40枚目

 もう、何もしたくないと思った。


 笑顔を作ろうにも作れなかったし、もうそんなものに意味があるとは思えなかった。


 誰かを助けた気になっていた。とんだ思い上がりだった。自分はただ媒介となっていただけだ。本当に人助けをしていたのは、命を捧げてくれた人たちだ。


 結は自室に閉じ籠り、死んだようにただ生きる事だけをした。いっその事死んでしまおうかとすら思った。


 人助けをしていない自分など、誰かに迷惑を掛け続けるだけの存在なのだから。


『――ですが途中で通話が途切れてしまって、四島さんは〈キャンサー〉と交戦状態にあるのではないかと思われます』


 しかし、理桜からの報せを受け、結は居ても立っても居られなくなった。大切な友達の命が失われてしまうのではないかと思った時、胸は今までに無い痛みを訴えた。


「行かなきゃ」


 もう起き上がるだけの力も無いと思っていたのに、身体が勝手に動いた。再び戦う覚悟はいつの間にか生まれていた。自分の全てを賭して戦うと決めた。


 だが、それは怜から知らされた真実によって揺らいでいた。


「きみは人助けがしたいと言っていたね」


 怜が刀を振るう。空間の断裂がこちらに飛んで来た。結はそれを潜り抜け、怜に迫る。


「【閃鋏ブライトクロス】!」


 結は巨大な鋏を二つに分けた。二刀流。片方を怜の胴目掛けて振るう。


「きみの行いはただの自己満足なんだよ! きみが戦えば戦う程、数多の若い世界が死に追い遣られるんだ! それらに見向きもせず、良い行いをしたと悦に浸っていたんだよきみは!」


 否定出来なかった。太刀筋が揺らぐ。右手の剣は怜の斬撃によって弾かれ、手から離れる。それは地面を滑り遠くに行ってしまった。


 左手に持った剣を怜に投げ付けるが、易々と弾かれてしまう。その後怜は大きく横に跳び、爛楽の射撃から逃れた。


「昔話をしようか。ぼくはそこそこ裕福な家に生まれてね。父は忙しく中々家に帰って来なかったんだけど、母は子育てに熱心でね」


 怜は爛楽の射撃を弾きながら、結に語り掛ける。


「【閃鋏ブライトクロス】! 一〇倍!」


「ぼくに幾つか習い事をさせたり、色んな物を買い与えたりした。ぼくがピアノを習いたいと言えば習わしてくれたし、欲しい服があれば買ってくれた。そうやってぼくは愛情を受けて育ったよ――ぼくだけは」


 怜がこちらに切り込んで来た。巨大な鋏で斬撃を受け止める。刀に触れている部分が赤く発光し融けてゆく。


「ぼくには五つ歳の離れた弟が居た。弟は、母の愛を受ける事が出来なかった。一〇〇点のテスト用紙を見せても、徒競走で一位になった事を伝えても、母は弟を褒めようとはしなかった」


 結はどろどろに融けた鋏を手放し、後退する。


「それだけじゃなく、日々理不尽な折檻を受けていたよ。まるでシンデレラを見ているようだった。ぼくは気付いたんだ。ぼくは可愛いお人形として母に愛されていたんだ。一方で、弟はお人形にはなれなかった」


「さっきから話が長いのよ!」


 爛楽が怜に接近しながら連射する。大きく宙に上がり、それを避け、刀を振るう。


「災式:【蛇咬粛じゃこうしゅく】」


 炎が長く伸び、爛楽へと向かう。爛楽は大きく回避するが、その先端が爛楽を追い掛ける。


「ぼくは弟が不憫でならなかったよ。だから、たとえ母が弟を冷遇しても、ぼくがその分優しさを与え、ぼくが弟の支えになるんだと決心した。けれど、中々弟を憂鬱から救えない日々が続いてね。

 そんな時だった。母は医者に癌だと宣告された」


 爛楽を炎の蛇に追わせ、怜は再び結へと向かって来る。空間の断裂を飛ばし、特定の方向への回避を強いた後に結へと斬り掛かる。


「病状はかなり進んでいて、すぐに入院となったよ。大掛かりな手術が必要だと言われて、しかも成功の確率はかなり低いときた。自分の母が重い病気となれば、普通はそれを悲しむだろう。

 けれど、ぼくは違った。ああ、罰が下ったんだと思ったよ」


 鍔迫り合いは駄目だと結は気付いた。相手の刀に触れているだけでこちらの武器は融かされてしまう。こちらの攻撃を刀で受け止められたならば、すぐに離す事が肝要だ。何度も続けて音が響いた。


