5枚目
地面に降り立つ。
病院の七階から飛び降りたのだ。普通ならばそのまま死亡。運が良くても骨折は免れない所だが、爛楽の身体はその衝撃に易々と耐える事が出来た。
結は地面を蹴り、高く飛び上がった。爛楽もそれに続き地面を蹴った。結と同じように身体はビルの高さにまで上がる。
「どう? 凄いでしょ! ジェットコースターに乗ってるみたいじゃない?」
こちらを振り向き、結は笑顔を見せた。だが、彼女の方を見ている余裕は無かった。気を抜けば建物に突っ込んでしまいそうだった。何度も跳躍を繰り返し、前へと進んで行く。街並みが拡大されたり縮小されたりする。
「凄い、けど! こんなの誰かに見られたらどうすんの! 撮られてSNSに晒されたら!」
そう言いながら、爛楽は違和感を覚えた。眼下の街並みがどこか変だ。
「人が居ない」
爛楽はすぐに違和感の正体に行き当たった。ここは決して田舎ではない。そして今は深夜ではない。ならば、誰かしらが街を歩いている筈だ。だというのに、先程から一つとして人影を見掛けない。
「人は皆〈類元空間〉だからね」
前を進む結が言った。
「〈類元空間〉?」
「空間の一定範囲の複製を作ってあるの。それで、人間だけじゃなくその範囲の中に居た生き物は全部複製の方に移してあるんだ。だから、今わたしたちが見てる本物の街はもぬけの殻ってわけ」
「成程ね」
「あ、でももぬけの殻ってわけじゃないか。わたしたちの他に、敵が居るよ」
そう言われ、固唾を呑む爛楽。
暗く染まったミニチュアの街並み。風がいやに冷たい。静けさが鼓膜を通り抜けて頭の中に突き刺さる。
「その、敵っていうのは」
言い掛けた所で、遠くに光が瞬くのが見えた。街の明かりとは違う。それがすぐに分かった。
大きな影。
色彩は黒く、薄闇の中に隠れてしまいそう。だが、その下部が発光しており、己の存在を知らしめていた。
「あれだよ。あれがわたしたちの敵。この世界に生まれた病魔――〈キャンサー〉」
その敵を見据え、結は名称を告げた。
数百メートル先に浮遊する〈キャンサー〉。見た所全長は五メートル程度。楕円形の体躯に六本の脚が付いている。
「気持ち悪っ……あれってケツが光ってるの? 蛍みたい」
極端に嫌いというわけではないが、どちらかといえば虫が苦手な爛楽からすれば自分の身体より大きな虫など無論恐怖の対象だ。
目を凝らしてみれば、その〈キャンサー〉を構成している素材は黒曜石に似ており、表面に多くの棘を為していた。当然ながら、ただ大きいだけの虫ではない。強大な敵としての威圧を感じざるを得なかった。
「それじゃ、さっさと倒して戻ろっか!」
しかし結は何て事無いかのように、明るい声音で言った。そして、鋏を一つ取り出す。
「さて――まずは一〇倍!」
鋏の大きさが変化した。初めは手の平より少し大きい程だったのだが、結の身長と殆ど変わらない程に巨大化する。
結が武器を取り出しても『蛍』に動きは見られなかった。爛楽は警戒の眼差しで敵を観察する。
「行くよっ!」
一気に前へと出る結。それを反射的に止めようとした爛楽の手が空を掻いた。結は建物の屋根や屋上を踏み台にしつつ、『蛍』との距離を詰める。通常では息を切らして走っても数十秒掛かる距離が一瞬の間に無くなってゆく。
そこで『蛍』に動きがあった。発光部の光が壊れかけの蛍光灯のように僅かに明滅した。
「春瀬さん! 来る!」
爛楽は叫んだ。こちらの声に反応し、敵の攻撃を逃れて欲しいと願いながら。
「ん!」
短い返事があった。そして放たれる攻撃。
光が球となって飛び出した。
『蛍』が攻撃を行うと思ったのは全くの直感だったが、それは当たっていたようだ。光の球は真っ直ぐに結の方へ向かった。
「残念だけど、お見通し!」
空中で身体を捻り、光の球を回避する。流麗な動きだった。そして、結は『蛍』を武器の間合いへと捉える。
銀色に輝く巨大な鋏。その獲物を易々と振り回し、二つの刃の間に『蛍』を捉える。
刃が閉じられた。
だが、『蛍』は速かった。透明に近い翅を広げ、後方へと飛んだ。そして、そのまま高度を上げてゆく。僅かな時間で結との距離を大きく引き離した。
「長さが足りなかったみたいだね」
結は小さくなってゆく『蛍』を見て呟いた。
「だったら、次は――三〇倍!」
結が抱える鋏。それが更に大きさを増した。トラックに匹敵する程の長さだ。普通ならば手に持つ事すら難しいだろう。だが、結は余裕の笑みを浮かべていた。
「【
再び結は『蛍』に向かって跳んだ。迎え撃つ大きな黒い影は光球を放つ。
「そんなの!」
光球の軌道が折れ曲がった。信じ難い事だったが、結は攻撃を巨大な鋏で以て弾いたのだ。
続けて放たれる光の球。驚異的な反射神経でそれを弾きながら『蛍』との距離を詰める。
「だあああああああああっ!」
巨大な鋏の先端が弧を描いた。
銀色が黒い巨体へと叩き付けられる。今度は回避を許さなかった。
それが大きな衝撃を伴っていた事は、鳴り響いた大きな音が証明していた。車がぶつかる時のような音がして、黒い体躯は地に落とされた。
流星のように落ちる『蛍』。アスファルトが弾け、煙が舞った。
「どんなもんよっ」
自身気な笑みを浮かべ、ビルの屋上に降り立つ結。
「まだ終わってない! 油断すんなバカ!」
爛楽は結に怒号を飛ばした。「え?」とこちらを見ながら零す結。
砂煙が光った。
そこから放たれたのは幾つもの小さな光球。ばら撒くように撃たれたそれが空間を埋め、逃げ場を奪った。
「うわっ」
結は細かい光球全てを弾く事は出来なかったようで、その幾つかを身体に受けてしまった。
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