18枚目

「で、買ってまだ一年かそこらのマイホームを燃やされて、セキュリティの良いマンションに移り住んだのよ。

 そんで、お父さんは別のあんまり大きくない病院で働く事になった」


 結から返事は無かった。爛楽は抹茶アイスをまた口に運ぶ。冷たくて、甘い。


「爛楽が何よりもムカつくのは、お父さんがその事件を、イカれた女から筋違いに恨まれて殺されかけたって思ってない事よ。

 お父さんは、自分が不甲斐なかったからこそ、患者を救えなかったって思ってる。


 そして、その母親までもを死なせてしまったって……バカでしょ。割り切れよ。仕事だって。金が欲しいから患者の病気治すっていうんで別に良いじゃん。患者の事金ヅルとしか思ってない医者なんてこの世にごまんと居るでしょ。

 そりゃ、適当に診察して、適当に薬出して、不必要に何度も病院に通わせるような事したら駄目だけどさ、心ん中で自分は自転車修理屋で、患者は壊れたチャリだって思ってる分には問題無いでしょ。


 それなのにさ、お父さんは、今も真剣になって患者を治そうとしてんの。自分の身を削って働いてんの。寧ろ、前よりも……負債を必死になって取り返そうとしてるみたいに。

 あの時助けられなかった分まで、助けようって。そんなのもう、見てらんないわよ……」


 爛楽が手に持つ小さなスプーン。その先端から、抹茶色の雫が一つ落ちた。


「そんな事が、あったんだね」


 やがて、結が小さく呟いた。


「正直に言えば、想像していたものとかなり違ったよ」

「まあそうね。自分で言うのもなんだけど、爛楽がこんな胸糞悪いエピソード持ってるとは思わないでしょう」


「でも、知れて良かった」


 結は、柔らかい表情を浮かべて言った。


「爛楽ちゃんの事を今までよりも理解出来たのが、嬉しいと思う。

 わたしは、爛楽ちゃんの人助けをしないっていう考えが分かったよ。わたしは、それを否定するつもりはないよ。

 けれど、今までなんだかんだ一緒に戦ってくれたのは、本当にありがとう」


 勢いで多くを喋ってしまったような気がするが、話して良かったと爛楽は思った。少なくとも、後悔の感情は無い。


「中学の時の友達に、文佳ちゃんって子が居たの」


 今日は口が軽くなっているかもしれないと爛楽は思った。だが、話を止めようとは思わなかった。


「文佳ちゃんは大人しい子だけど、爛楽が知る限り、クラスで一番優しい子だった。

 皆が嫌がるような面倒な事を率先してやった。困っている人が居れば、放っておけなかった。

 ――けれど、文佳ちゃんはあんまり可愛くなかった」


 結は何か指摘を挟む事は無く、頷いて続きを促した。


「女子の中心に居たのは乃愛ちゃんだった。誰よりも優しい文佳ちゃんじゃなかった。

 乃愛ちゃんは、可愛かった。その事をあの子自身も理解していた。

 乃愛ちゃんは常に人に囲まれていて、皆が乃愛ちゃんの機嫌を取ろうとしていた。殆どの我儘は許された。乃愛ちゃんが可愛い事は皆が知っていて、それで色んな得をしていた。

 けれどね、文佳ちゃんが優しい事は一部の人しか知らなかった。皆、そんな事知ろうともしなかった。それで、その事を知っている人の中でも、文佳ちゃんは優しいから、いつも皆の為に何かをしてくれるから、お返しに何かをしてあげようなんて思う人は更にごく一部の人だけだった」


 話していて、爛楽の中に遣る瀬無い気持ちが蘇って来る。今は疎遠になってしまった友人、文佳の少し悲しそうな笑顔が脳裏に浮かぶ。


 この世界はそういうものなのだ。そう割り切って、自分の生き方を変えたのに、まだ不条理に対する怒りが拭いきれていない。


「可愛い、っていうのはコスパが良いのよ。まず、可愛いという事はストレートに自分を満足させる事が出来る。自己肯定感よ。

 その上で、多くの人に、自分の利益になる行動を促す事が出来る。女の子の最強の武器なわけ」


「うん……確かにそうだね」


 結は相変わらず笑顔を浮かべていたが、そこには少し陰がある事に気付いた。それは、今出来たものだろうか。それとも、先程からあり、気付かなかっただけだろうか。


 いずれにしても、愉快ではない話を長々と話し過ぎてしまった。結の奢りでファミレスに来たのだ。彼女はもっと楽しい話で盛り上がりたかっただろうと罪悪感が胸を刺した。


「それじゃ今回のまとめ。人助けはクソ。爛楽は可愛い。はい、この話はおしまい」


 そう言って爛楽は話を打ち切った。そして、残っていた抹茶アイスを全て口の中に押し込んだ。冷たくて、歯の神経を直接触られているようだった。


「分かった。爛楽ちゃんが、どういう信念を持っているのか分かったよ」


 結は笑みを作って言った。


「それでも、わたしは人助けがしたいんだ。これが譲れないって事は、分かって欲しい。それが、ただ一つ、わたしがやりたい事なんだ」


「結は」


 問い掛けはそこで途切れた。


 どうしてそこまで人助けをする事に拘るの?


 この時、そう聞いておくのが正解だったのか。或いは、やはり聞かない事が正解だったのか。正しい道がどちらだったのか、後になっても分からなかった。


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