第26話 なぁ~んにも知らない男
感じたことのない痛み。
数秒は我慢できたものの、あの皮膚や肉が荒いヤスリで削ぎ落とされるような痛みは味わったことのないものだった。
一体、何が起こったのか……考えても仕方ないことだが――――
「(情ねぇ……)」
あの痛みがフラッシュバックして目を開けることすら怖くなっている自分に、体を動かすことであの痛みが迫ってくるような気がして恐がっている自分に、情けないと喝を入れ瞼を開いた。
すると、
「んぁ? ここって……」
身に覚えのある浮遊感。
見覚えのある星空。
そこは初めて精霊と呼ばれる存在と出会った、異空間であった。
「うわ! やべぇ、脳みそ溶ける!…………ん? ん? そう言えば、あの光――もとい精霊さんがいない。なんだ、それなら大丈夫か」
ふぅ、と一息ついてこの壮観な景色を眺める。
この水に浮かんでいる感覚、真っ暗な空間に、見上げれば星空が広がっている。
まるで夜の海に浮かびながら星を眺めているようだった。
「星空見ると星座探したくなるのってなんでだろうな……。多分ないし、オリオン座くらいしか知らねぇのに」
見える星の大きさは様々で輝きも強いものから弱いものまである。ここが異世界と分かっていなかったら、本当にただの夜空に浮かぶ星にしか見えない。
呆然と、この何も起こらない空間を眺めていること……数十分。
「…………暇だな」
美しい光景ではあるが十分以上も眺めていれば、次第に体に落ち着きがなくなってくる。大河の体はその浮遊感の中で回転し始めたり、泳いでみたりと動き始めた。
すると、以外にも体は自由なようで――――
「あの荒れた海じゃ無理だったしな……一瞬で溺れちゃった分、今のうちに泳いどこ。温泉じゃ泳げないしな」
あまりにも思考と直結している行動ではあるが、この場所では誰の目を気にする必要もない。いわば自由である。
背泳ぎをしてみたり、クロールをしてみたり、バタフライをしてみたりしても、この奇行とも言える行動を咎める人はいない。
「(俺は……自由だぁ!)」
『なにやら、楽しそうだな』
「……ッ!? ぶはっ! ゴホッ、ゴホォ!」
『大丈夫か?』
ゆっくりと体が浮遊していく感覚。
口から鼻からと水を吐き出しながら、光の前に吊るされた。
「ぞ、そう……見えるか?」
『ふむ、何やら面白いことをやっていると皆が教えてくれてな。戻って来てみれば溺れているときた……どういうことだ?』
「俺が聞きてぇよ……てか、みんなって?」
『言っただろう、この星空は全て契約していない精霊たちだと』
上を見上げれば、先ほどよりも星に輝きが増しているように見える。
強弱が激しいその光は、何だが笑っているようだ。
どうやらここで普通に泳いでいることを見られていたらしい。
「……恥ずかしっ。てか何だ急に戻ってきて」
気持ち良く泳いでたってのに。
『要件が済んだ。もう目を覚ましてもいい』
「なんだよ、それだけか。というか、精霊さんのこと見ても今は大丈夫だな」
咄嗟のことで目を開いたままだったが、前回のように体のどこかに痛みが走るようなことはなかった。異常はない。
それどころか……むしろ温かい感覚だ。
『馴染んできたんだろう。それよりも目を閉じろ、もう戻らねばならん』
言われた通りに目を閉じる大河の体を包みこむ白い煙。
『ああ、そうだ。体を勝手につかったぞ』
「別にいいよ、勝手につかって」
『そうか、それならこれからも使わせてもらう――――戻るぞ』
◆
「おい、リーラ」
「なんでしょう?」
「これ……本当にタイガの体は大丈夫なんだろうな?」
「当然でしょう。あの方が契約を結んでいるのですから」
声が聞こえる……。
「あの方つってもなぁ、正直ワタシにはなんにも感じなかったぜ? いつものタイガって感じだった」
「まぁそれもそうでしょう。獣人の超感覚でも精霊様の力は魔力とそう変わりないように感じるはずです。これは……
これは、ラーインとリーラの声か。
んじゃここは……いつも通り獣人の家か?
「ん? おっ! 目を覚ましたか、タイガ!」
「……ああ」
でも不思議だ……ラーインの顔も周りも何にも見えない。
顔を埋め尽くすこの柔らかい感触せいで。
前も後ろも柔らかいってことは、俺は今リーラに膝枕されているのか?
すぅー……ふぅ。ここで吸う空気が美味すぎるな、どうしたもんか。
「おい、なんだその空返事……はっ! もしかしてまだ体が痛いのか? シャメリーのせいで!」
「私のせいって言わないでくださいよ! 大体あれは……わざとではないんですから、その、謝りますから!」
「いや、体は痛くない。大丈夫だ」
ただここが素晴らしい場所ってだけだ。
もう少しだけ待ってくれラーイン、もう少しだけここにいさせてくれ。
「なんだ、大丈夫ならいいんだ」
すぅ……ふぅ。
すぅ………………ふぅ。
おぉ、いかんいかん。俺が乱れるわけにはいかねぇ。
「リーラ、俺……起きるよ。非常に名残惜しいけど、ちょっと失礼」
するりと太ももと爆乳の間を抜けて起き上がる。
何だか随分と体が鈍っているようで、起き上がった時に体の骨がパキパキと音を鳴らした。
「……なんか、体の調子が――――俺はどんくらい寝てた?」
「いや全然ですよ。数分程度でしょうか」
「そっか……」
手足を動かそうと考えるだけで、どっと疲れが押し寄せてくる感覚。
この目を閉じた状態をもう少し続けたら、いつの間にか眠ってしまいそうな睡魔。
本当に感じたことのない疲労感だ。
「そんなことよりも、タイガ」
「ん?」
目を閉じたままラーインの声に生返事をすると、閉じた視界がより暗くなった。
目隠しをしていた時間が少しあったからか、誰かが目の前に立ったことが分かる。
薄っすらと瞼を開けて見ると――――
「初めまして、と言うべきかな?」
「ん? ん……?」
綺麗な青紫の瞳が、こちらを深く覗いていた。
「私は魔王 プルメス。これから末永くよろしく頼むよ」
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