22枚目
皮膚が大きく裂け、大量の血が舞う。肉が剥がれて砕ける。ほんの一瞬の間に、彼女を構成する肉体は削ぎ落とされ、減らされてゆく。
「だめ、結が無くなっちゃう!」
今度は確かに声を発する事が出来たが、ずっと墨汁を付けずに使い続けた筆のように掠れていた。
声は届かないようだった。結は更に前へと進む。そうするごとに、徐々にではあったが攻撃は苛烈になる。
腕の肉が、魚の切り身のように、纏まって身体から乖離した。右の耳が丸ごと吹っ飛んだ。脇腹が、大きく消し飛んだ。遠目には通常の血肉と見分けが付かないが、恐らく内臓が零れていた。左腕が、付け根から切断された。
「やああああああああああああああああ!」
だというのに、結は敵へと向かって行った。まるで、それ以外を知らないかのように。
苛烈な攻撃に耐え前進し、ようやく敵を間合いに入れた結は己の武器を振るった。右腕だけでその巨大な武器を敵に叩き付ける。
両方に刃が付いた剣。大きな刀身が『蟷螂』の首へと突き刺さる。
だが、すぐに剣は止まった。傷は浅い。
『蟷螂』の鎌が結へと伸びる。結は今更それを避けようともしていなかった。右の腿がそれによって掴まれる。恐らく、『蟷螂』は攻撃ではなく捕縛を目的としていた。その為に、腿はすぐに切断されず、僅かに血を流すだけだった。
「ヘマしたね」
結の顔に笑みが生まれた。この状況で、あってはならない表情だった。
まるで地面を強く踏み締めるように、結は拘束された右腿を支えとし、踏ん張った。再度、剣を大きく振った。残った身体の全てをその攻撃に乗せた。
銀色の刀身が、『蟷螂』の首を再び狙った。砕け散る黒曜石の装甲。刃は先程よりも〈キャンサー〉の内側へと沈んでゆく。
だが、力を込めれば込める程、右腿への負担が大きくなる。先程より、多くの血がそこからは溢れた。鮮烈な赤色が、爛楽の網膜を貫く。
「やめてええええええええええええええええええっ!」
爛楽の口から絶叫が迸った。
結の右腿が胴体から外れた。
『蟷螂』の首が宙を舞ったのはそれと同時だった。
支えを失って落ちて行く結の身体。一方で『蟷螂』の身体が崩壊し、無へと向かう。
どさり、という小さな音を爛楽の耳は鮮明に聞き取った。爛楽は身体が固まり付いて、何をする事も出来なかった。呼吸すら忘れていた。
数秒経って爛楽ははっとした。
結はどうなっているのか。早く。間に合わなくなってしまう前に。
身体が突き動かされる。先程結の身体が落下した地点へと急いだ。先程忘れていた分を取り返すように、激しく呼吸をしながら、視線を動かし結を探す。
「ここだよー」
ひどく呑気な声が聞こえた。爛楽は声の元へすぐに向かった。
「結っ」
彼女は仰向けに寝転がっていた。その風貌はあまりにも無残だった。身体の至る部分が欠損している。身体が綻びた部分からはまだ血を流しており、赤色が黒いアスファルトへと吸い込まれてゆく。
【挿絵】※残虐表現注意※(https://kakuyomu.jp/users/hachibiteru/news/16818093087185313878)
彼女の様子は公園の芝生で寝転んでいるかのようだったが、実際は寝転がっている事しか出来ないのだろう。結は右脚と左腕を失っていた。
爛楽は声が出なかった。
赤色は、爛楽の頭の中を真っ白にしてしまった。
「そんな驚かなくても大丈夫だよ」
結が言った。そして、包帯を生み出した。白い帯が、結の身体をゆっくりと包んでゆく。
「〈変身〉する時の包帯は、身体を再構成する作用があるんだよ。だから、こうして包帯で包めば回復が早くなるんだ」
「そんなものじゃ……そうだ、〈ライフシリンジ〉! これを使えば、回復するんでしょ」
爛楽は自らの腰に取り付けられた〈ライフシリンジ〉を一つ手に取った。
「駄目だよ爛楽ちゃん。これくらいの傷なら〈シリンジ〉無しでも治るんだから、使っちゃ勿体無いよ」
「勿体無いって! そんな状況で!」
結果として結の言葉に従ったのは、怜との話を思い出したからだった。〈ライフシリンジ〉の能力は不自然に突出している。理桜は何かを隠している。得体の知れないものを結に対して使う事は憚られた。
代わりに爛楽も包帯を出し、それを結へと巻き付けた。決して結の傷を悪化させないよう、操作は慎重に行った。包帯でぐるぐる巻きになった彼女は重篤の患者のようだった。
「そんな顔しないでよー。〈メルメディック〉の身体は普通の人間とは違うんだから、こうして包帯を巻いて数十分も経てば、元に戻るよ」
結はそう言ったが、彼女の身体は普通の人間と何ら変わらない、脆いもののように思えて仕方が無かった。
「前は、大きな傷を負う事もしょっちゅうだったんだよ。最近それが無かったのは爛楽ちゃんが一緒に戦ってくれてたおかげだね。まあー、でも、今回はちょっと色々失敗しちゃったかな。ここまでボロボロになっちゃうとは正直思ってなかったよ。相手が悪かったね。でも、頭とか大切な内臓とかはやられないように、ちゃんと避けたんだ。あんだけ大雨みたいに攻撃を浴びたのに凄くない?」
「ぺらぺらと喋るわね! 少し黙って!」
強い言葉が爛楽の口から飛び出した。別に強く言い過ぎたとは思わなかった。こんな状態で口を閉じない彼女はどうかしている。
爛楽は理桜に連絡を取り、早口で状況を伝えた後、結が無事に回復するように願った。
その願いは真摯なものだった。一方で、込み上がって来る恐怖と、正体の分からないものが入り混じった感情をどうする事も出来なかった。
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