いとこと推し活。

傘木咲華

プロローグ

プロローグ

 私は、『空っぽ』だった。


 もう何度思い浮かべたかわからない言葉が、彼女――七沢ななさわ知世ちせの心をむしばむ。

 友達もカラーリングするからという理由で染めたミルクティーブラウンの髪。

 流行っているから触れた音楽、アニメ、ゲーム。

 遊びに出かける時は映えスポットやスイーツ目当て。


 決して楽しくない訳ではない。

 だけど周りに合わせるだけでこれといった趣味や夢がなくて、そんな自分を変えられたらと大学進学とともに一人暮らしを始めた。


 しかし、


「はあ」


 知世は一人、小さなため息を吐く。

 休日の昼下がり。ナチュラルモダンな自室はモスグリーンで統一されていて、まるで引っ越したばかりかと思うくらいに整っている。

 だけど今は十一月中旬。一人暮らしを始めてから半年以上が経っているが、見慣れた自室には新しい趣味の色がまったくなかった。


(いや、でも私にはこれがあるから)


 自分を励ますかのように、知世はセイロンティーを口に運ぶ。

 クロテッドクリームたっぷりのスコーンと一緒にたしなむと、「ふわぁ」と至福の吐息が零れ落ちた。先ほどのため息とは雲泥の差である。


 一人暮らしを始めてから唯一できた趣味は紅茶だった。最初は朝食の時の飲みものという感覚だったが、今ではおやつタイムの定番になっている。

 ただの食の好みじゃんと言ってしまえばそれまでだが、知世にとっては大きな一歩なのだ。



「……ん」


 すると、不意にスマートフォンから着信音が流れ始める。

 友人達は通話よりもSNSでメッセージを飛ばしてくるため、相手が誰なのかはすぐに察しが付いた。


「もしもし、晴子はるこさん?」


 雛倉ひなくら晴子。知世の叔母にあたる女性である。

 少し早いがクリスマスパーティーのお誘いだろうか? なんて咄嗟に思ってしまうくらい、雛倉家との付き合いは深い。

 だから何を言われても驚かないつもりではいた。


『あぁ、知世ちゃん。ごめんなさいね、突然』

「いえ全然。どうしたんですか?」

花奈はなのことでちょっと、ね』

「……なるほど。そういうことですか」


 どこか遠慮気味な晴子の声色と「花奈」の名前に、知世は静かに納得する。

 花奈は雛倉家の一人娘であり、知世にとっては従妹にあたる中学生の女の子だ。

 確か父親は一年間の海外出張に出ているのだったか。そして晴子も旅行会社に勤めているため出張が多く、両親ともに出張の時は七沢家が花奈を預かることが多かった。きっと今回もそのお願いなのだろう。


「大丈夫ですよ。今回も花奈ちゃんが実家うちに来るってことですよね? 住んでるマンションから遠い訳でもないですし、顔出せに行けますよ」

『え、えぇ。そう。そうなんだけど、ね』

「…………晴子さん?」

『今回は姉じゃなくて知世ちゃんにお願いがしたいのよ』

「……?」


 言っている意味がわからなくて、知世はスマートフォンを持ったまま首を傾げる。てっきり知世の母――晴子の言うところの姉――に話が通った上で知世に電話をしてきていると思っていた。でも、晴子の様子から察するにそういう訳ではないらしい。


 と、いうよりも。



『花奈がね、「せっかくだから知世さんのところに泊まってみたい」って言うのよ』



 答えはすぐに晴子の口から発せられていた。

 ほぉ、と知世は思う。

 何日間になるかはわからないが、知世の部屋に初めて人が泊まりに来るということらしい。彼女と二人きりで過ごしたことはないが、付き合い自体は長い。きっと新鮮で楽しい数日間になるだろう。


 だいたい、可愛くてたまらないではないか。

 せっかくだから知世さんのところに泊まってみたい、なんて発想になるなんて。


 でも、確かに伯父と伯母の家に泊まりに行くよりも、一人暮らしを始めたばかりの従姉の家に行く方が新鮮で楽しそうと思ってしまうのも何となくわかってしまう。

 知世は自分の両親に対して「ごめんね」と思いながら、ふわりと柔らかく微笑んだ。


「何ですかそれ、楽しそうじゃないですか。……晴子さん、そんなに申し訳なさそうにしなくて大丈夫ですよ」

『でも、ね』

「……晴子さん? もしかして、他にも何かあったり……」


 さっきから晴子の態度がおかしい。

 ほんの少しの違和感だが、おどおどしているように感じた。否が応でも「いったい何があるんだ」と身構えてしまう。


 だからこそ、


『一ヶ月間、なのよ』

「…………えっ」


 晴子の言葉があまりにも想像とかけ離れていて、知世は唖然としてしまった。


 一ヶ月。

 いつもの数日間でもなく、一週間でもなく、一ヶ月。

 考えるまでもなく過去最長の期間だった。


「ちなみに、出張先はすぐに会いに行ける距離とかでは……」

『ごめんなさいね。今回は静岡なのよ』

「あー……。静岡、ですか」


 知世が暮らしているのは埼玉県さいたま市。思ったより離れた場所ではないものの、少なくとも気軽に行けるような場所ではないのは確かなことだ。


『知世ちゃん、大丈夫よ』

「ええっと……?」

『花奈からは「駄目元で良いから」って言われてるから。少しでも嫌そうだったらやめといてって、念まで押されちゃって。だからいつも通り姉の家でも大丈夫だから』

「…………」


 晴子の優しい声色に、知世は思わず言葉を失ってしまう。

 一ヶ月は確かに想定外の長さだ。花奈と最後に会ったのは一年ほど前で、その時は二人きりで会話をした記憶すらない。


 知世は大学生で、花奈は中学生。

 歳を重ねるごとに従姉妹の「お姉ちゃん」と「花奈ちゃん」という関係性が小っ恥ずかしくなって、気まずくなっていく。

 そんな花奈と二人きりで一ヶ月も過ごすなんてできるのだろうか?


『知世ちゃん?』


 不安がないと言ったら嘘になる。

 だけど晴子の心配するような声が聞こえてきた瞬間、


「いや、良いですよ。私の家にしましょう」


 と、自分でも驚くほどするりと言い放っていた。

 だって、相手は知らない女の子じゃない。ましてや、ただの従妹の女の子という訳でもない。自分から「知世のところに泊まってみたい」と近付いてきてくれた、勇気と好奇心に溢れた女の子だ。


 だったら自分だって、と知世はその眩しいくらいの光に手を伸ばす。



 雛倉花奈。中学二年生の十三歳。

 彼女との共同生活がどんなものになるのか。想像すらできないからこそ、知世の胸は自然と躍っていた。

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