42枚目

 傷を回復する為の時間稼ぎだった。


 火傷などの外傷はかなり回復したものの、二種類の【ブースター】による副作用は依然としてある。ただ、じっとしていて回復に専念した分、多少ましにはなっている。


「結! 良く持ちこたえてくれたわ!」


「うん! 爛楽ちゃん――良かった!」


 自分がまだ生きている事を何度も確認するように、こちらを見て名前を呼んだ。爛楽は自分でなく敵の方を見ろと顔の動きで指示する。


「どうしてこの世界が他の世界に比べて異様に長生きなのか分かるかい?」


 怜が唐突に問い掛けを発した。


「さあ?」

「この世界には医療があったからだよ。普通、世界というのは数億年もすれば様々な病に罹って死んでしまう。それこそ癌みたいな病で死ぬのが多数だ。けれど、この世界は医療で病を治してしまった。医療というのは、自然の理に反する力なんだよ」


 刀を構える怜。攻撃が来る、と爛楽は身構えた。


「世界は、医療の力を自らの仔たる生命に分け与えた。その禁断の力によって生まれたのが〈メルメディック〉だ。存在してはいけないんだよ! この世界も、きみたちも!」


 空間の断裂。爛楽は地面を蹴り、それを回避した。そして、弾丸を放つ。繰り返し放たれる弾丸はその多くが彼女を通り過ぎてしまうが、その中の幾つかは命中し、小さな傷を作る。


「滅ぶべきものを生かし、その皺寄せが別のものを滅ぼす!

 医療があまねく人々を救済するなんて幻想だ。清廉潔白を装った表情の裏には格差、差別が蔓延はびこっている!

 政治家などの社会的階級が高い人間は優先的に医療を受けられる。医療費は高額で、貧困者は治療を諦めざるを得ない。そもそもまともな病院が無い地域だって沢山ある。

 救済の手から零れ落ちてゆくのは弱者ばかりだ! 医療は強者が転落しない為――その下の者たちに、椅子を明け渡さないようにする為のシステムでしかない!」


 怜は爛楽へと急接近し、刀を振るう。大振りの一撃を回避した後、爛楽はそこに四発弾丸を叩き込む。しかし、怜の動きを止める事は出来なかった。続けて、炎が振り撒かれ、爛楽は後退を強いられた。


(どうすれば勝てる……?)


 爛楽は思考する。何度か攻撃を当てる事は出来ている。だが、そのいずれも怜に致命傷を与えるには足りていないのだ。ここから怜の組織を手に入れ、【スキルブースタ―】を重ね掛けし、【アンチバイオティック】を撃っても恐らく足りない。怜が倒れるより先に、こちらが副作用や体力切れの為に倒れてしまうのが目に見えていた。


「不平等な選別をいつまで続けるつもりだ! その点、病は比較的平等だ。劣悪な生活環境の中にある人が病に罹り易いのはあるが、病原菌は特権階級への忖度を知らない」


 空間の断裂が細長く伸び、こちらに迫る。回避し切れない。爛楽の腿が赤く弾けた。痛みに呻きながらも、爛楽は怜に勝つ為の手段を探していた。


「人助けなんかやめろっていうのは同意よ!」


 叫びながら爛楽は引き金を引く。更に展開された空間の断裂でそれらは掻き消された。背後から結が切り込む。怜は咄嗟に回避するが腕に小さな傷を作った。


「ならば銃を納めるんだね!」


 広範囲を炎が満たしてゆく。怜の姿が紅蓮の中に隠れる。爛楽は最大限の警戒を払う。先程結は炎をカモフラージュにして鍼を打ち込まれてしまった。


(そっか……あいつはまだ〈メルメディック〉なのね……)


 てっきり、〈キャンサー〉の黒い装束を纏った時に〈メルメディック〉の力は消えてしまったものと思い込んでいた。結も同様に考えていたのだろう。その心理を利用し、虚を突いて鍼を刺した。


 その時、爛楽の頭に一つの手立てが浮かんだ。それは天から降って来たもののように思えた。


(何とかなるかもしれない……! 結のおかげだ)


 ようやく見い出す事の出来た活路。その事を怜に悟られないように、表情を変えない事に努めた。頭の中で何度も勝利までの道筋をイメージする。勿論、思い描いた通りに事が進むとは限らない。その事は重々承知している。しかし、そのたった一本の光明に託すしかないのだ。


(いや、〈ライフシリンジ〉を使わないなら、という話ね……やってやるわ!)


