13枚目

「――〈変身〉」


 息を切らしながら走り、無人空間との境界を超えた結は小さく呟いた。彼女を包む衣服が煌びやかな〈メルメディック〉の衣装へと変化する。


 結は疾走した。先程よりも、格段に速い。それから、大きく跳躍し建物を跳び越す。駅の周辺、背の高い建物が多いが、〈メルメディック〉はそれよりも高く舞う事が出来る。

 理桜は観測した〈キャンサー〉の空間座標を中心として〈類元空間〉を作成する。つまり、この無人の空間のドームの中心を目指せばそこに〈キャンサー〉が居る。もっとも、自分が辿り着くまでに〈キャンサー〉が大きく移動するというのも十分に有り得る事だが。


「さて、どこかなー。ステージ1のうちに早く倒しちゃわないと」


 高い建物の上に登り、周囲を見回す。建物がずらりと並ぶ様は栄えた街である事を示している。それでいて、今は人の居ない寂しい街だ。


「おや……? あれかな? 変なうにょうにょ」


 時間の停滞した空間の中で、空に向かって伸び、波打つように動く不自然な曲線。それが〈キャンサー〉である事は疑いようが無い。

 それに接近してゆく結。段々とその全容が見えて来る。


 黒く丸い身体に平たく大きな耳と、短い手足が付いている。そして、空に向かって伸びる長い曲線はその尻尾だった。


ねずみさんかな?」


 勿論、その大きさは普通の鼠の数百倍。しかも比率として尻尾が異様に長い。

 結は腰に指を遣った。自分の武器、鋏へと指を掛ける。それと同時に、そのすぐ傍にある注射器にも意識を向ける。

 使わずに倒せるように努力はする。だが、使うべき場面になったならば、迷わずに使用する。その為の準備としての意識だ。この注射器は非常に貴重なものだ。決して無駄にしてはならない。


「【閃鋏ブライトクロス】。行くよ――二〇倍!」


【挿絵】(https://kakuyomu.jp/users/hachibiteru/news/16818093086105620412


 巨大化する鋏。〈キャンサー〉がこちらに気付いた。怪物と人の視線が交わる。

 目は口ほどに物を言う。それは〈キャンサー〉であっても同じ事。結は〈キャンサー〉の視線から強い警戒と敵意を感じ取った。


 お互いが動く。


(速い!)


『鼠』は俊敏に地面を駆け、結へと接近する。あっという間に距離が詰まる。

 それはまるで景色の中に黒いマジックペンで勢い良く線を引いたようだった。こちらに、細長いものが迫る。『鼠』の尻尾だ。


「ぐっ!」


 咄嗟に鋏の腹で受ける。結の身体が少し浮かび上がり、後ろに飛ぶ。倒れないように気を付けながら着地する。


(速いし、重い!)


 どうやら楽に倒せる相手ではなさそうだ。固唾を呑み、敵を視界の中央に捉える。


「その尻尾、チョッキンしちゃうからなー!」


 武器を構え、敵へと飛び込む。鋏を開き、こちらに伸びていた尻尾を切断しようと試みる。だが、細長いそれは刃と刃の間からするりと逃れた。


「ま、そうだよね。チャームポイントを切られたくないよね。だったら」


 結は巨大な鋏の柄を左右へと引いた。するとそれは刃を開くのではなく、分離し二つの大きな片刃剣となる。


「二刀流でどうかな。形状変転:【対鋏刀ついきょうとう】! これで手数を増やして攻撃を当てる!」


 二つの刃の先端を『鼠』へと向ける。尻尾が鞭のように動き、こちらへ迫る。

 右の剣で攻撃を受け止める。刃に黒い曲線が触れ、火花を散らす。


「硬いね!」


 柔軟に動く割に、尻尾の耐久度は高いようだ。今こちらの剣に触れた部分に傷が付いた様子は無い。


 ならば、狙うべきはあの本体。


 結は前へと踏み出した。すかさず、それを阻むように尻尾が横薙ぎに振るわれた。結は跳躍し、それを回避する。


「縄跳びみたい! わたしは縄跳び苦手だったけど!」


『鼠』が大きく口を開けてこちらへと飛び込んで来る。鋭い歯。速い突進。だが、見切る事は出来る。擦れ違い様に、斬撃を浴びせる。『鼠』の身体に一本の筋が入った。

 黒い結晶が細かく宙に浮かび、『鼠』は大きな悲鳴を上げた。すぐに反撃があった。尻尾が再びこちらへと向かって来る。

 側転し、尻尾を回避。そこから再び攻撃へと転じ、大きく前へと出た後、鋏を分割した剣を前に突き出す結。しかし、『鼠』の動きは素早い。四本の脚が動き、刃から逃れる。


 唐突に明後日の方向を向いたかと思えば、建物を駆け上がる『鼠』。距離を引き離しながら、尻尾を振るう。本体を追い掛けたいものの、これでは接近する事が出来ない。

 隣に建つ別の建物に登る結。その途中にも鞭のような攻撃が結を襲った。建物の壁を構成するコンクリートが弾け、粉塵を舞わせた。

 屋上へと辿り着く。そこから『鼠』が居る建物へと飛び移ろうとする。


 だが、それよりも前に『鼠』が大きく跳躍した。青空を大きな図体が覆い隠す。結の元に凶暴な顔が落ちて来る。


「ちょっ」


 ここから攻撃を繰り出すのは危険だと判断した。『鼠』の下を潜り抜けるように動く。


 だが、脚に何かが絡まった。


「尻尾!?」


 黒い尻尾の先端の方が結の脚部に巻き付いていた。早く逃れなくてはまずい。結は分割していた鋏を再び結合させる。そして、その刃を尻尾へと向ける。分割した状態で損傷を与えられなくても、これならば尻尾を切断出来るかもしれない。

 だが、結の身体が尻尾の動きによって大きく振り回される。結の瞳に映る世界が不規則に回転していた。二つの刃の間に尻尾を捉えようとするが、それが中々出来ない。

 何もかもが滅茶苦茶な視界の中。建物が自分に急速に近付いているのが分かった。


 建物に叩き付けられる。その事を悟った。


 短い一瞬の中で必死に足掻くものの、尻尾による拘束は堅固だ。逃れられない。


 ああ、駄目だと思った。


 光が景色を裂いた。


 眩い一筋の光は結の脚に絡み付いていた尻尾に直撃した。そして、その先を切り離す。

 唐突に浮遊感が結を包んだ。足を下にやって着地しなくてはという考えが頭の中に浮かんだ。だが、その必要は無かった。


 何かが結の身体を受け止めた。


 その時に感じた温度は、冬の寒さの中でずっと焦がれていた陽光のように感じられた。


「何遊んでんのよ。さっさと倒しなさいよ」


 黒い髪とピンクの髪が、混ざりながらはためく。大きな瞳がこちらを覗き込んでいた。


「四島さん!」


 結は歓喜の声で彼女の名前を呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る