5-3 ハッシュタグ

「ちょっと待ってね、投稿するから」


 言って、知世はスマートフォンを操作する。

 上手くいくかどうかなんてわからない。ただの自己満足になってしまうかも知れない。でも、少なくとも自分の気持ちは変わった。

 花奈も「私も知世さんのおかげで前を向けましたから」と言ってくれたし、あわよくば宍戸兄妹や亜矢乃の心にも届いてくれるかも知れない。


 結果的に些細なものになったとしても、知世はこの行動を後悔しないだろう。

 今はそんな自信に溢れていた。


「よし、できた」


 呟き、知世はスマートフォンの画面を花奈に見せる。

 そこには先ほどの『ペクトライト』の演奏動画と「この曲と出会えたおかげで私は前を向けました。ありがとう」というメッセージ。

 そして「#柚木園雫十周年ありがとう」のハッシュタグが付けられていた。


「知世さん!」

「な、何? もしかして、私が作ったタグ……問題あった?」

「もうっ、そうじゃないですよ! 私、早く帰りたいんです。私もそのタグでメッセージを届けたいので!」


 わかりやすく足踏みをしながら、花奈はジトッとした目を向ける。

 急に等身大の可愛らしい姿が現れて、知世は思わずふっと笑う。


「……可愛い」

「なっ、急に子供扱いしないでくださいよ! さっきまで大人ぶってたのに、台無しじゃないですか」

「大人ぶってたんだ?」

「う……。だって、知世さんがあまりにも格好良かったから、それで私も寄り添いたいって思って……。それだけなんです」


 徐々に花奈の顔が赤らんでいく。

 知世は当然のように微笑ましい気持ちになった――のだが、それ以上に嬉しい気持ちに包まれる。本人は「大人ぶってた」と言っていたが、そうではないと思うのだ。知世に寄り添いたいと思ってあの言葉達が零れ落ちたのなら、ただの花奈の素の姿なのだから。


「行こっか、花奈ちゃん」

「はい。急いで帰りましょう。私もやりたいことがあるので!」

「そうなんだ。それは楽しみだね」

「う、あ……そんなに期待しないでください。知世さんよりはしょぼいので」

「へぇ?」


 コテン、と試すように首を傾げる知世。


「あう……雫さんへの想いは誰にも負けませんけどねっ」

「ん、よろしい」


 自分はいったい何様なんだと思いながら、知世は頷く。

 それから、二人は再び知世のマンションへと向かった。まだ不安が解けた訳ではないし、雫のことを思うと胸が苦しくなる。

 だからこそ、彼女のために駆け出しているこの時間が二人にとってかけがえのないものになっていた。



 ***



 確かに知世は「自己満足でも構わない」と思っていた。

 だけど心のどこかには、自分の想いがおとな木さん達にも届いて、広まって欲しい……なんていう気持ちもあって。


「…………へっ?」


 再び部屋へと戻ってきて、スマートフォンを開いた瞬間――知世は自分でも驚くほどに素っ頓狂な声を上げてしまった。


「どうしましたっ? もしかして雫さんの続報ですか?」

「あ……いや、そうじゃなくて」


 雫の続報ももちろん重要なポイントだ。

 しかし「#柚木園雫十周年ありがとう」のハッシュタグがどうなったのかも気になるところであり、ついつい確認してしまったのだが。


「わぁっ、凄いじゃないですか!」


 スマートフォンの画面を見た花奈の声が弾む。

 思った以上に知世の投稿が拡散されていたのだ。すでに「#柚木園雫十周年ありがとう」を使って雫にメッセージを送る人で溢れている。


「あ、咲間くん」


 そして、その中には宍戸兄妹の兄、咲間の投稿もあった。

 これまで参戦したライブの思い出の写真とともに、長文の熱いメッセージが添えられている。実際の彼はクールなイメージが強いが、内に秘めた情熱のようなものは元々感じ取っていた。非常に咲間らしい投稿で、知世はうっすらと頬を緩める。


「知世さん知世さん、これ見てください。さっきの人達ですよ」


 すると、花奈が知世の投稿のコメント欄を指差す。

 正直そこを見るのは怖いと思っていた。どうしたって頭をちらつく「自己満足」の文字と、完璧とは言えない演奏。批判があってもおかしくはないと思っていたため、さっきからスルーしていたのだ。


「……本当だ」


 しかし、勇気を出して見てみると信じられないくらいの温かさに包まれていた。

 花奈の言う通り、先ほどの演奏の生で観ていた人のコメントもある。「楽しいライブからのショックなニュースだったので、救われました」「前向きなパワーを感じました」「僕もあなたのように動きたいと思った」等々……。

 自分にはもったいないと思ってしまうくらいの眩しい言葉の数々。


 だけど知世は思った。

 これは決して自己満足ではなかったと宣言しても良いのだと。


「というかごめんね。晩御飯、遅くなっちゃったね。今度こそ食べようか」

「……やです」

「えぇ?」

「言ったじゃないですか、私もやりたいことがあるって。私は終わってから食べるので、知世さんは気にしなくて大丈夫です!」


 くわっと目を開きながら、花奈は宣言する。

 これは知世が「でも」と言ったところで通用しなさそうな態度だ。


(あぁ、なるほど)


 いったい何をするのかと注目していると、花奈は鞄の中から『百合子さんの悩みごと』のグッズであるレターセットを取り出した。そういえばアニメショップで買っていたような記憶がある。雫へのファンレターに使うのにピッタリなグッズだろう。


「実際にファンレターで送ろうかと思ってるんですけど、その前に写真に撮って上げたいんですよ。私もハッシュタグに参加したいので」

「そっか。……それは良いね」

「はい。でも、手紙は慣れていないので時間がかかるかもですが。なので先に食べていてください!」

「ん、そういうことならわかったよ。でもお腹が空きすぎてへろへろになりそうだったらちゃうと食べてね」


 知世の言葉に「はぁーい」と返事をしながらも、花奈はすでに目の前の便箋に集中していた。微笑ましく思いながら、知世は弁当を温めようと動き出す。


「……ん」


 と思ったのだが、その手がピタリと止まってしまった。

 スマートフォンが震えている。いったい何だと思ったら通話で、相手は宍戸兄妹の妹、莉麻だった。

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