3枚目
様々な懸念が頭の中に生まれ、それが爛楽の思考を圧迫してゆく。
バスの座席で隣同士。物理的な距離は殆どゼロであったが、彼女との隔たりは星と星の間ほどあるように感じられた。
一体病院に行って何をするつもりなのか。爛楽はずっと気になっていたが、結が「好きな動物何?」などの質問を矢継ぎ早にしてくるので聞き出せずにいた。疑問は全く解決に近付かないまま、病院があるバス停留所との距離だけ縮まってゆく。
「そういえば、四島さん下の名前は何なの?」
「
結の質問に簡潔に答えると、彼女は朝日に照らされた水面のように目を輝かせた。
「爛楽って名前なんだ! らんらんー、って感じですっごく可愛いね!」
「当たり前でしょ。名は体を表すって言うし」
暫くして、バスは目的の停留所へと辿り着いた。
均一な白磁色の壁がすぐ傍に聳え立っている。汚れ一つ無いそれは清潔を重んじる精神を体現しているようだった。
(……父さんの、前の勤務先……)
苛立ちのような感情が僅かに生じる。正体は良く分からなかったが、不快である事は間違い無かった。
「それじゃあ行こーっ」
結に連れられるままに自動ドアを潜ると、広々としたロビーが爛楽を出迎えた。大きな吹き抜けの空間が窮屈さを放逐していた。会計待ちだろうか、座席には多くの人が腰掛けている。
様々な人が発する喧騒自体はあるものの、それは絶対的な秩序の範疇にあって非寛容さを感じさせた。沈黙とさして変わりはないと思った。爛楽はこの息の詰まるような病院の雰囲気が苦手だった。
向かう先は入院病棟だった。ここまで来ると爛楽にも目的が見えて来た。誰かのお見舞いをするつもりなのだろう。だが、他人である自分が中に入る事が出来るのだろうかと思っていると、受付の女性はあっさり入院患者のエリアへと通してくれた。
しかし、一体何故他人の自分をお見舞いに連れて行こうと結は思ったのだろうか。
「ここだよ」
長い通路を進んだ先の一室を結は示した。そして引き戸を開けた。
中は個室だった。白の薄いカーテンを夕陽が突き抜け、淡い茜の色に染まった部屋。ベッドの上に居たのは長い髪の少女だった。
「初めまして」
【挿絵】(https://kakuyomu.jp/users/hachibiteru/news/16818093085725700920)
彼女は鈴のような声で言った。それが自分に向けられたものである事は明らかであり、爛楽は身体を強張らせて頭を下げた。
「初め、まして」
当然だが彼女との面識は無かった。だが、見た目から察するに年齢は近い。同い年か、或いは一つ二つ上といったところだろう。もしかすると彼女も美依関の生徒なのだろうか。
「私の名前は
微笑みを浮かべる彼女は病弱という二文字が、今までに出会った誰よりも似合う少女だった。ここが病室だからというわけではないだろう。彼女はとにかく色素が薄かった。そして佇まいも静かで生気を感じ取る事が難しかった。
「それは、どうも」
また小さく頭を下げる爛楽。
「ところで、話はどこまで聞きましたか?」
理桜が問うた。ちらりと隣を見ると、結が口を大きく開けた呆けた顔をしていた。
「何も話してないんですね。まあ大丈夫です。四島爛楽さん。あなたは、超常の存在を提示された時、それを受け入れる用意がありますか?」
「はぁ?」
初対面の人間に対する無礼など考える余裕も無く、素っ頓狂な声を出してしまった。
「例を挙げましょう。現代においては有り得ないとされている、魔法や幽霊が実は存在したとして、その事実を受け止める事が出来ますか?」
質問の意図が分からなかった。話が胡散臭い方向に進んでいる気がする。やはり結に付いて来たのは間違いだっただろうかと後悔の感情が込み上げて来る。
「……魔法だとか、幽霊だとか爛楽は信じてないわ。まあ幽霊はともかく、魔法はあったら素敵だなとは思うけれど」
「それで構いません。仮に、私があなたの目の前で魔法を使い、炎を生み出したとしたら。幽霊を連れて来て、会話をしたとしたら、あなたは目の前の現象を否定せずに、受け入れられますか?」
「まあ、目の前でそれを見せられたら、納得するしかないんじゃない?」
「分かりました。話は長くなりますが、まずそれが存在するのだという前提を持って頂いた方が、その長い話も理解し易くなると思います。そうですね、春瀬さん、お願いできますか」
理桜は結の方を見て言った。
「分かった。それじゃ、ちょっと恥ずかしい気もするけど、見ててね四島さん」
何を? と問うよりも先に結は覚悟を決めたようだった。
「――〈変身〉」
結の身体を中心に、何かが周りに勢い良く広がった。白い帯状のものが幾本も。
(包帯?)
