4-3 BBQと露天風呂と

「さて、そろそろバーベキューを始めようか」


 時刻はあっという間に夜の六時。

 そこまで予定を詰め込んだつもりはなかったのだが、ハンバーグレストランで並んだのも相まって時間が経つのが早く感じた。


 すっかり日が沈んだのを確認すると、不意に花奈が「あっ」と小さな声を漏らした。お腹を押さえていることから察するに、多分腹の虫が鳴ってしまったのだろう。微かな音すぎて聞こえなかったが、花奈の態度でわかってしまった。


「今日の花奈ちゃんは食いしん坊だね」

「う……。しょうがないじゃないですか。旅行マジックってやつですよ」

「へぇ?」


 大袈裟に首を傾げると、花奈は「もう」と言いながら顔を背けてしまった。

 些細なことでいじけてしまう彼女の姿は、中学生らしくて可愛い――訳ではない。ただ、一人の女の子として愛らしいと思った。


 野菜に海老に、竹串にぐるぐると巻いたトルネードウインナー、豚バラ肉に鶏もも肉、サーロインステーキ。ご飯は焼きおにぎりで、汁物はインスタントの豚汁。デザートにはプリンも冷蔵庫の中に入っていた。

 思った以上のボリュームだ。二人で食べきれるだろうか。


「花奈ちゃん、一緒に焼く?」

「あ、はい。もちろん一緒に焼きたい……ですけど」


 少しだけ花奈の様子に迷いがある。

 これには訳があった。『あなたの忘却になりたい』の中で有栖が食材を焼く描写は一切なかったのだ。料理がからっきし駄目というのが大きな理由で、「有栖ちゃんは座ってて! 食べる専門で大丈夫だから!」と仲間達に念を押されていた記憶がある。


「有栖ちゃんの真似、する?」

「……い、いえ。確かに少し悩みましたけど、そこまで再現しなくて良いです。だから、一緒に焼きましょう!」


 言いながら、花奈はトングを片手に野菜や肉を並べ始める。「鶏肉は火が通りづらいかも知れないので先に……ステーキもお腹いっぱいだと入っていかないかも知れないので」と言いながらテキパキと動く花奈の姿はむしろ頼もしさしかなかった。


(これ、私が有栖ちゃん枠になっちゃうような)


 苦笑を浮かべながらも、知世は「いや、でもトングは一つしかないから仕方ない」と言い訳を浮かべるのであった。



 お腹いっぱいになったあとは露天風呂だ。

 作中でがっつりと描かれていた訳ではないが楽しみにしていたポイントだった。


「花奈ちゃん、そろそろのぼせちゃうよ」

「わかってます。……わかってますけど」


 知世は今、円型の陶器風呂に花奈と二人で浸かっている。

 バレッタで髪をまとめた花奈の姿は、少し背伸びをしたような可愛らしさがあって新鮮だ。二人で湯船に浸かるのはもちろん初めてで(幼い頃はあるかも知れないが)、意識すると謎の緊張感に包まれそうになる。

 しかし知世の心情は今、それどころではなかった。


「駄目だ。このままじゃらちが明かない。……ちょっと行ってくる」

「そんなっ、知世さん!」


 意を決して立ち上がると、花奈が声を荒げる。

 同時に――急激な寒さが身体中に襲いかかった。

 寒い。寒すぎる。

 バーベキューをしていた時から嫌な予感はしていたが、自分達は少々十二月の気温を甘く見ていたようだ。浴槽に入っている間は幸福感で満たされるのだが、シャワー室へと向かう瞬間があまりにも辛くてたまらない。両腕を抱えてガクガクと震えてしまうレベルだ。


「花奈ちゃん、バトンタッチ」

「は、はい!」

「コツは焦りすぎないこと。滑って転んだりしたら大変だから」

「わかりましたっ」


 爆速で髪と身体を洗ってから露天風呂へと戻ってきた知世は、花奈とバトンタッチをする。再び至福の時間を過ごしながら、「花奈ちゃん頑張れ」と心の中で祈っていた。



 あんな短時間で天国と地獄を味わうことがあるんだ、と思った。

 寝間着に着替えたあとは(知世がグレーのもこもこパジャマ、花奈がくま柄のボアパーカーのパジャマ)、キャンプファイヤーで身体を温める。

 パジャマ姿だと恥ずかしいかも……と思っていたが、あの寒さを経験したあとだ。火に当たって温まりたいと思うのは当然のことであり、更には施設側が用意してくれたマシュマロで焼きマシュマロまで堪能してしまった。知世も食いしん坊という訳ではないのだが、花奈が言うところの「旅行マジック」は恐ろしいものだ、と知世はしみじみ感じていた。


 その後はキャンピングトレーラーでまったりと過ごす。


「あっ」


 時刻は午後九時すぎ。

 眠気がまったくないという訳ではないが、今はキャンピングトレーラーというわくわく空間に泊まっているのだ。早く寝てしまうのはもったいない気がして、知世はリュックから一冊の本を取り出す。


「これ、雫さんの」

「そう、スコアブック。あの時買ったやつだよ」


 言いながら、知世はテーブルの上に柚木園雫のアーティストスコアブックを広げる。初めて花奈と二人でアニメショップに行った時に買ったものだ。


「これでなら弾けるかなと思って」


 スマートフォンを片手に知世は微笑を浮かべる。

 画面に表示されているのはピアノアプリで、花奈の表情は想像以上にぱあぁっと華やいだ。


「えっ、弾いてくれるんですかっ」

「ブランクがあるからあんまり上手じゃないかも知れないけどね。……それでも良いなら」

「もちろんです、聴かせてください!」

「ふふっ、わかったよ」


 興奮気味に前のめりになる花奈を微笑ましく思いながら、知世はスコアブックのページをめくる。せっかく聖地巡礼をしているところなのだ。ここは『あなたの忘却になりたい』のオープニングテーマを選ぶべきだろう。

 改めてキャンピングトレーラーの中をぐるりと見回してから、知世はピアノアプリで演奏を始めた。


「!」


 はっ、と言わんばかりに目を丸々とさせる花奈。まだイントロの段階なのに、花奈はすぐさま何の曲かわかったようだ。流石はおとな木さんである。


 オープニングテーマのタイトルは『藍玉らんぎょくのあなたへ』で、歌唱は柚木園雫。

 メインヒロインである皐月有栖の心情を表わした楽曲であり、幻想的で癖になるメロディーが特徴だ。早速難易度の高い曲になってしまったが、何とか弾き切ることができた。どうやら昔の感覚は抜けていないようだ。

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