29枚目
「爛楽ちゃん――?」
結は困惑しているようだった。唐突に爛楽の攻撃の威力が上がった事について。
薬とは単にウイルスや細菌を破壊するものだけではない。身体の機能に様々な効果を及ぼす事の出来る薬も多く存在している。
爛楽は自らに薬を投与したのだ。そしてその薬の効能は――。
〈メルメディック〉の能力を向上させる事。
これによって、爛楽の銃撃は威力を向上させた。『百足』の身体を易々と撃ち抜く程に。
「消えろっ!」
次々に弾丸を放つ。その全てが命中し、『塊』から伸びる『百足』の身体に多数の穴を開ける。
何故今まで自分を強化させる弾丸、【スキルブースター】を使わなかったか。
自分に弾丸を撃ち込む行為には痛みが伴う。それが嫌だったから――だけではない。
「がぁっ!?」
今まで正確だった照準が唐突にずれた。爛楽を苦痛が襲った為だ。銃を手にしたまま胸に手を遣り、呼吸を整える。少しばかり苦痛が和らぐ。だが眩暈がして平衡感覚が狂わされていた。
「早いっての……」
吐き捨てるように呟き、爛楽は再び『塊』に銃を向けた。手が震えて先程よりも正確な照準が難しい。
副作用。
薬は良い効果だけを齎すのではない。悪い効果も同時に齎してしまう。そして、その副作用は薬が強ければ強いほど、それに比例して大きくなる。
自らに薬を投与する事で、戦闘能力を大きく向上させる事が出来る。だがそれは一時的なもので、副作用により戦闘の続行が困難となる。故に、この技は封印していた。
「結には撃てないわね……」
結の戦闘能力も薬で倍増させ、二人で一気に『塊』を叩くという手も考えたが、こうまで副作用が大きいとそれは不可能だろう。爛楽は自分用に薬を調整してこれなのだ。調整していない薬を結に投与すれば、いたずらに彼女を苦しませるだけになってしまうだろう。
大きく息を吸い込み、銃を撃つ。副作用による苦痛に耐え、次々に『百足』を倒してゆく。大きな穴を開けられ、力を失った『百足』はだらりと垂れ下がり、少し時間を置いて消滅する。
先程と比べれば自体は好転しているように見えた。しかし。
(でも、これじゃ勝てない)
爛楽は状況を分析し、そう結論を出した。
『塊』は爛楽を相手にしていないのだ。前線に立つ結にばかり『百足』を向かわせている。その為、結は前に進めていない。
はじめ、爛楽は自らが『塊』の注意を引き、その為に半数程度の『百足』がこちらに向かって来るだろうと踏んでいた。そうして出来た僅かな空隙を結が掻い潜り、更には強化された銃撃で結の行く手を阻む『百足』を屠り、懐に辿り着いた結が〈ライフシリンジ〉を突き立てる――そういうシナリオを思い描いていた。
しかし、蓋を開けて見ればこちらは完全に無視だ。勿論、その分多くの攻撃を叩き込む事が出来るのだが、それでも削り切れない。敵の物量が圧倒的過ぎる。
どうする。爛楽は思考する。すぐに答えは弾き出された。
「爛楽も、前に出れば良いんでしょっ」
そう呟き、左手の銃の弾倉を捨てた。
「ロード:【フィジカルブースター】!」
新しい弾丸を、自らの首元に打ち込む。歯を食い縛る痛みと共に、力が身体を駆け巡る。
「これで、結の隣に!」
地面を蹴った。一気に爛楽の身体が前方へと押し出される。まるで自分自身が弾丸になったようだった。爛楽の脚力は先程までとは比べ物にならない程強化されている。
先程使った【スキルブースター】は〈メルメディック〉の能力を向上させるもの。それに対して今使用した【フィジカルブースター】は身体能力そのものを向上させるものだ。
『塊』との距離を詰めてゆく爛楽。一匹の『百足』がこちらへと向かって来た。
「ようやく爛楽を見たわね」
銃は撃たなかった。突進を跳躍して躱し、その『百足』を踏み付けた。それは『塊』へと続く道だ。爛楽はその上を疾駆した。その全力疾走で肺が引き裂けそうだった。副作用が頭痛、吐き気となり襲い掛かる。平衡感覚が洗濯機の中で掻き回されているようだった。
「うああああああああああああっ!」
それでも走った。それが何の為なのか、良く分からなくなって来た。それでも、強い感情は確かに胸の中心にあり、それが爛楽に力を与えていた。
今自分を戦わせているのは薬の力ではない。この感情が生み出した力なのだ。
