27枚目

 気絶していたわけではない。爛楽はそう分析した。


 大きく吹き飛ばされたのだが、傷は殆ど無かった。土がクッションとなっていたようだ。口の中に入っていた土を吐き出しながら立ち上がった。


「敵は……皆は」


 そう呟きながら視線を彷徨わせる。すぐに結が見付かった。彼女は爛楽より負傷が大きかったのか、苦悶の顔を浮かべながら立ち上がろうとしていた。

 怜と舞葉は少し離れた所に隣同士で立っていた。だが、その様子はまるで棒立ちだ。何かに視線を奪われて、そのまま呆気に取られているような――。


 爛楽は二人の視線を辿った。そして、それを目にする。


「何、あれ」


 湿度を失った小さな声が漏れた。


 それが〈キャンサー〉である事はすぐに理解出来た。だが、それが先程まで戦っていた相手だと理解するのには時間を要した。


 何故ならば、その形状が大きく異なっていたからだ。大きさは先程の数倍。『百足』の平たく長い形状とは打って変わって、何とも言い表せない姿をしていた。完全な異形だ。全体的なシルエットは鐘に見えない事も無いが、それ以外に鐘との共通点を探す事は出来ない。表面は黒く、ぼこぼこしている。したがって、それは『塊』としか言い表せない。だが、部分的に『百足』の面影を残している部分もある。例えば大きな図体を支えているのは何十本とある『百足』の脚だ。この形状は先程と酷似している。また、身体の至る所にある双眸も先程と同じに見える。


 だが、見た目の変化以上に、それの発する重圧が全く異なっていた。今と比較すれば、先程など真綿に等しい。

 息が出来なかった。汗が止まらない。自らの鼓動に血管を破られそうだった。

 先程とは全くの別物。正真正銘の怪物。あれは、何。爛楽が疑問を頭の中で唱えた時、その答えを齎してくれたのは怜だった。


「――ステージ2だ」


 それを聞いて、爛楽は呆然とした。


〈キャンサー〉は通常ステージ1の状態で観測される。普段爛楽たちが相手にしているのもステージ1の〈キャンサー〉だ。発生した時点の〈キャンサー〉はステージ0なのだが、その状態では発する力が微弱過ぎて感知が出来ない。〈キャンサー〉は時間を経るごとにステージを進める。ステージ0からステージ1へと。そして、ステージ1の状態で〈メルメディック〉に倒されないまま十分な時間が経過すると、ステージ2へと至る。


「ステージ2……ステージ1とは桁違いの力を持っている、のよね」


 そう口にして、馬鹿馬鹿しいと爛楽は思った。そんな事、確認する必要も無い。

 感じる。分かってしまう。目の前の敵は、桁違いの強さを有していると。


「くそっ、こんなに早くにとは――やけに進行が速いじゃないか。もう出し惜しみは無しだ。〈ライフシリンジ〉を使ってあいつを倒す。多分だけど、もう普通の攻撃は碌に通らないだろう。どいつに〈シリンジ〉を刺したら良いか、明白になったのは唯一の幸運だね」


 恐怖と緊張から生まれた笑み。それが怜の顔にあった。

『塊』は動かない。先手などくれてやると言わんばかりだ。巨体で悠然と佇み、数え切れない程ある眼で世界を眺めていた。

 自分の脅威たり得るものなど、どこにも有りはしない。眼はそう失望を訴えていた。


「いっちゃん機動力のあるうちがあいつに〈シリンジ〉を刺す!」


 そう名乗り出た舞葉。危険だと止める者は居なかった。舞葉が空高くから。そして、結は地面から『塊』へと迫る。


「目潰しくらいには!」


 爛楽は【ハニーメディスン】を撃った。他の部分に当たる事は構いはしないが、眼に当たる事は嫌がるような素振りを見せた。少しでも視界を奪えば、舞葉が接近する助けになるだろう。


 舞葉はまるで戦闘機のように空を裂き、『塊』へと接近する。その右手に〈ライフシリンジ〉を構える。


 迎撃は無い。もう少しで敵の元に辿り着ける。〈ライフシリンジ〉の一撃必殺を喰らわせる事が出来る。


 その時、『塊』の眼が飛び出した。


 違う。『百足』の長い身体が『塊』の中から飛び出したのだ。まるで眼だけを外に出し様子を伺う貝のように、『百足』の身体は『塊』の中に格納されていたのだ。


「なんっ」


 目を見開く舞葉。それはまるで『塊』の腕だった。その腕の先端が舞葉へと迫る。


「かっ」


 一瞬の事だった。伸ばされた『百足』の身体の先端にある巨大な顎。それが舞葉の胴に噛み付いた。

 そして、舞葉の上半身と下半身は分離した。血と内臓を撒き散らしながら、舞葉の身体は落下してゆく。


「まっ、まだや!」


 舞葉の行動は迅速で、適切だった。右手に持った〈ライフシリンジ〉。それを自らの胸に突き立てた。即座に再生を始める舞葉の身体。腰から下は完全に無くなっていたが、それも一瞬のうちに形作られる。肉体だけでなく、〈メルメディック〉の衣装まで再構成される。


 致命傷から一瞬の内に全快する舞葉。その様子を見て、舞葉はある事を思ってしまった。


(あれが〈ライフシリンジ〉……本当に、強すぎる)


 怜との話が頭の中で蘇る。駄目だ。今は余計な事を考えるな。命のかかった戦いの最中だ。爛楽は思考を締め出し、弾丸を放った。


篝埜かがりのさん!」


 巨大な鋏を携えながら結は舞葉へと近付いて行く。舞葉は完全に回復したのだが、一つ問題を抱えていた。手に持っていた〈ライフシリンジ〉はたった今自分に使ってしまった。そして、残り二つの〈ライフシリンジ〉は泣き別れした下半身の方にある。


「これ使って!」


 結は自らの〈ライフシリンジ〉を一本放り投げた。舞葉はそれを右手で受け取った。


「おおきに!」


 その後、結は自らも『塊』へと向かって行く。『塊』は多くの脚を持っているものの、図体が大きく重い為か、殆ど移動をしなかった。結が十分に距離を詰めると、先程とは別の眼が飛び出した。『百足』の身体が結へと襲い掛かる。


「ぐっ」


 体当たりによる思い一撃。巨大な鋏の質量でそれを防ぎ、大きく振り回して結から攻撃を繰り出す。それは『百足』の身体を大きく弾いた。その隙を逃さず、『塊』に更に近付く。〈ライフシリンジ〉は末端に刺しても十分な効果を与えられない可能性がある。例えば、『塊』から伸びた『百足』に〈ライフシリンジ〉を撃ち込んでも、その部分を切り離し、薬が全身に回るのを阻止されるおそれがある。


 故に、狙うのは『塊』本体。


 再び『百足』の身体が飛び出した。一気に三本。これは捌き切れなかったようで、結の身体は攻撃を受けると大きく後方に吹っ飛んだ。


「【ルーラーアキュパンクチャ】!」


 結に追撃しようとする『百足』に怜が鍼を突き刺した。だが、それで動きが止まるのは鍼の刺さった『百足』のみ。他の『百足』や『塊』本体は影響を受けていないようだった。


 舞葉は空中から再び接近を試みる。『塊』の注意が結に向いているこの好機を逃すまいとの行動だろう。


 だが、『塊』の眼は無数に存在する。


『百足』の身体が飛び出した。舞葉は迫り来る『百足』を身体を回転させ寸前で回避。更に、もう一匹、もう一匹と『百足』が飛び出しては舞葉へと襲い掛かる。

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