 炎がゆっくりと消えてゆく。怜は結の方へ向かい、斬撃を放っていた。


「【ハニーメディスン】! マガジン:リリース! ――ロード:【スキルブースター】!」


 弾倉を入れ替える。そして銃口を自分自身へと向ける。


 引き金を引いた。一度だけでなく、何度も。爛楽の肌に食い込んだ薬は、爛楽に作用を及ぼす。先程よりも大きい強化効果。そして、副作用。


「オーバードーズよ!」


 爛楽はそう言って笑った。苦痛だけではなく、感覚を狂わされている事による快感もあった。明らかに健康が損なわれていた。


「薬は適量を守りなよ!」


 怜の正論が飛んで来た。爛楽はそれには構わずに弾倉を入れ替える。


「マガジン:リリース! ロード――」


 それが終わると、照準を怜へと向けた。苦痛と快感が頭の中で飽和し、意識がショートしてしまいそうだった。


(何かを犠牲にせずに何かを助けるなんて無理なのかもしれない。今、爛楽はこうして自分自身を犠牲にしている)


 引き金を引く。銃口から弾丸が飛び出した。


「だとしても! この行いに意味が無いなんて事はない!」


 二発の弾丸が怜の腕へと突き刺さった。更に一発の弾丸が腹部へと命中する。怜は顔をしかめた。


「さっきよりは痛いよ。けれど、所詮は豆鉄砲だね! ――災式えんしき:【花鳥風かちょうふう】!」


 怜は炎を広範囲に撒いた。彼女に接近出来ない上に、炎が姿を覆い隠し狙いも定められない。


「でも、もたもたしてらんないのよ!」


【スキルブースタ―】を重ね掛けしてしまった。副作用の蓄積が、やがて爛楽を戦闘不能にしてしまう。タイムリミットは恐らくあと数分。


 爛楽は炎の中に飛び込んだ。痛いのは嫌いだ。特に熱いのは嫌いだ。何故ならば、あの時の事を思い出してしまうから。


 それでも、今の爛楽をこんな炎では止められない。


「あああああああああっ!」


 身体が焼かれる感覚に悲鳴を上げながらも、炎を掻き分け進んでゆく。


 唐突に、怜の驚いた顔が現れた。


「正気か――」


「正気でなんかいられるか!」


 眩い赤色の中で黒い布をはためかせる怜に、幾つもの弾丸を叩き込んだ。斬撃が飛んで来る。炎の中を転がって、刃から逃れる。刀の間合いから逃れた所で、再び照準を定める。羅針盤のように、銃口は正確に怜を指し示した。


 二丁の銃が叫んだ。迸る弾丸が次々に怜の身体へと喰らい付く。


 輝く炎の中から、別の輝きが現れる。炎を反射し赤く染まった刃。


「やああああああっ!」


 結が炎の中で大きく鋏を振るった。激しい音が鼓膜を殴る。灼熱の中で高速の剣戟が繰り広げられる。その隙を突き、爛楽は更に銃弾を怜へと放つ。


(そろそろの筈……ッ!)


 願うように爛楽は心の中で呟く。これ以上は身体が保たないというのが実際の所だった。


「【プラズマME焼切鋏しょうせつきょう】!」


 結が電気を纏った鋏の一撃を繰り出した。眩い炎の中にあって、その電光ははっきりと見る事が出来た。結の渾身の攻撃だという事が分かった。


 鋏と刀がぶつかり合う。そして――。


 暗い色の破片が飛び散った。


「な、に――!?」


 怜の表情が、塗料の中に顔を突っ込んだかのように、驚愕に染まった。


 怜が押し敗けたのだ。その現象が信じられないようだった。彼女が手に持った刀は鍔の少し上から刀身が無くなっていた。


 しかし怜はまだ冷静さを幾分か有しているようだった。すぐに結の近くを離れ、再度武器を生成する。


「【屍月炎蝕しげつえんしょく】ッ」


 壊れた刀を捨て、新たな刀を握る怜。


 しかし、彼女はすぐに反撃へと転じる事が出来なかった。


 怜の纏う黒い装束が末端の方から灰のように綻びていった。そして、轟々と燃え上がり、辺りを満たしていた炎は酸素を断たれたかのように、その勢いを急速に失った。


「な、何が起こっているんだ……!?」


 手に持つ刀の刃が渇いた土のように、少しずつ砕けてゆく。その様に狼狽を露わにした。


 怜の力は失われつつあった。


 それは爛楽たちからすれば大きな希望であったが、怜にしてみれば絶望そのものであった。


「ぼくに何をしたんだ、春瀬――いや、四島爛楽!」


 噛み付くように爛楽の方を見遣る怜。


「薄々思っていたわ。あんたは、ステージ3にしてはそれ程強くないって」


 爛楽はそう言い放った。怜はその言葉の意図が理解出来なかった為か、更に表情から平静さが消える。


「勿論、ステージ2よりは強かった。けれど、飛躍的に強いわけじゃない。そういうものかとも思ったけれど、合点がいったわ。

 それは、あなたの中に〈メルメディック〉の力が残っているからだった」


 呆然とする怜。爛楽は話しを続けた。


「あなたが結に〈メルメディック〉の能力を使った事で、それははっきりした。〈メルメディック〉の力は〈キャンサー〉の力を抑圧する。それはあなた自身が話した事よ。

 だから、爛楽はあんたに【スキルブースター】を撃ち続けたの。【スキルブースター】を重ね掛けして、効果の上がった【スキルブースター】をね。ちゃんと数えてないけど、一〇発以上は命中したんじゃない?

 それで、あなたの中の〈メルメディック〉の力を無理矢理増大させたのよ――そしてそれが、あなたの中の〈キャンサー〉を破壊した」


 成功するかどうかは分からなかった。早い内に目論見が露見してしまえば全てが水泡に帰しただろう。だが、爛楽は賭けに勝ったのだ。


「あんたはまだ〈メルメディック〉だった。その事が、爛楽たちに勝利を齎したのよ」


「そんな、馬鹿な事がッ!」


 怜は地面を蹴った。そして、一直線に爛楽へと向かった。今にも折れてしまいそうな刀を振るった。


 爛楽は姿勢を低くして避ける。そして、至近距離での発砲。怜はそれを身体を捻じって避けた。


 そこに、爛楽は銃を撃つのではなく、本体を投げ付けた。


「なっ」


 虚を突かれる怜。それだけではない。怜の顔の近くへと投げ付けられた銃は彼女の視界を一瞬奪った。


 そこに爛楽は自らの拳を叩き込む。確かな手応えがあった。


 身体を仰け反らせながらも、怜は倒れなかった。しかし、頬を手で押さえて、呆然とした表情を浮かべている。ただのパンチでここまでのダメージを負う筈が無いと言いたげだった。


 自らの危機を察し、爛楽から距離を取る怜。


 地面に落ちた銃を拾い上げ、爛楽は怜へ向かって叫ぶ。


【挿絵】(https://kakuyomu.jp/users/hachibiteru/news/16818093089241438341


「怜! ――あんたには、助けたかった人が居るんでしょ!?」


「何を言い出すんだ、きみは……」


「この世界に絶望した。それは本当の絶望だった。けれど、それでもまだ誰かを助けたいって思ってるんでしょ!?」


「違う!」


 怜は喉から否定を絞り出した。手に持った刀が砕けて、その欠片が地面に降り注いだ。


「爛楽も、あんたと一緒よ」


 爛楽は愚直に怜へとぶつかってゆく事を決めた。その為に、自分を晒しても良いと思った。


「あんたは、人助けを選別だと言った。悪い事だって。爛楽は、それを否定出来ない。それは目を逸らしちゃいけない事だと思う。

 けれど――選ぶ事の全てが悪い事だとは思わないわ。人間の人生は分かれ道の連続で出来ている。それぞれの局面で、後悔の無いように選択をしなくちゃならない――

 爛楽はね、大切な人を助けたいの。それが、爛楽の一番の望み。

 だから、爛楽は大切な人が居るこの世界を選びたい」


「……でもそれは、たった一つのこの世界の為に、数多の世界を殺す事を意味する」


「そうね……だからって、この世界を滅ぼす事が正しいとは思えないわ。

 この世界の中には、沢山の人たちが居る。人だけじゃなくて、沢山の命がある。

 皆が、毎日を必死に生きているわ。その全ての命を消し去ってしまう事を考えたら、道義的な正解がどちらにあるのかなんて、分からないわ。

 あんたの中にだって、葛藤はあったでしょう? この世界であんたが出会った人たちの事、何も思わないなんて出来なかった。そうでしょ?」


 怜は何も答えなかった。ただ、小さく呟く。


「――【屍月炎蝕】」


 刀を手の中に作り出す。作り出されてすぐに壊れてしまいそうになるそれの形を、怜はありったけの力を用いて保った。


「――だから、〈キャンサー〉のあんたは敗けるのよ!」


 爛楽は弾倉を入れ替える。その動作は淀みなく、素早かった。


「マガジン:リリース――ロード:【アンチバイオティック】!」


「はあああああああああああああああああああ!」


 脆く儚い暴力を携えた怜がこちらへと迫る。彼女へと、照準を合わせた。


 雲の無い空のよう。爛楽の胸の中は澄んでいた。その、冴えた感覚を頼りに怜を撃ち抜いた。


 弾丸が通過したのは怜の胸の上辺り。まるでペンダントのように、小さな銃創が作られた。そこからは鮮血と、黒曜石のような破片が飛び散った。


 そして怜の身体は倒れた。手からは暗い色の刀が零れ落ちる。


 その刀は地面に落下した衝撃で砕け、彼女が纏っていた黒い装束は砕け、この世界に呑み込まれるようにして消えていった。

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