像以上に大きく感じた。地下一階から地上七階までフロアがあり、書籍・オーディオ・キャラクターグッズ・イベントスペースなどの様々なエリアがあるようで、一つずつ巡るだけでも結構な時間がかかりそうだ。


「知世さん、ちょっと元気ない……ですよね」


 すると、花奈にじっと顔を覗き込まれてしまった。いつまでも店内に入らないから不思議に思われたのだろう。

 あぁいけない、と思った。

 どうやら花奈にもバレてしまうくらい顔に出ていたようだ。自分の方が年上なのに心配をかけさせてしまうだなんて。恥ずかしくて、申し訳なくて、たまらない。


「ん、まぁ……初めてのことだから、ちょっとね。でも…………うん、大丈夫だと思う」


 だからこそ知世は正直な言葉を零す。

 確かに今、知世はおのれの弱い心に押しつぶされそうになっていた。

 でも、違うのだ。自分は『空っぽ』だと決め付けてネガティブな気持ちに包まれるのも確かに自分ではあるけれど。

 花奈とともに雫の話をする自分も、推し活計画を作ってしまう自分も、初めてのアニメショップを目の前にして心が躍っている自分も。新しい自分の形なのだから。


「確かに緊張しますよね」

「花奈ちゃんも緊張するんだ」

「はい。だって、買いすぎないような気を付けなきゃですから」


 言いながら、花奈は財布をぎゅっと握り締める。

 きっと気を遣わせているのだろうと思った。

 わざとらしいくらいの照れ笑いを浮かべている花奈の姿に、知世は反射的に「確かにそうだね」と笑いかけていた。



「わっ」


 店内に入ると花奈が小さな声を漏らした。

 秋葉原に降り立った時ほど大袈裟なリアクションではない。それくらい、土曜日のアニメショップは人で混み合っているのだ。


(……へぇ)


 知世もまた、挙動不審にならない程度に店内を見回す。

 まず知世が驚いたのは客層だった。若い男性が多いイメージが知世にはあったが、意外にも幅広いのだ。女性客も一定数いるし、親子連れの姿もある。

 勝手に「アニメオタクのための店」と思い込んでいて、今まで近寄りがたい印象があったはずなのに。一歩踏み出してみると、通い慣れた本屋に行く感覚と何ら変わらなくてビックリしてしまう。


「あ、知世さん見てください。雫さんが表紙の声優雑誌がありますよ!」


 新刊雑誌のコーナーに駆け寄り、「ほら」と声優雑誌を指差す花奈。

 しかし知世にとっては声優をピックアップした雑誌があることすら新鮮で、ついついじっと見つめてしまう。表紙の雫はクリスマスのイメージなのか、赤と白のサンタクロース風のドレスに身を包んでいた。優しく微笑む彼女はラジオでのほんわかとした姿を思い出させる。


「柚木園雫十周年記念号……十年間の歩み……」

「あ、あの……知世さん」

「……うん、わかるよ。これは私達こそ買うべきだね」


 正直雑誌は買う予定になかったのだが、目が合ってしまったのだから仕方がない。だって知世と花奈は柚木園雫の十年間を知らない。つまり自分達には必須のアイテムであり、人生の必要経費なのだ。


「知世さん。次はどこに行きますか?」

「二階からがキャラクターグッズみたいだね。それで、七階で雫さんのオンリーショップが開催されてるみたい」

「やっぱりオンリーショップが最後のお楽しみですかね?」

「だね。キャラクターグッズから見ていこうか」

「はいっ」


 早速雫に関するアイテム(声優雑誌)を手に入れたからか、頷く花奈のテンションは普段よりも高く感じる。まぁ、自分だって声のトーンが若干上がっているような気がするのだが。

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