第2話 職業:冒険家(仮)
どのくらい歩いただろうか。
ふと後ろを振り返ると、もう海の音しか聞こえなかった。
視界に入るのは見たこともない大木、甘い香りを放つ果実のようなもの、そして太陽の光が遮られた暗い景色。
「うわぁ~、どうしよ」
今のところ蜂や蛇のような危険生物には出会ってないし、動物の類も見かけてないため安心してはいるものの……この圧倒的日本じゃない感に困惑している。
まずは環境の匂いだ。
日本は世界と比べて綺麗な国、それこそ渋谷ハロウィンみたいな特大イベントがない限り汚れることなど滅多にない。言ってしまえば無臭と言える。
だが海外は違う。糞尿の匂いがするところだったり、血生臭いところだったり、生ゴミの匂いだったり、鼻が縮こまるような香水の匂いだったりと様々。
当然、日本のような空気が流れている場所はあるが人種や人が行う行動に違いがあるため嗅覚から伝わる〝日本じゃない感〟が凄まじい。
ここはそれだ。
海岸で浸っていた時は全く感じなかったが、森を進めば進むほど……こんなの日本にあったか? と疑問を浮かべてしまうくらいには、世界が違う。
そびえ立つ木々のサイズ、所々に存在する樹の実やきのこ、どれも見たことがないものばかりだ。
「英語なんて喋れねぇぞ、俺は。無職なめんなよ……ったくよぉ」
考えることや思うことが増えても口数が減る一方で、視界に入る世界がいつもと違うという不安が膨れ上がる。
だけど、そんなことを不安に思ってる暇は現状なかった。
「不安なんて……――考えても仕方ねぇ。まずは飲める水を探さないとだよな。人間って水がなきゃダメだって聞くし」
そう、まずは飲料水が必要だ。
人間は二日だったか、三日だったか、五日だったか……確かそのくらいで死ぬって聞いたことがあった。
「食人系の原住民とか肉食獣に襲われなきゃ、まずは問題ねぇ……。最悪、生えてる樹の実を食えばいい」
サバイバルの知識もなければ、食べられる物の知識もない。
先は絶望的に真っ暗だがそんなことを考えても仕方ないというのは、部屋に籠もっていた期間に味わった。
「俺は今から職に就く。職業は――冒険家(仮)だ」
第一歩は水を求めて。
もしも水がなかった場合を考えて、樹の実を数個収穫していく。
持ち物なし。あるのは未だに湿ったパンツとズボンだけ。
そのあまりにも心もとない装備で、大河は森の中へと進んでいった。
◆
「……足跡」
森林大国 ヴォルフアオーン。
亜人大陸の一つであり、エルフや獣人が住まう南の国。
「巡回警備で来てみれば侵入者の痕跡……。足跡は……裸足?」
波によってほとんどがかき消されてはいるが砂浜を蹴って進む足跡を発見したのは、最低限、胸と股を隠した衣装。強いて言えば腰に巻いている布がチャイナドレスのように片足だけ隠している程度の黒い薄着を来た一人の獣人だった。
「すぅ……ふぅ。匂いは残ってない、足跡が続く先は森――――」
やはりエルフか、とそう考える。
別に海に入ること自体おかしいことはないし、ここから陸に上って街に帰ることなどエルフであれ獣人であれ造作もないことだ。
しかし、その足跡が向かった先は街から離れていくように森の中へと一直線に向かっている。
「気になるな……確認するか」
亜人を敵視する人族とは十年前に戦いが集結しているとは言え、未だに小競り合いが続いている。もしも人族が偵察に来ているのだとしたら、街が危ない。
ただでさえ精の供給と引き換えに資源を渡している関係。
これ以上、舐められるわけにはいかない。
「潮の匂い……あっちだ」
ここを通った何者かが残した潮の香りを頼りに、森の中を駆けた。
◆
そんな追手がいるとも露知らず、大河は森の中を慎重に進んでいた。
幸いにも自然豊かなだけあって裸足で歩く分には何も問題はなく、どんどん奥に進んでいたが、ここで一つ問題が起きた。
「あちぃ~……」
額を伝ってくる汗を拭いながら前に進む。
そう、暑いのだ。
しかも海が近く湿気も多く含んでいることからじめじめとした暑さが、体にまとわりつき始める。それにこころなしか余計に水分が外に出ていっているような気がしてならない。
「俺は野菜かっての……」
もう精神的に結構しんどい。
幸いにも腹は減ってないが、安心感がないまま歩き続けるのがしんどい。
もうどのくらい歩いただろう……体感では十キロくらい歩いたよう感じるほどには疲労感があった。それでも体が歩くのやめないのは水を望んでいるからだろう。
俺もまだまだ根性あるなぁ……無職だけど!
――――なんて、セルフ漫才をしていた時、背後の木が大きく揺れた。
「うぉっ!?」
振り返って数秒……何もないと判断し胸を撫で下ろした一瞬の油断が、大河の人生の終わりを告げさせた。
「お前、何をしている?」
本来、向かっている途中――――つまり、大河の背後。
そこから少し低い女の声がした。
だが、大河は振り返ることができない。何故ならばその声の主の吐息が聞こえるほど近い距離にいるというのが理解できたのと、首に突きつけられている凸状の物が何か分からなかったからだ。
「何をしていると、聞いている?」
「わ、わからない!」
「なに……?」
ぐっ、と深く首元に食い込んでいく鋭利な先端。
「もう一度だけ聞くぞ人間。ここで何をしている?」
「だから分からないって! 俺は船に乗って! 事故って! そ、それで……ここに漂流しただけなんだ! 」
それを誰が信じるのか? というほど、ありえるはずもない到着経路を素直に叫ぶ。そしてやはり……
「それを誰が信じる?」
信じてはもらえなかった。
それもそうだ。
ここはアニメや漫画の世界じゃない。俺が生きている三次元の話、漂流してここに来たなんて話……相手の立場だったら俺だって信じない――――ん?
言葉が通じてる……?
「言うつもりがないなら仕方がない。お前の首を持ってして、人族との交渉材料に――――」
「待った! ちょ、一回待った!」
「なに? あぁ、遺言。いいだろう、しっかり届けてやるから言ってみろ」
「なんで言葉が通じるんだ? ここどこだ?」
「……それが、遺言?」
「いやいや、違うって! 違う違う!」
「…………脈の動きが激しく、呼吸も荒い。怖がってるのか?」
「当たり前だろ!? こちらとらいきなりのことで動揺してんだよ!」
あと、距離が近すぎてでっかいの当たってるって!
この柔いの絶対にあれだって!
あー……何か一周回って冷静になってきた。
やっぱ、おっぱいの力すげぇわ。マジで感謝。
てか、死ぬかもしれないってのに――――ムラムラしてきた。
「……ここは森林大国 ヴォルフアオーン、亜人大陸の最南端だ。それにこの言葉は何千年も前からの共通語、まだ大陸が一つの時代からの共通認識だ」
「は?」
亜人?
森林大国?
「お前人間には当然の知識だろう? なにせ、勇者を作り出し大陸を分断したのはお前ら――人族なのだから」
勇者?
人族?
「ほら、話してやったぞ? さっさとその男装魔法をといて本来の姿を見せろ。本人の首を掲げなければ人族のやつらも分からないだろう?」
魔法――この言葉で、心の中で確信めいたものがあった。
自分が漂流した場所は海外だと思い込んでいた。歩く森の中で見たことがない物があっても知識がないからだと思い込んでいた。
不安をかき消すものが、無知という名の安心感だった。
にも関わらず、魔法という言葉で一気に事の重大さに気がついてしまった。
ここ、異世界ってやつじゃね?
「早くした方がいい。ワタシたち獣人は魔力を感じることは出来ないが、身体強化がいらないほど強いのは知ってるだろう? お前の首など今すぐにでも千切れるぞ」
「――なぁ、異世界って信じるか?」
「なにを言っている?」
相手の言葉で完全に理解した、何も分からないってのを理解した。
ここは異世界ってやつだ。俺が二十年間生きてきた常識が全く通じないのも当たり前だ、だって世界が違うんだもの。
「もう全部正直に言うわ。俺の名前は平 大河、今年二十歳になった一般男性。生まれは日本で家族は父、母、アラスカン・マラミュートが三匹。服はズボンとパンツ以外、ぜーんぶ波に流された。あんたが心配してるような魔法とか一切使えないし、当然戦うことなんてできない!」
これでどうだ? と、相手の反応を待っていると首元に突き刺さる鋭利な感覚が消え去った。その代わりに視界にギリギリ入らない角度で熱気が近づく。
恐らく顔を近づけたのだろうと理解は出来たが、加えて胸も背中にくっついた。形が変わるのが分かるほどの巨乳……いや爆乳。普通に興奮した。
「本当か?」
「本当だ。体はまぁ軽く鍛えてたけど、それ以外は普通だろ?」
釣りガチ勢の親父についていけば荷物を沢山持たせられるし、あのデカくて元気な犬の散歩をしてれば、嫌でも体は鍛えられる。
二年間ニート生活していても体が鈍っていないのはそのおかげだ。
「…………脈は少し激しいが、呼吸は安定してるな」
「そりゃぁな……もう開き直ったし。一周回って冷静になってるわ、だって俺が知ってる世界じゃねぇんだもん」
「でも……」
「なんだ? もう何でも聞いてくれ」
この際、死なないなら何でもするわ。
「……男っていうのが信じられない」
「はい?」
「十年前に起きた人魔大戦の影響で、この世界から人族以外の男がほとんど消された。亜人で生き残っている男は今のところ確認されてない」
人魔大戦――亜人・魔人族と人族の戦争。
事の発端は、より潤沢な資源を求めて人族が亜人の大陸に攻め入った争い。
魔法を組み合わせた科学技術と〝勇者〟と呼ばれる人間が生まれたことによって力を手に入れた人族たちは、分断された大陸に攻め入って資源を奪っていった。
だが戦争に勝利したのは亜人・魔人族だった。
人間よりも強靭な肉体、人間よりも膨大な魔力、人間よりも歴史ある知識、人族が培ってきた新しい技術では太刀打ちできないほどの力で跳ね除けたのだ。
だが、問題はそれからだった。
「……つまり、男を見たことないから信じられないってこと?」
「男は見たことはある、でも匂いを嗅いだことも近くで見たことはない。勇者の死後、突如現れた〝神〟によって――亜人の男たちが世界から消え去った。それが十年前の話、今では人族に精子を供給して貰うことによって亜人たちは生きながらえている。今までの十年間……人族との間に子供が生まれることはなかったけど」
「ってことは……つまり、どういうこと?」
「ワタシの知識じゃ、本物の男か判断できない。……男装魔法で姿形が変わった女は見たことあるけど、何度騙されたか分からない。もしもお前が本物の男というのならワタシに証明してみせろ」
本物の男?
そんな証明、簡単だ。
「あぁー、んー、下を見てくれ」
「……何だ? この膨らみ……まさか武器か!?」
「あー違う違う!」
分かりやすく山になった股間。
体がずっとくっついているのと、相手から漂う甘い香りのせいで足と足の隙間が見えないほど盛り上がっている。
「これが男の証明だ!」
「それは……なんだ?」
「チ◯コだ!」
顔も見えない女性に背後をとられて殺されかけ、周りを見れば木々が生い茂る森のどこかで、汗を流しながら盛大に勃起している。
何やら人間的に大事なものを失った気がするがしょうがない。
男なら誰だってこうなる。本当にしょうがない。
「それの何が証明になる?」
「これは男にしか生えてない装備だ! お前は股間に棒が生えてるか?」
「いや、生えてない。というか……こんな大っきな棒が生えていたら邪魔だ」
「邪魔じゃない! 男だからな!」
そもそも常にこんな勃起してたら生きていけない。恥ずかしくて外に出れないし、出たとしても誰も話しかけてこないだろう。
だって、分かりやすくおかしい状態だもん。
「……ワタシじゃ判断できない。仕方ないか」
すっ、と熱気が遠ざかる気配。
その瞬間――――大河の顎を何かが撃ち抜いた。
「あぇ……?」
「お前を街へ連れて行く。判断は男を知る者に任せることにした、少しだけ眠っていろ」
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