2-8 MVの聖地巡礼

 元々、聖地巡礼は知世が考えた推し活計画の中にも入っていたものだった。

 まだ具体的な行き先を決めていた訳じゃないが、ここはやはり遠征で、雫の出演アニメの聖地に行くのが良いだろうと思っていたのだ。

 だからこそ、宍戸兄妹が誘ってくれた「MVの聖地巡礼」は嬉しくてたまらなかった。


「二人とも、ここだよ」


 今、四人がいる場所は神保町だ。

 神保町に来るのは初めてだったが、カレーや本の街という印象はあった。しかし、レトロ喫茶やカフェが集まる街でもあるらしい。宍戸兄妹が足を止めた喫茶店もおしゃれな雰囲気が漂っていた。


 温かみのある木の看板に、真っ赤な公衆電話に、トーテムポール。

 外観だけでも独特な世界観に溢れていて、ついついじっと見つめてしまう。


「あ、ちょっと写真を撮らせてもらうね」

「もっちろん。MVに店の入り口が出てくる訳じゃないんだけど、ついつい撮りたくなっちゃうよねー。あたしも撮ろっ」


 パシャリ。

 スマートフォンで撮影してから、四人で「よし」と顔を見合わせる。まだ本格的に聖地巡礼が始まった訳でもないのに、それだけで楽しかった。



 店内に入り、四人がけの席に座る。

 思わずきょろきょろと辺りを見回した。アンティークなランプや壁かけ時計、ダルマなどの置物がところ狭しと並べられている。

 ついスマートフォンを構えたくなるが、まずは注文が先だろう。メニュー表を見ると、最初に目に留まったのは「七色のクリームソーダ」という文字だった。


「これって」

「おっ、ナナセちゃん目のつけどころめっちゃ良いじゃん。まさしくこれがMVに出てくるクリームソーダだよ」

「もしかして、七色が混ざったクリームソーダってことですか?」


 花奈が目を輝かせながら訊ねる。

 すると、莉麻の表情に珍しく苦みが混ざった。どうやら花奈の想像は外れてしまったらしい。


「いやぁ、そういう訳じゃないんだけどねー」

「緑色以外にも水色とか黄色とか、全部で七色のクリームソーダがあるってことだよ。七色全部並べたら圧巻だろうね」


 言って、咲間は眼鏡のブリッジを押し上げる。


「莉麻」

「うん、わかるよ兄貴。あたしら二人じゃクリームソーダを七杯飲むのはきつい。でも」

「四人ならどうにかなるかも知れない。……って言ったら笑うかな?」

「それはあたしじゃなくてナナセちゃんと花奈ちゃんに訊かなくちゃ」


 二人の栗色の瞳がこちらへ向く。どう考えても期待の眼差しだ。

 つまり、この兄妹は七色のクリームソーダをコンプ……つまり七つ注文するつもりでいるのだろう。まじか、と正直に思う。

 知世もレトロ喫茶を巡るのは好きだし、クリームソーダも時々飲む。一杯でわりとお腹がいっぱいになってしまう上に、知世達は『百合子さんの悩みごと』のコラボカフェに行ってきたばかりなのだ。大丈夫だろうかと思わずお腹をさする。


 しかし、


「知世さん」


 花奈の顔には完全に「七つ全部頼んでみたい」と書いてあった。

 知世は諦めたようにふう、と息を吐く。


「ん、わかったよ。頼んでみよう」

「よっし。ナナセちゃんも花奈ちゃんも天才。二人とおとな木さん同士になれて良かったよ」

「まだ出会ったばかりなのに大袈裟だよ。……それに、私達はまだ『柚木園ツリーハウス』に入会してないから」


 莉麻は嬉しさが隠しきれないようにテンションが高く、咲間も隣で微笑を浮かべている。

 だからこそ知世は申し訳なさを感じてしまった。

 ファン歴の差がありすぎて、二人が内心「まだファンクラブに入ってないんだ」とか「そんなことも知らないんだ」と残念に感じていたらどうしようと思ってしまったのだ。


「え、そんなの当たり前じゃない? 推し活にも色々な種類があるし、だいたい雫さんを好きになったのはつい最近なんでしょ? なのにあんな……ねぇ」


 さも当然のように言い放ち、莉麻は咲間とアイコンタクトを交わす。「あんな」とはいったい何なのか。検討もつかなくて、知世もまた花奈と顔を見合わせてしまう。


「二人とも百合子さんのコラボカフェで凄く楽しそうにしてたからさ。だから僕らも君達のことが気になってたんだ。だから七沢さんが声をかけてきてくれて嬉しかったんだよ」


 気恥ずかしそうに頬を掻きながら、咲間は呟く。

 咄嗟に「恥ずかしいのはこっちなんだけどな」と思った。まさか自分達の表情を観察されているとは思わなかったのだ。いやまぁ、知世も宍戸兄妹を観察しながら「高校生カップル」認定していた訳だが。



 七色のクリームソーダを全種類注文すると、莉麻がおもむろにCDを取り出した。言わずもがな、柚木園雫のCDである。

 今いる喫茶店が使われているのは、柚木園雫のサードアルバム『グッドモーニング』だ。リード曲もアルバムタイトルと同じ『グッドモーニング』で、MVだけではなくジャケット写真もここの喫茶店がモデルになっているのだ。


「わっ、知世さんこれ」


 知世の肩をポンポンと叩きながら、花奈は前のめりになる。

 そりゃあその反応にもなるだろう。ジャケット写真には喫茶店の椅子に座る雫と、テーブルに並べられた七色のクリームソーダが写っていたのだから。

 しかし、知世が気になったのは七色のクリームソーダだけではなかった。


「……もしかして、ここの席だったりする?」


 ジャケット写真をじっと見つめてから辺りを見渡し、やがて宍戸兄妹に訊ねた。二人は当然のように得意げである。


「そっ、おとな木さんに人気の席だから空いてるか不安だったけど、今日は空いてて良かったよー。というか初めて座れたから実はめっちゃテンション上がってる。すぐにでも写真を撮りたい……けどっ」

「莉麻、大丈夫。写真なら僕に任せて。せっかくだし二人と一緒にMVを観るのはどうかな?」

「はっ、そっか! 二人とも、『グッドモーニング』のMVは観たことないんだよね?」


 ギラギラとした視線を向けられ、知世と花奈はただただ頷く。

 莉麻はスマートフォンで『グッドモーニング』のMVを観させてくれた。

 ゆったりとしたテンポでありながらミステリアスさもあって、癖になるような曲調だ。だけど歌詞は背中を押してくれるような明るさがあって、喫茶店の雰囲気にピッタリだった。七色のクリームソーダもメインアイテムとして使われていて、色で感情を表わすようにそれぞれのクリームソーダが登場している。


「ち、知世さん! 本物……本物ですよっ」


 MVを観終わったタイミングで七色のクリームソーダが運ばれてきてしまったら、それはもうテンション爆上がりというものだ。


「凄いよ花奈ちゃん……七色全部並んでるよ……あたしら二人じゃ無理だったんだよ……嬉しすぎるよぉ」


 莉麻なんてもう半泣き状態である。

 きっと咲間は大袈裟だと呆れていることだろう。


「良かったね、莉麻」


 ――そんなことはなかったようだ。


「もう、余裕っぶっちゃって。兄貴だって嬉しいくせにぃ」

「……うん、そうだよ。僕達はこの曲に元気をもらっていた訳だからね」


 咲間が莉麻の頭をポンポンしている。

 莉麻がブラコンなのは察していたが、もしかしたら咲間も意外とシスコンなのかも知れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る