漂流した先は異世界でした

豚肉の加工品

第1話 プロローグ

 波の音。

 鳥の声。

 肌を焼く日差し。

 鼓膜を震わせる船のエンジン音。

 緩やかな波に煽られた船体の上で釣り竿を放り投げ、酒とタバコでゆっくりと時間を潰す。その時間が休みの日の最高に至福な一時――――


「そう言ってたよなぁ、親父」


「あぁ、確かに俺はそう言ってた」


 荒波でぐらんぐらんに揺れる船体。

 肌を凍てつかせる強風。

 到底、釣りなどやっていられないほど海は荒れ果てていた。


「いやー、海ってわからんな。行く時はあんなに晴れてたのに」


「なーんでそんな能天気なんだよ。こんなんじゃ釣りとかやってらんねぇって、下手したら死ぬってこれ」


「焦るなぁ! こういう時こそ冷静になるんだよ!」


「いや冷静だけども……うおっ、と! 救難は出してるんだよな?」


 海の上には何度も連れて来られているはいるが、今日ほどの波は初めてだ。

 特にこの上下に船が浮かぶ感覚。船に乗ってて浮遊感を感じるなんてこと滅多にない、立っているのもやっとだ。


「一応な。これだけ荒れてると、こっちで勝手に操作するほうが危ないだろう。仕方ねぇ、巡船来るまでおとなしくしとくか」


 中型クルーザーでこんだけ振られるんだ。

 かなりの悪天候、下手したら船体がひっくり返りそうだ。


「こりゃ……保安官に怒られるな。朝は晴れてたとはいえ」


「そうだな…………すまんな、せっかくの気分転換がこんなになっちまって。気持ちよく釣りでもして気持ちをリセットできれば良かったのにな」


「まぁ、それはそうだけど――――」


 大学受験失敗。

 普通高校偏差値五十前後からの就職活動、これと言って特技もなく特筆するものがないから失敗。バイトの面接……それこそコンビニのアルバイトですらも受かることはなかった。どれも不採用理由は「君より優秀な人がいるから」と遠回しに言われるだけ。高校の寮生活を終えて帰って来たときは、母さん曰く「顔が死んでる」らしかった。


 あの時から二年経ってもまだ、


「やりたいことがない俺が悪いのかもしれないしな……」


「二十歳なんてやりたいこと考えられなくても仕方ねぇだろ? 子供の時とは違って現実を知ったんだ、色々と難しさを感じるもんだ。どうだ? やっぱり父さんのとこで働かねぇか? お前も知り合い多いだろうし、仕事内容も手伝わせてたからある程度知ってるだろ」


「そうだなぁ……それが結局一番良いのかもな。帰ったらまた改めてお願いするよ」


「あぁ、そうしろ。まっ、これで無事に帰れたらだけどな! がはははっ!」


 親父の笑い声につられるように俺も小さく笑った。

 曇天、暴風雨、そんな最悪に見舞われた釣りだったが久しぶりに家族との団らんには変わりない。この心が荒んでいた二年間……少しだけ心が軽くなり、洗われた気がした。


「おいおい、縁起でもないこと――――」


 その時――体が宙を舞った。

 高波からなる引き寄せ、その上下運動による結果だ。


「大河!!」


 親父の声がした。

 大きく揺さぶられる船体、一回体制が崩れてしまえば元に戻すことは難しい。

 そのまま崖から転がり落ちるように止まることなく船から放り出された。


「ライ――――せッ!! た――――ッ!!」


 やべぇ……。これ死――――


 必死に叫んでる親父の姿は見える。

 だが、荒波が視界を覆い穴という穴に侵入する水で音もほとんど聞こえない。

 この荒波じゃ五千円くらいしたライフジャケットなど無意味。

 浮かぶよりも、呑み込まれ沈む方が早い――――


「(ごめん……、親父……母さん……)」





 さざ波の音。

 足元を濡らす冷たい水の感触。

 肌を乾かせる暖風と、口の中に広がる砂利と潮の味――――


「がはっ! ごほっ、ごほっ!」


 反射的に仰向けになっていた状態を反転させ、うつ伏せになって唾液と共に全てを吐き出した。


「はぁ、はぁ……! ったぁ――」


 視界がぼやけてる。

 喉もカラカラに乾いてる。

 あの荒波で下半身以外の装飾品は全て流されてしまったようだ。

 荷物なし、携帯なし、服も半分以上なし。

 唯一ありがたいことは、このどこかも分からない場所が暖かいことと――――


「生きてる」


 あの荒れ果てた海からよく生きてたわ、おれ。

 全く……運が良い。


「体も動くし、体調も……まぁ悪かねぇ」


 立ち上がって周囲を見渡せば、砂浜と日本では見たこともないほど綺麗な海。

 そして雲を突き抜けるほど天高い山、それを囲うように広がる大森林。

 この湿度の高い暖風と風景が相まって南国のようにも見える……からこそ、ここが日本だとは到底思えなくなっていく。


「仲間はいない、食料もない、周りに人の気配もない。そして日本でもなさそうだときた……うん、普通に終わってるな」


 でも、生きている以上家族に伝えないといけないんだ。

 日本語以外に話せないし、できることなんてほとんどない。

 強いて言えば肉体労働くらいなもんだ。


「……気合いだなぁ」


 それでも生きていかないといけないんだから、なんだって気合でやるしかない。それが自分にできる唯一のことだ。


「まっ、まずは人探しからだよな。じゃなきゃ何も始まらんし」


 森に行くか……砂浜を歩き続けるか、そんなこと決まっている。

 人は水を飲まなければたった数日で死んでしまう。

 危険と生存を天秤にかけるのは、漂流している時点でナンセンス。どっちみち生きるための基盤が整っていなければ人は死ぬ。

 という、理由で平 大河は――――草木生い茂げる森の中へと進んでいった。

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