「家に母が居なくなって、ようやく弟に安寧の時が訪れた。弟がぼくに笑顔を見せてくれた時は本当に嬉しかった。もしかして、魔女は本当にこの世に居て、かぼちゃの馬車で弟を連れ出す代わりに母を病気にしてくれたんじゃないかって思った――

 勿論そんな事は無かった」


 空間の断裂が蜘蛛の巣のように展開する。それが結の肌を何か所も裂いた。


「奇蹟が起こってしまった。母の手術は成功したんだ。勿論すぐに退院出来たわけじゃなかったけど、母は家に戻って来た。

 何もかもが、元通りになってしまったよ。ぼくだけが甘やかされ、弟は怒号を浴びる。またそんな日々だ。

 そして――弟は、自ら命を絶った」


 結が握っていた鋏が砕け散った。破片が炎を反射し、紅蓮に輝いて散らばる。暗い色の刀の切先がすぐ傍にまで迫る。結は自分から地面に倒れてそれを避けた。


「母を治した医者は難しい手術を成功させて、さぞご満悦だっただろうね。けれど、母が助からなければ、弟が死ぬ事も無かった!

 病気は母に苦痛と恐怖を齎していたかもしれない。けど、その一方で確かに弟には安寧を齎していたんだよ。

 ひどい皮肉に思うだろう。けれど、それが事実だったんだよ!」


 炎が地面を舐めた。結は慌てて地面を転がるも、左肩を焼かれる。結は呻きながら立ち上がり、再び武器を構える。


「人助けなんてそんなものだよ。

 人は、物事の良い所しか見ようとしない! 

 綺麗な舞台の上だけを見ていて、その張りぼての裏で誰かが泣いていても気にしない。いや、そんなものを見てしまったら気分が悪くなるから、張りぼての裏を見ようとしないんだ!」


「一五倍!」


 鋏を手に、再び怜へと向かう。その時、怜の後方から弾丸が飛んで来るのが見えた。


 それが怜の右腕へと命中する。刀を持つ手。彼女に隙が生まれる。


「はあああああああああああっ!」


 鋏の先端が、怜の右腕を挟み込んだ。ようやく掴んだ好機。鋏を閉じる為、全力を込める。


「効かないよ。そんなものかい?」


 鋏の刃は黒い衣服を裂くだけだった。彼女の皮膚を突き破る事は出来ない。


「だったら――【プラズマME焼切鋏しょうせつきょう】!」


 刃に電流を流す。雷撃に匹敵する程の電気が怜を襲い、迸った電気が夜闇を裂いた。


「かなり痺れるけれど――こんなものじゃぼくは倒れない!」


 鋏から怜の身体が逃れた。そして、彼女の足がこちらへと向かって来る。勢い良く放たれた蹴りは結の腹部に命中した。


「が、はっ」


 結の身体は大きく後ろに飛ばされ、仰向けになって倒れた。口の周りが濡れており、嘔吐したのかと思ったのだが、口元を拭うと袖が真っ赤に染まった。吐血していた。


 身体を起こさなければ、と思った時、空から刀の先端が降って来た。


 結は慌てて身体を転がす。すぐ横の地面に刀が突き立てられた。怜はそれを即座に引き抜き、まだ攻撃を続ける。


「災式:【花鳥風かちょうふう】」


 炎の奔流。先程は広範囲にばら撒き、目眩ましとして使った技だが、今度はある程度炎を集約していた為、結の身体を焼いた。


「熱っ――」


〈メルメディック〉であるが故に、まだ致命傷ではない。しかし、軽傷でもない。治癒には最低でも数分の時間を要する。


「【ブライト――」


 腰から鋏を取り出そうとして気付いた。もう鋏のストックが無い。先程蹴られた時に手放してしまったものが最後の一つだった。また作り出そうと思えば可能なのだが、時間を要し体力も消耗する。


 一旦距離を取り、安全圏で武器を生成する。それしかないと思った。

 怜に背を向け、土を蹴り上げて走る。

 それを追い掛けようとはしなかった。怜はただ刀を振るい、呟いた。


「災式:【花鳥風】」


 炎が放たれた。纏まった炎がレーザーのように結へと向かう。より集約されている為か、先程よりも速い。


 避けられない、と分かってしまった。かと言って、今は武器で受け止める事も出来ない。


 嫌悪の心が込み上げる。覚悟を決めて戦場に来た筈なのに、結局迷いを捨てる事が出来なかった。それが敗因だ。


 炎が、眼前に迫る。


 涙が出そうになる目を閉じた。苦痛には慣れている筈なのに、怖かった。


 だが、予期した背中を焼く熱さはいつまで経っても訪れなかった。


 不自然に思いながら結は目を開く。炎ではない、優しい温かさに覆われている事に気付く。


 そこには、爛楽が居た。力が入らないのか、肩に掛かった腕がだらりと垂れている。

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