こちらに『百足』が迫って来ているのが見えた。一〇体程度。それだけ居れば、道を塞ぐには十分だ。
銃を前に向けた。だが、引き金を引く必要は無かった。
「一〇〇倍っ、大質量スマーーーーーーーッシュ!」
上方から声と銀色の鋏が降って来た。
結は刃を使わなかった。一〇〇メートルを超える大きさの鋏を『百足』たちの胴体に振り下ろし、その重量で押し潰す。こちらに向かって来ていた『百足』は全て動きを止めた。
「わたしもっ、まだ戦える……!」
そう言った結は身体の各所に傷を作っていた。この前の戦いのように腕や脚が取れているわけではなかったが、白い肌は真っ赤な血に濡れている。
「結……あんた」
「実はさっき〈ライフシリンジ〉一本使っちゃった。折角全快したのにもうこんな傷だらけだよ。わたしの〈シリンジ〉はあと一本。もうもたもたしてられない」
「爛楽もそうよ。副作用で、今すぐにでも吐きそうだわ。数分後にはぶっ倒れてる」
「けど今なら、わたしより爛楽ちゃんの方が速い。だから、お願い出来るかな」
爛楽は深く頷いた。
「道を拓くよ――形状変転:【プラズマME
結が巨大な鋏の刃を開いた。そして、その間に鋭い輝きが生じる。プラズマだ。あっと言う間にその輝きは飽和する程に増大する。
「いっけえええええええええええええええええ!」
閃光が放たれた。爛楽は思わず顔を背ける。膨大なエネルギーが具現化したものであるプラズマ。その奔流は真っ直ぐに突き進み、『塊』の黒い外殻へと激突した。
そして、『塊』の外殻を引き剥がしてゆく。やがて閃光がその勢いを弱め、元の静かな空間を明け渡す。そこには確かに道が出来ていた。
「ありがとう!」
そう言って、爛楽は再び走り出した。
プラズマによる攻撃が直撃した箇所からは『百足』は飛び出して来ないが、別の箇所から出て来た『百足』が道を阻む。
「そんなので、爛楽が止まると思うか!」
弾丸を放った。障害物を蹴散らし、さらに前へと。だが、背後から忍び寄った細い『百足』が爛楽の腹へと噛み付いた。
「ぎああっ」
無様な叫び声を漏らしてしまう。それでも爛楽は脚を止めなかった。結が作ってくれた道をただ進んだ。何度も『百足』から攻撃を受けた。肉が裂けて血が零れた。その外傷だけではなく、副作用までもが爛楽を苛んだ。周囲の景色がちかちかと網膜に刺さる。
それでも、前へ、前へ。そうしてがむしゃらに走っていたら、『塊』の本体は目の前に、壁のように存在していた。割れた黒曜石のようなそれが、良く見れば細かく蠢いている。
爛楽は〈ライフシリンジ〉を手に取った。そして、その先端を『塊』へと向ける。爛楽はすぐ後ろに『百足』が迫っている事を察知した。それに阻止される前に。早く。
「これでっ、この世界からいなくなっちゃえええええええええええええええええええ!」
全身全霊の力によって、先端の針が深淵のような黒色に突き刺さった。
変化はすぐに起こった。針を突き刺した所を起点として、ヒビが生じた。淡い光を漏らすヒビ。それが『塊』の体表を走り回り、一瞬のうちに全身を覆った。
鼓膜に爪を立てるような断末魔が響く。だが、崩壊は止まらない。ヒビから漏れる光が一際強くなった。
そして、弾けた。
小さな山に匹敵する程大きな〈キャンサー〉が一瞬のうちに細かい残骸へと転化し、ゆっくりと降り注いだ。それはまるで季節外れの雪だった。
「いなくなった……」
爛楽はその場に仰向けになって倒れた。多くの残骸が降り注いで来るのが見える。それの大半は地面に辿り着くまでに完全消滅してしまうのだが、数個の残骸が爛楽の頬に乗った。冷たくも熱くもなかった。それもすぐに消えてしまう。
何も感じなかった。爛楽の胸の中は真っ白に均一だった。ただ降り注ぐ残骸を眺めていた。
だが、その一面の白の中に暗い青色の点が生じる。
「……舞、葉」
そう名前を呟いてからは、堰を切ったようだった。均一な真っ白は悲しみの色に侵蝕されてゆく。
どんな高度な医療を以てしても、死んだ人間を生き返らせる事は出来ない。
人は、何と無力なのだろう。
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