3-3 公開録音
それから観覧エリアの集合時間まで、近くのカフェでまったりすることにした。
先週コラボカフェで出会い、神保町の喫茶店で聖地巡礼をした時はわりとバタバタしてしまった覚えがある。
ここは緊張を解すためにも改めて自己紹介をしておこう、という話になった。
そこでわかったのが、
「あたし、実はアニソンシンガー目指してるんだよねー」
ということだった。
莉麻は軽音楽部に所属していて、ギターボーカルを担当しているらしい。バンド名は『
ちなみに、一時期は声優アーティストになりたいと思っていたが演技が駄目駄目で、莉麻的には黒歴史になっているらしい。
「咲間くんも何か夢はあったりする?」
「いや、僕は今のところ別にないよ。今を目一杯楽しむことが大事かなって思ってるから。それに、莉麻のことをサポートするのも楽しいからね」
「……そうなんだ」
夢に向かって突き進む莉麻に、そんな妹を誇りに思っている咲間。
どうやら自分は、とんでもない兄妹と知り合ってしまったらしい。――なんて本気で思ってしまうほど、二人の瞳はまっすぐだった。
趣味がなくて、夢もない。
そんな自分に悩んでいたのが馬鹿らしく思えてくる。ようやく本気で好きになれるものに出会った知世だが、未だに夢と呼べるものはない。だけど別に焦る必要はないのだと優しく伝えてくれているかのようだった。
ケーキを食べて、紅茶を飲んで、莉麻のバンド『茜色Dreamer』の演奏動画を皆で観て(アニソンカバー。雫の楽曲あり)、イベントの時間が近付いてくるとやっぱり「もうすぐだね」と現実に戻って。
気付けば、あっという間に集合時間がやってきてしまった。
整理番号順に呼ばれ、宍戸兄妹は最前列、知世と花奈は後方の席に座る。するといとも簡単に緊張がこんにちはしてしまった。
柚木園雫と対面する。それ以前に、初めて生で柚木園雫を見る。――意識すれば意識するほどに、「どうしよう」と言わんばかりに花奈と視線を合わせてしまった。
だけど、その時はすぐに訪れてしまう。
午後五時。
聴き慣れたBGMが流れてくると、知世は無意識のうちに両手をぎゅっと握り締めた。このBGMは『柚木園雫のサブカルボックス』のオープニングで流れるお馴染みの曲だ。
「皆さ~ん、こんにちは~。わっ、上の方までお客さんがいっぱいですね。ありがとうございます~」
両手を振りながらステージに登場したのは、デニムパンツにライダースジャケット姿の雫だ。新曲の『希望のアンブレラ』を意識してか、耳元は傘の形のピアスで彩られている。
(かっこいい……)
というのが知世の率直な感想だった。
シルバーアッシュの髪も今日は高い位置で一つ結びにしていて、雫のクールなつり目がよく見える。なのに口調はふわふわと柔らかいものだから、早くもギャップで撃ち抜かれそうになってしまった。
「ということで、改めまして声優・アーティストの柚木園雫です。本日は『希望のアンブレラ』発売記念イベントにお越しいただきありがとうございます~。おとな木さんも、偶然立ち寄ってくださった方も、よろしければお付き合いいただけたら嬉しいです」
あいさつをしながらも、雫はずっと手を振り続けている。可愛い。
「ではでは~。今回は『柚木園雫のサブカルボックス』の公開録音ということで、早速普段通り進めていきたいと思いますよ? まずは新曲のお話からですね――」
雫が客席や立ち見席を見渡しながら、いつも通りに進行していく。
不思議な感覚だった。知世は『柚木園雫のサブカルボックス』のすべての回を聴いている訳ではないが、アーカイブで聴ける範囲は全部聴いていた。新曲やライブの話、声の仕事の話はもちろんのこと、何気ない日常の話も聴いていて心地が良いのだ。
そんな雫のラジオが目の前でリアルタイムに繰り広げられているなんて、まるで夢のようである。
「さてさて皆さん! そろそろお待ちかねのお悩み相談のコーナーに行きましょうか~?」
雫が問いかけると、会場は拍手と歓声に包まれる。
お悩み相談のコーナーはラジオの中でもお馴染みだが、今回は優先観覧エリア限定でアンケート用紙が配られていたのだ。お悩み相談のコーナーで使われるとのことだったので、知世は無難に「生まれて初めてのライブが雫さんの武道館です。ライブ初心者へのアドバイスはありますか?」と書き込んだ。
ちなみに花奈は恥ずかしそうにしながら「私の夢はパティシエになることです。雫さんが応援してくれたらますます頑張れます」と書かれた紙をちらりと見せてくれた。悩みというよりただの願望である。花奈らしくて可愛らしいことこの上ない。
しかし、知世の無難な質問と花奈の可愛い願望が採用されることはなかった。意外にも本気の悩み相談が多かったのだ。
中でも興味深かったのは、
「お次はペンネーム『恋する中学生』さん……そのまんまのペンネームだね? えーっと、僕には幼馴染がいます。家も隣同士で、兄妹みたいな関係です。だけど最近その幼馴染を意識するようになってしまいました。告白したいけど勇気が出ません。雫さん、どうしたら良いですか。……ほわぁ、これはたまらないですね~」
という恋愛相談だった。
雫が鼻の下を伸ばしてニヤニヤしている。気持ちはよくわかる。中学生の恋。しかも幼馴染。微笑ましいったらありゃしない。
「『恋する中学生』さん、流石に名乗り出るのは恥ずかしいよね……? でも中学生の子だと結構限られてきちゃうかも…………あ、あの子は女の子だった」
一瞬、雫の視線が花奈へと向かう。
中学生らしき人を探していたら花奈を見つけたのだろう。目が合ったかも――などという曖昧なものではなく、雫は確実に花奈を見た。
(良かったね、花奈ちゃん)
花奈は高速で瞬きをしながらこちらを見ている。「今! 目が合ったよ!」と言わんばかりのアピールだ。可愛らしいが、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまったのは内緒の話である。
「っと、冗談はこのくらいにして。そうだなぁ……少しずつ本音を言ってみると良いんじゃないかな? 今まで言ってなかった趣味とか、好きな食べ物とか。そこから新しい共通点が見つかるかも知れないし、だんだん関係性も変わっていくかも知れない。そしたら恋の本音を言っちゃえば良いんだよ」
小さく咳払いをしてから、雫は言葉を紡ぐ。
だけど結局は「いやぁ、若いって良いなぁ」という本音を零していて、会場は小さな笑いに包まれる。
知世も同じように微笑ましく思っていると、
(花奈ちゃん……?)
ふと真剣な眼差しで雫を見ている花奈に気が付いた。
もしかして、花奈にも片思いの男の子がいるのだろうか。知世も中高生の頃は片思いの相手がいたが結局進展はなく、今は女友達との日々で満足してしまっている。
うんうんと心の中で頷きながら、やっぱり微笑ましく思う知世だった。
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