1-3 巡り会ってしまった『好き』
夕食はカレーライスを振舞った。
特段料理が得意な訳ではないし、一人暮らしだと適当に済ませてしまうことが多い。
しかし今は花奈がいる。カレーならルーに頼れば簡単に作ることができるし、実際に味も野菜の煮え具合もちょうど良かった。花奈も「美味しいです」と言ってくれたし、やればできるじゃないかと自分を褒めたくなるくらいだ。
しかし何故か、
「あの、私が料理当番の日があっても良いですよ……?」
と、妙にそわそわした様子の花奈に言われてしまった。
そんなに料理中の様子が危なっかしかっただろうか? まぁ、確かに包丁を握るのは久しぶりだったのだが。
「大丈夫だよ。花奈ちゃんはお客様なんだから。……むしろ、もっと甘えてくれても良いんだからね」
「…………はい」
思い切り右斜め下を見つめながら、花奈は弱々しい声で頷く。
おやおや、と知世は思った。もしかしたら、傍から見たら「危なっかしい」どころの問題ではなかったのかも知れない。思えば料理中、何度も「手伝いましょうか?」と言われてしまった覚えがある。
(実は料理下手だったのかな、私)
はは、と心の中で苦笑を浮かべる。
家事は元々苦手分野だったが、一人暮らしを始めてから少しずつ頑張ってきたつもりだ。だけど花奈との共同生活が始まった今、もっと気を引き締める必要があるらしい。
(うん、頑張ろう)
眉をハの字にしている花奈を見つめながら、知世はそっと決意を固めていた。
食事のあとは花奈、知世の順番でお風呂に入り、部屋に花奈用の布団を敷く。
「狭くてごめんね」
「いえそんな。私としては知世さんと同じベッドでも良かったくらいですから」
「……それ、は。本気で言ってる……?」
「? 何がですか?」
「い、いや何でもない。それより、寝るにはまだ早いし何か動画でも観る?」
きょとんとしている花奈に、内心「マジか」と思う。
従姉妹とはいえ久しぶりに会う親戚だ。お互いに緊張もしていたはずなのに、同じベッドで良いなんて爆弾発言をさらっと言えてしまうなんて。普通に考えて恥ずかしくて、知世は早口で別の話題を振ってしまった。
「知世さんは普段どんな動画を観てるんですか?」
「んー、そうだな……。有名なYouTuberが多いけど、たまにゲーム実況も観るかな」
言いながら、知世はタブレットPCを取り出す。
ゲーム実況だったら、やはり『あにまるの孤島』の実況動画が良いだろうか。……なんて思いながらYouTubeを開くと、
(あっ)
やってしまった。
誤ってトップページに表示されていた動画をタップしてしまったのだ。
所謂「誤タップ」である。
どうしようと思った時にはまったく知らないアーティストのライブ映像が流れ始めてしまい、知世の鼓動はドクドクと速まっていく。
ちらりと覗く動画説明欄には「声優アーティスト・
知世には名前の読み方すらわからない。「ゆずきえん……?」と無理矢理読もうとしてみるものの、クエスチョンマークが浮かぶ一方だった。
「…………」
何故だろう。
今、知世がすべきことは簡単だ。「間違えた」と正直に言ってブラウザバックする。ただそれだけのことなのに、どうしてか食い入るようにライブ映像を見つめてしまう。
シルバーアッシュのストレートロングの髪に、クールな印象のある琥珀色のつり目。衣装は黒いTシャツにデニムのマーメイドスカートというラフな恰好だった。Tシャツは多分自身のライブTシャツなのだろう。曲の途中で銀テープが発射されていたし、もしかしたらライブ終盤の映像なのかも知れない。
そして何と言っても注目すべきは歌声だ。容姿からは透明感のある歌声を想像しがちだが、むしろその逆。どこまでも伸びやかで力強くて、前向きな歌詞のパワーを増幅させていくかのようで。実際に動画で観ているだけの知世の心までもを動かしている。
(『ペクトライト』、か)
動画のタイトルに書かれている曲名を確認しながら、知世は最早後戻りができなくなったようにタブレットPCの画面を見つめる。
曲調的にはゆったりとしたミディアムバラードなのに、観客一人ひとりに手を振りながら歌う彼女の姿はあまりにも眩しくて。聴いているだけなのに心の内側からぽかぽかしてきて。
知世の中の『空っぽ』に、いとも簡単に入り込んでくる。
馬鹿なんじゃないかと思った。
こんなのはただの偶然だ。たまたま触れて、耳に入り込んできた音楽が好みだっただけの話だ。決して趣味や夢に繋がる訳ではなく、単なる一時的なものに過ぎない。
だから――だけど、心が震える。
これは一目惚れなのではないか? なんて妄想をしてしまう。高鳴る鼓動は何かが始まる予感だって、勘違いをしてしまう。
――でも。
「……っ」
柚木園雫の『ペクトライト』を最後まで観てしまってからふと隣を見ると、花奈の瞳は想像以上に輝いていた。
ポカンとしていたらどうしようという心配が一瞬で消え失せてしまうくらい、花奈は興味津々のようだ。
「柚木園さん、でしたっけ。好きなんですか?」
「ゆきぞの……」
そう読むんだ、と思いながらぽつりと呟く。
同時に花奈は不思議そうに瞳をぱちくりさせた。やばい、と知世は思う。最後まで動画を観ておいて今更「知らない」とは言えるはずがないだろう。知世は咄嗟に愛想笑いを浮かべる。
「そ、そうなの。最近興味があって」
思わず誤魔化してしまった。
罪悪感で胸がちくりと痛む。
しかし、
「じゃあ一緒ですね。私もたった今、好きになっちゃいましたから」
と笑う花奈の姿は、知世の胸の痛みさえも打ち消していた。
瞬間、知世は良いのかなと思う。
ただの偶然だとか。妄想だとか。勘違いだとか。そんな曖昧な言葉の方が格好悪くて、単に逃げる理由になっているだけだ。
だったらもう、自分の心に嘘を吐かなくても良いのではないか。
巡り会ってしまった『好き』に手を伸ばしてみても良いのではないか。
「ありがとう」
「え……?」
「いや、好きなことを共有できるってこんなにも嬉しいことなんだなって思って」
きっと。いや、絶対に。
高鳴る鼓動と向き合ってみようと思えたのは、隣で笑顔を見せてくれている花奈のおかげだ。彼女のまっすぐな視線が知世の背中を押してくれる。
だからこんなにも素直な言葉を零せてしまうのだろう。
「知世さん」
「ん、何」
とはいえ、照れる気持ちがまったくない訳ではない。
目を伏せながら返事をすると、花奈は前のめりになって知世のタブレットPCを指差した。
「私、もっと色んなライブ映像が観たいです! 声優の柚木園さんのことはもちろん知ってましたけど、歌っているところを観るのは初めてだったので。……良いですか?」
テンション高めに言いながらも、最後は恐る恐るといった様子で訊ねてくる。まるで小動物のようだ。
知世はふふっと微笑み、好奇心と羞恥心が混ざったような花奈の姿を見つめる。
「うん、私も観たい。……眠くなるまで観ちゃおうか?」
花奈の瞳を覗き込み、まるで悪だくみでもするかのように問いかけた。小刻みに頷く彼女の姿を見て、知世の胸がじわりと温かくなるのを感じる。
今、この瞬間。
知世は花奈とともに新しい道へ歩み始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます