41枚目

「爛楽、ちゃん……わたしを、庇って?」


 震える声で問うた。爛楽は答えなかった。しかし、彼女の背中の酷い火傷が全てを物語っている。結は心臓を直接手で握られているような感覚を覚えた。


「何で……何でそんな事したの。わたしなんかを、守って……」

「あんたが……」


 弱々しく爛楽の口が動く。小さな笑みを彼女は作った。


「あんたが、可愛いからよ」


 全く予想外の言葉に結は困惑するしかなかった。


「何よ。いつも言ってるでしょ……? 可愛い子っていうのは色んな所で得をするの。あんたが……可愛いから、助けてあげたくなったのよ。ただ……それだけ」


「そんな、そんなの」


「結……あんたに言わなきゃいけない事があるの。

 あんたは、爛楽が〈メルメディック〉になるまでの半年間、この街を守ってくれていたわよね。

 それに、爛楽が〈メルメディック〉になってからの二ヶ月間、爛楽の隣で戦ってくれた。すっごく頼もしかったわ。

 あんたは、爛楽の最高のパートナーだった」


 爛楽は、包み込むような優しい笑みを浮かべた。


「皆を助けてくれて、そして爛楽の事を助けてくれて……本当に、ありがとう――」


 寄り掛かっている爛楽の身体から完全に力が抜け、彼女の身体は地面に横たわった。


 そして、それきり動かなくなった。


「あ、ああ……嘘……どうして、爛楽ちゃんが……」


 涙が滴って、土を濡らしてゆく。まだ戦いは終わっていないというのに、嗚咽が止まらなかった。もう何も考えられない。大切な友の喪失は結の胸に綺麗に孔を穿った。そこから自分の全てが流れ出してしまっているような感覚がした。


 どうして何も上手くいかないのだろう。


 絶望の冷たい手が幾つも結を引っ張っている。それに全てを委ねてしまおうかと思った。


「外傷はそれほど酷いようには見えないが……力が尽きてしまったようだね。薬の副作用に依る所が大きいだろう。さて――もうやめにするかい?」


 怜の言葉は甘い誘惑だった。今ここで全てを投げ出して、何の問題があるというのだ。何をやっても無駄だった。どうせ何も成せないのならば、やめてしまえば良い。もう、何をするにも疲れてしまった。


「そう、だね――」


 小さく呟いて、地面に転がる爛楽の顔を見る。もう彼女は動かない。それでも、絵画のように彼女は綺麗だった。


「それが良いのかもしれない。わたしは、もう辛い思いをしたくない……どれだけ頑張っても、笑顔でいても、何も上手くいかないのは本当に辛いんだ……」


「そうかい。ぼくとしても、無意味にきみを苦しませる事はしたくない」


「けれど、爛楽ちゃんはわたしの事を可愛いって言ってくれた」


 結は腕に力を込めた。座り込んだ状態から、立ち上がる為。


「諦めが悪いのはわたしの悪い所だよ。

 そのせいで、いつも周りに迷惑を掛けてる。本当にバカだよね。大人しくしていれば、周りにとっても自分にとっても良いのに。

 けれど、爛楽ちゃんが可愛いって言ってくれたわたしは、そんなわたしなんだ。立ち上がって、もう一度戦いの場に来たわたしなんだよ。

 そして、そんなわたしの行いに、爛楽ちゃんは、ありがとうって言ってくれた――

 だから、最後まで諦めの悪いわたしで居たい」


 二本の脚で、しっかりと地面を踏み締める。


「誰かを助けたい。それがわたしの望み。その思いを、わたしは諦めない!」


 腹の底からの声で、そう言い放った。そして、手に鋏を作り出す。


 怜は少し残念そうな表情を浮かべた後、徐々に怒りを露わにする。


「――きみみたいな、傲慢に善を振り回す人間が居なければ! 弟は死ななかったかもしれないんだよ!」


 刀を掲げ、怜は戦いを再開する意思を示した。


「【閃鋏ブライトクロス】、二〇倍! 【プラズマME操絡術そうらくじゅつ】!」


 結も武器を構え、臨戦態勢に入る。覚悟は既に定まっていた。先に前へと出たのは結だ。


 迎え撃つ怜。空間の断裂の網を飛ばした。結はその隙間を正確に潜り抜ける。


 怜の驚いた表情があった。動揺しながらも怜は正確に次の斬撃を放った。だがそれを紙一重で避け、鋏を振るう。


「災式:【渦禍昇かかしょう】!」


 怜が刀を回転させた。彼女を中心として、炎の渦巻きが発生する。だが、一見一寸の隙間も無いように見える炎の壁にも間隙はある。それを見切り、そこに鋏を差し込む。先端が怜の腕を挟んだ。それはまさに寸分の狂いも無い精密な手術だった。


 怜を渦巻きの外へと引っ張り出す。紅蓮の中から驚愕に染まった怜の表情が現れた。


「一体何をしたんだい」


 そう問い掛ける怜の腕には赤い直線が走っており、僅かに血を零している。


「電流を自分に流したんだよ。それで脳が筋肉に掛けてるリミッターを強引に外した。そして、脳が送る電気信号の代わりに、この電流で身体を動かしてる」


 怜は驚き呆れているのか、口を開いたまま言葉を発さなかった。


 実戦で使うのは初めてだ。何故ならば、非常に扱い辛い技であったし、従来の〈キャンサー〉との戦いにおいては俊敏で精密な動作よりも純粋な火力を必要とされる事が多かった為だ。


「自分自身をロボットとして動かしているという事かい! やってくれるじゃないか!」


 放たれる空間の断裂を後退しつつ避け、再び距離を詰める為に前へ。


「災式:【蛇咬粛】!」


 炎の蛇が結に牙を剥いた。結は横へ動き、それを回避。しかし蛇は大きく身体を曲げ、再度結へと襲い掛かって来る。その動きは予想していた。だが、それと同時に怜が切り込んで来る。体勢を低くし、横薙ぎの斬撃を回避。続いて蛇が再度こちらに襲い掛かる。


 低い姿勢から、脚に力を込めて結は飛び上がった。無理のある動作。筋肉繊維が僅かに千切れるような感覚がした。こういった事を防ぐ為に普段脳は肉体に対しリミッターを施しているのだ。もっとも、〈メルメディック〉ならばすぐに治る程度の負傷だ。


 空中を舞う結を蛇が追い掛ける。その動きを見切り、擦れ違う時に、その首に開いた鋏を当てる。そして、刃を絞った。


 蛇の首が飛んだ。そして、それを契機に蛇を構成する炎は勢いを失ってゆき、消滅した。攻撃が効くかどうかは賭けだったが、事態は良い方向へと転がった。


「災式:【花鳥風】!」


 地面に降り立つ結を大量の炎が迎えた。範囲を優先した為、威力は低い。地面に足を着けた後、より炎が薄い方へと移動した。


「誘い込んでるのは分かってるよ!」


 炎の中から姿を現した怜に鋏を振るった。彼女の刀と鋏が打ち合わさり、大きな音が響く。


 周囲の炎が引いて行く。怜の姿がはっきりと見える。


「やあああああああああああああっ」


 鋏を構え、怜の方へと向かう――。


 その動きが、唐突に止まった。


「え……?」


 身体が動かない。電流によって動かすのではなく、いつも通り動かそうとも試みたが、そちらも不可能だった。身体全体が石になってしまったかのようだ。


 一体何が起こっているというのか。答えは、怜の口から齎された。


「――【ルーラーアキュパンクチャ】。ぼくの〈メルメディック〉の能力は忘れてないだろう」


 怜はほくそ笑み、告げた。


【ルーラーアクパンクチャ】。その能力は、鍼を突き刺した相手を自在に操るというもの。


「きみの電流とぼくの鍼。どうやらこちらの方が優位だったみたいだね。きみの身体の制御は貰ったよ」


 自分が操り人形になってしまったかのように、身体が勝手に動く。手に持った鋏が先端をこちらに向ける。刃が開かれ、その間に自分の首を入れる。自らの身体の主導権を奪い返そうと結は必死だったが、全ては徒労に終わった。


 どこかに小さな鍼が刺さっている筈だ。それさえ抜ければ怜の支配から逃れる事が出来る。だが、鍼は見付からない。そもそも鍼を見付けたとしても、身体を自由に動かせないのだから、引き抜く事が出来ないのだと気付いた。


「ぼくの勝ちだよ、春瀬さん。きみの信念とぼくの信念は相容れない。だから――死んで貰うしかないんだ」


 自分の手に勝手に力が籠められるのが分かった。


 また、上手くいかなかった。けれど、不思議と後悔は無かった。自分は最後まで、彼女が認めてくれた自分のままでいられたのだから――。


 その時、聞き慣れた破裂音が聞こえた。


 次の瞬間、左の肩に痛みが走る。小さく抉られた肉が宙を舞う。赤色の中に、細い輝きがあった。


 鍼だ。


「何――」


 身体の制御権は結に返された。すぐに結は怜から距離を取る為、後ろに下がった。


「きみは、死んだんじゃなかったのかい……?」


 驚いた顔で問い掛ける怜。結はその視線を辿った。


 そこには、銃を構え、己の敵を見据える爛楽が立っていた。


「死んだフリに決まってんでしょうが間抜け!」

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