第三章

16枚目

 とにかく暑かった。


 副詞としてクソという言葉を使いたくなるほどだ。つまり、クソ暑かった。

 爛楽は入念に日焼け止めを塗って外に出て来たのだが、汗で全て落ちてしまいそうだった。紫外線は肌にとっての大敵だ。爛楽はなるべく日陰を歩いて街を進んだ。勿論、コンクリートの街並みは日陰であっても十分に灼熱だ。


 こんな日に外に出たくなかったのだが、後回しにする事は良くないと意を決し街へ飛び出したのだ。一学期の期末試験が段々と近付いて来ていた。

 買わなければいけないものが多くある。さっさと買い物を済ませてクーラーの効いた自宅に舞い戻ろうと決意した時だった。


 少し歪む景色の奥に、見覚えのある人影があった。


「あれは、結……?」


 目を凝らせば凝らすほど、それは結にしか見えなかった。こんな暑い中、何をしているのだろうか。気になって近付いて行くと、彼女の傍に腰を曲げた老婆が居る事に気付いた。


「え、えーとこっちだと思ったんですけど、ごめんなさい! こんな暑い中いっぱい歩かせてしまって」


 結は顔の前で手を合わせ、老婆に謝罪をしていた。「いいのよぉ」と温和そうなおばあちゃんの声。


「何してんの? 結」


 声を掛けると、結は余程吃驚したのか、身体を跳ねさせた。


「あ、爛楽ちゃん! こんな所で会うなんて、凄い偶然だね!」

「そうね。それで、何があったの?」

「実は、かくかくしかじかで」


 結の話に別段複雑な所は無かった。偶然出くわした老婆が道に迷っていたので声を掛け、目的地まで連れて行ってあげようと思ったが、その目的地が中々見付からないのだという。


「そういう事ね。おばあさん、目的地の名前は何て言うんですか?」

「〇×会館という所で……」

「〇×会館ですね。分かりました。ちょっと待って下さい」


 そう言って、爛楽はスマホの地図アプリを起動し、目的地の名前を入力した。現在位置のすぐ傍に場所を示すマークが表示された。


「確かに、分かり辛い位置にありますね。付いて来て下さい、案内します」


 爛楽は老婆のペースに合わせながら目的地へと向かった。五分ほど歩くと無事に目的地に辿り着いた。


「本当にありがとうねえ。凄く助かったわ」

「いえいえ。大した事ではないですよ」


 お互いに礼をして、その老婆とは別れた。老婆の背中が建物の中に入って行く様子を見届けた後、爛楽は踵を返した。


「ありがとう! 爛楽ちゃん!」


 唐突に結が抱き着いて来た。全身で喜びを表現している。


「どういたしまして! でもめちゃくちゃ暑いわ! 離れて!」


 結を引き剥がす爛楽。相変わらず結は一々大袈裟だと思う。


「本当にありがとう! わたし、本当に本当に感謝してるよ! どうやってお礼すればいいか……そうだ! さっき歩いてる時にファミレス見掛けたよ! 行こうよ! 好きなもの頼んでいいよ! 全部わたしが奢るから!」


「えっ、そんなに……? まあいいわ。確かに喉も乾いたし、お言葉に甘えようかしら」


「うん! さー行こ行こっ!」


 こんなにも暑いというのに、結は元気を振り撒いており、小学生を見ているようだった。

 スキップをする結の隣を歩きながら、ファミレスへと向かう。


「あ」


 ふと、爛楽は重大な事に気が付いた。


 それは、彼女のアイデンティティの根幹に関わる事だった。


「普通に人助けをしてしまった……ッ!」


   □■


 ファミレスの中は冷房が効いており、外と比べれば天国のようだった。


 店内は空いていた為、六人掛けの座席へと通された。結と爛楽は向かい合って座った。爛楽の前にある更には丸い抹茶アイスが乗っていた。今日は沢山汗をかいてカロリーを消費したのでこれを食べてもお釣りがくる。


【挿絵】(https://kakuyomu.jp/users/hachibiteru/news/16818093086353605816


「九。これが何の数字か分かる?」


 口の中に運んだアイスが無くなった後に、爛楽は結に問うた。


「え? 爛楽ちゃんの年齢……?」


「あんたと爛楽は同学年でしょうが。爛楽は飛び級スーパーエリートか?」


 小さなスプーンが再び抹茶アイスを掬った。


「爛楽が今までに倒した〈キャンサー〉の数よ」

「もうそんなになんだ。まあ、爛楽ちゃんが〈メルメディック〉になってもう二ヶ月弱だもんね」


 笑顔で苺のアイスを口に運ぶ結。爛楽は溜息が出そうだった。


「人助けなんかしないってあれだけ言ってたのにこのザマよ――いや待て、〈キャンサー〉を倒す事が出来なかったら、それはこの街、ひいてはこの世界の大きな危機となるわけで、当然そこに住まう爛楽にとっても重大な問題だわ。だからそう、あくまで爛楽は自分自身の為に行動しているのであって、まあ結果的に皆の事も助けてしまってるわけだけど……」


 何とか理屈をこね回し、正当化を図る爛楽。


「別に、普通に人助けすればいいんじゃないかな」


 小さく笑いながら結が言った。


「嫌よっ」


 その語気が意図せず強くなってしまった。結の驚いた顔が目の前にあり、しまった、と思う。


「……爛楽ちゃんは、どうしてそういう風に考えるようになったの? その、人助けなんかをする人はカスかバカかって……昔に、何かあったの?」


 すぐに口は動かなかった。だが、隠しておきたい事というわけではない。


「聞いてて気分の良い話じゃないわよ。多分、結が思ってる以上に重い話よ」


 それでも覚悟はあるのかと問い掛ける。


「大丈夫だよ。単なる好奇心じゃなくて、大切な友達の事をもっと知りたいって思うんだ」


 真摯な瞳がそこにはあった。爛楽は小さく溜息を吐く。


「そうまで言われたら、こっちも言うしか無いわね。いいわよ――実はね、爛楽のお父さんって医者なの」

「え? そうなの? 凄い」


「医者の家は皆お金持ちだと思った? ピンからキリよ。まあ、爛楽の家も、普通の家庭と比べれば裕福ではあると思うけど」


 どう反応すれば良いのか分かりかねてるのか、結はぽかんとした表情を浮かべていた。


「爛楽たちがいつも行ってる総合病院。あそこ、お父さんの前の職場なのよ」

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