それが結へと巻き付いてゆく。包帯が何度も結の周りを回り、彼女を隠してゆく。全身が包帯に包まれた彼女はまるでミイラか繭の中に閉じ籠る蚕のようだった。
生まれ変わるのだ、と爛楽は直感的に思った。繭を纏うのは大きな翅を広げる為の準備だ。
彼女を覆っていた包帯が弾ける。
結は白とオレンジを基調とした衣服に身を包んでいた。
それは、色違いのナース服のようにも見えた。
「え、ええ!?」
爛楽は大きな声を上げた。突然に目を疑うような現象が起こり、腰を抜かしてしまいそうだった。
「何が起こったの、どうしてこんな事が、その恰好は何なの!? さっきまで来ていた制服はどこに! これじゃアニメのコスプレじゃない!」
「四島さん、病院だから静かに……」
「病院でコスプレする奴にモラルを説かれた……」
ショックを受けながらも結の衣装を食い入るように観察する爛楽。腰の辺りには鋏や注射器のようなものが幾つか取り付けてあった。
「一瞬でこの衣装に着替えるなんて……手品、じゃないわよね……」
混乱は加速する。身体の色々な所を触られる事に結は微妙な反応をしていた。
「手品ではありませんよ。結は〈変身〉をしたんです」
背後から声がした。理桜だ。彼女はベッドの上で相変わらず落ち着いた笑みを浮かべていた。
「〈変身〉と言われても……これが魔法だっていうの?」
「魔法のように通常は不可能な事を可能とするものではあります。出来る事は瞬間的な衣服の転換だけではありませんが、いずれもこの場所で行うには相応しくないのですぐにはお見せ出来ません。申し訳ないです」
怪訝な表情を浮かべる爛楽。隣に立っている結が補足する。
「周りの物を壊しちゃうかもしれないからね。今のわたしは凄い威力の攻撃を出す事が出来るんだよ。腕力だって凄い事になってるしね」
そう言って力こぶを作るポーズを見せる結。上腕が何倍にも膨れ上がるわけではなく、華奢な女の子の腕があるだけだった。
「攻撃、ってあんた何かと戦うの?」
まさかと思いながら爛楽が尋ねると、結は小さく首肯した。
「そうだよ。戦う事が、わたしの使命なんだ」
その言葉に一切の澱みは無かった。その視線はあまりに真っ直ぐで、彼女の瞳の奥に純粋な精神を見る事が出来るような気がした。
「この世界には多くの病魔が存在します。人を蝕むものだけでなく、世界そのものを蝕むものも存在するのです」
理桜は白い部屋の中に説明を並べてゆく。
「放っておく事は出来ません。看過すれば、世界は病魔によって蹂躙されてしまいます。そして、その行く末は破滅です。何としても食い止めなければなりません。世界を蝕む病魔と闘う為、世界に選ばれた少女が居ます。それが、〈メルメディック〉です」
「〈メルメディック〉……」
小さく呟きながら結の方を見遣る。
「何故あなたが私の元に呼ばれたのか、段々と見当が付いて来たのではないでしょうか」
「爛楽がそれに選ばれたって事――」
小さく笑みを作りながら言うと、理桜は頷き肯定を示した。
「爛楽も春瀬さんみたいに、〈変身〉して戦えと。戦う相手、病魔? っていうのが具体的に何を指してるのか知らないけど」
「人助けだよ、四島さん!」
隣の結が大きな声で言った。
「人助け?」
「うん。多くの人たちが危険に晒されてる。でも、皆その事を知らないんだ。わたしと四島さんには〈メルメディック〉の力がある。その力を使って、多くの人たちを守る事が出来るんだよ! それって、凄く良い事じゃない?」
屈託の無い笑顔を見せ、〈メルメディック〉とやらの素晴らしさを説く結。
「そう。つまり今回の件は一緒に人助けをしないかっていう勧誘なんだ」
「うん、そうなるね! 四島さんが〈メルメディック〉になってくれたら凄く心強いよ!」
人助け。
それを自分がするかしないかという簡単な選択肢。
だとすれば、答えなど初めから決まっている。
「嫌よ。爛楽は人助けなんかしないわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます