第38話キャンディス(フォンミー視点)
今日は、ニーアール様のご婚礼である。
(作為的だ)
祝賀が重なるのは喜ばしい反面、準備やお祝いなど参加者の負担を多くするのであまり好まれることではない。
「私たちの婚礼を、来年以降に先延ばしにすれば良かったかしら?」
と、アイリス様まで思い悩む始末。スカイフォード様は珍しくアイリス様を叱った。
「君は少し遠慮がすぎるな。我々が先に時期を打診して許可を得ているんだぞ。ニーアールには僕から釘を刺しておこう」
そんな訳で、アイリス様はお祝い事であるのにしゅんとした顔で馬車に乗り込んだ。
「こらこら、可愛い顔が台無しだ」
「ひゃめてくらはい!」
むにゅと頬を掴まれて、じたばたと抵抗している。
せっかく施した化粧が崩れてしまうじゃないかと思ったけれど、仲が良いのだから私などがどう思うことでもない。
近日コスメティックを出店予定のアイリス様は、ご自身の結婚式でも使用したアイシャドウとアイライナーを使っている。
色味が豊富なアイパレットから気品のある紫をチョイスされ、エキゾチックな輝きを放っている。
よれにくいアイライナーは目元を優しく際立たせるグレーブラウン。こちらもハイラにはない色味だった。
ウシナ国というのはこんなにも素敵なコスメティックがあるのかと思うと、その市場を実際に見てみたい気持ちが疼く。
私は元より化粧品が大好きなのである。
「じゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ」
頭を下げて、ゆっくり去って行く馬車を見送った。
やれやれ、少し休憩でもしようかと歩き出したところ、ランナイさんに呼び止められた。
「あれ!フォンミーさん、お二人は行ってしまわれましたか!?」
「ええ、何か御用がございましたでしょうか?」
「ああ…試作品を見てもらおうと思ったんだが…」
「本日はニーアール様のご婚礼に赴いておいでです」
たはーーっとおでこをぴしゃり叩いた。ちょっとびっくりする。
「えっと…フォンミーさんはお忙しいかな…」
「あ、いえ。丁度これから休憩しようかと」
「ならちょうどいい!ぜひこれを試してくれよ!」
「これは…?」
可愛いラベリングがされた瓶詰めを差し出された。
「俺は紅茶なんて飲まねぇんで分からないんだが…。アイリス様のアイデアで、紅茶に味がついた氷砂糖を浮かべたいのだと。なかなかうまくいかなかったんだが…形だけはなんとか。ただ味に関してはちょっと意見が欲しくてな」
「これを…私に?」
「せっかくだから、試作品、紅茶に入れて飲んでみてくれ」
確かに、最近キャンディスとかいう紅茶用の砂糖を作るのだと聞いていたけれど…。ビジネスが好調なのは良いが、その分忙しい毎日が続いて、スカイフォード様がむくれているのを私は知っている。
(試作品にしては、ラベリングやラッピングが可愛すぎない?まるでプレゼントのような…)
じっとランナイさんを見る。四十代らしいけれど、長い逃亡生活で十歳は老け込んだように見える。
(…ばかね、私ったら。何を思っているのかしら)
中はよく見えないけれど、振ると僅かにカラカラと音がした。
ランナイさんはにこにこ笑っている。
ぎゅっと瓶を握った。
「…良かったら、一緒にお茶にしますか?」
「え?いやいやいや!俺は紅茶なんて…」
「でも、販売する以上、ちゃんと分かっていた方が良いのでは?」
「ぐっ…フォンミーさんは相変わらずクールだな…」
「なにか?」
「いや、なんでも…」
紅茶の用意をしている間、ランナイさんはそわそわと落ち着かない様子だった。彼は用意した紅茶を、「久しぶりに感じる、鼻腔をくすぐる強い花のような香り」と表現した。
その表現に、なんだか少し可愛さを覚える。
「それで、これはどのように使えば良いのですか?」
「スプーンで掬って…そうだなあ、二杯くらい紅茶に入れてみてくれ。好みで量は調整して欲しい」
蓋を開けると、鮮やかなマゼンタ色のシロップが見える。
「キャンディスとはシロップなのですか?」
「少し深めにスプーンを差し込んでみてくれ」
すっと差し込むと、かつっと何かが当たる。
掬い上げたらそれは…
「小さいけれど…薔薇の形の氷砂糖?」
なるほど、からから鳴る正体はこれだ。
「綺麗…」
「別に四角でも丸でも良いんだけどよ、アイリス様、喜ぶかなと思って…内緒で花の形にしてみたんだ」
へへっと笑う顔がなんとも少年のようである。
(しかし、これは…)
シロップに漬かった氷砂糖は綺麗なピンク色に染まり、キラキラと光る様はまるで朝露に濡れた美しい薔薇のよう。
勿体無いけれど、紅茶に沈める。それは時間経過と共に、形をなさなくなり、やがて消えた。
その儚さは、ティータイムをより贅沢なものにしてくれそうである。
「すごい…」
「さあ、すごいのは飲んでからだ」
「?」
ただ紅茶に色のついた砂糖を入れただけ。何がそんなにすごいのか。
こくり、喉を滑った瞬間、味わったことのない感動に包まれる。
「これは…ラズベリー!?」
「そうだ。イサクからラズベリーを輸入して、それを甘く煮立ててシロップにしたんだ。良かった、美味しくできたらしい」
(なんて優雅で贅沢なの…!)
ランナイさんも紅茶を啜って頷いた。きっと思うような品にできたのだろう。
それで、ふと思う。
この人が歩んできた道は、本当に辛いだけの逃亡生活だったのだろうか。なぜこんなにも繊細で、美しく心動かされるものを作り出せるのだろう。
「天才!天才です!ランナイさん!」
(やだ、私ったら大声を…)
はしたなさを恥じて口を塞ぐ。
それから、私はしっかり瓶の蓋を締めて、試作品をお返しした。
「ご馳走様でした、美味しかったです、とっても。販売されたら、自分のお金で買わせてください」
けれど、ランナイさんは瓶を私に押し返した。
「貰ってほしい。試作の感想をくれたお礼に」
ぽりぽりと頬をかくその人は、やっぱり不器用な職人だった。
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