第5話小説家、サン・ルシェロの正体
朝日が眩しい。
昨夜、父から「先方より婚約破棄を承諾する連絡があった」と報せを受け、家族から労って貰ったけれど、対して私の心は晴れやかだった。
父によると、テレサについては暇を言い渡したとのことだった。
しかし、たくさんのご令嬢と関係があったのだろうから、一番悪いのはカイン様なのだ。
鏡の前で瓶底眼鏡をかけた。
ふと、未開封の封筒に目が落ちる。
(そうだ、まだ読んでいなかったわ)
ペーパーナイフで封を開ける。
不思議と、この前みたいなドキドキはなく、心は落ち着いていた。
考えてみれば、ここ数日間は、振り子のように感情が揺さぶられていた。
落ち着いて封を開けることができるなら、今日まで開けなくて本当に良かった。
綺麗な文字で『僕が分かったのは君が初めてだ。良かったら会って話そう。日付と場所は――」
✳︎ ✳︎ ✳︎
街にはハイラ国の王太子が来訪する張り紙で溢れている。
どこもかしこも祝賀ムードであった。
(ハイラ国、石油が豊富に取れる地。今回の来訪でいい協定が結べるといいけれど…)
私は張り紙を横目に、サン・ルシェロ先生から指定された店の前に立つ。
(今日まで悩みに悩んで決めた服は変じゃないかしら)と玻璃に映る自分を確かめてから扉を開けた。
「わ、」
なんて素敵なカフェなのだろう。
見れば、カップルかご令嬢のグループで、ほぼ満席に近い。
ウェイトレスに待ち合わせと伝えて、通された席は窓側の明るい席だった。
(さすがに早く来すぎたわ、あと30分もある)
私の悪い癖。遅刻するのは悪いからと何分も早く来てしまう。
でも、待ち合わせまでの時間、こうしてぼーっと外を眺めるのも悪くない。
それまでに、何か注文しようとメニューを開いた時だった。
突然店内がざわついた。
目の前のテーブルに影が落ちる。
「驚いた。僕より先に来るなんて」
「え?」
「はじめまして、サン・ルシェロです」
やはり、と思った。けれど、実物を目の当たりにすると心臓が止まりそうになる。
いつも遅刻しないように気を遣っているけれど、今回は殊更気を遣った。
私は立ち上がり、カーテシーで挨拶する。
「…護衛の方達の数を見るに、お忍びではないようなので、正式にご挨拶させていただきます。アイリス・ドストエスと申します。はじめまして、そして我が国にようこそ、スカイフォード・サヴァリアス王太子殿下」
少しだけ間があったので、一抹の不安を覚えた時、想像よりもやや低い声が返ってきた。
「…座っても良いかな?」
「はい、私も失礼します」
「ここの店、雰囲気がいいだろう?以前来た時に気に入ってね、もし初めて僕の正体が分かった人が女性だったらこの店にしようと思っていたんだけど…どうかな?」
「とっても素敵です。インテリアも細部にまでこだわっていて、まるで物語に出てくるようなお店ですわ」
「気に入ってもらえて良かった」
私に向けて、くしゃっと笑った。
(こんな風に笑うんだ)
ハイラ国の王太子は、よく人心を掴むと噂される所以がよくわかる。女性人気が高いのも、なんとなく頷けた。
「ところで、なぜサン・ルシェロの正体が僕だと分かったんだい?」
私は持ってきた書籍全てを広げた。
「すべての作品の、あるページの1行目に不自然な改行があります。例えばこの作品は上巻の32ページと259ページ。下巻の46ページ。恐らく文字数を指しているのではと思いました。この作品で言えば、"僕"と"が"そして"誰"。不自然な改行の数は作品によってまちまちでした。けれど、それを一作品目の『星の瞬きの間に消えた君』から順に並べていくと『僕が誰か分かれば会おうスカイふオードサヴあリあス』となります」
スカイフォード様は、拍手して「見事だ」と言った。
「まあ、正直なところ僕の書籍はあまり売れなくてね!ははは。あ、ここは笑うところなんだ。この暗号を解くには、新作を含めた全ての書籍を読む必要があるからね。ここまで読み込んでくれるなんて光栄だよ。しかし、全部持ってくるとは…重たくなかったかい?」
「そんな、とっても面白かったです!その、お世辞などではなく…。久しぶりにわくわくしました」
「嬉しいな…というかとても照れくさい…」
運ばれてきた珈琲を啜る所作の何と美しいことか。
薄い金色の髪がさらさらと長いまつ毛にかかる。
気づけば、周りのご令嬢は皆、スカイフォード王太子殿下に釘付けになっていた。
「ねえ!一緒にいるの、アイリス様じゃない…?」「嘘でしょ?なんでスカイフォード様と一緒にいられるのよ」「なんでもカイン様と婚約破棄されたそうよ」「やはりフラれたの?」「惨めねー」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
(フラれたんじゃないわよ、フッたのよ)
喉まででかかったけれど、グッと堪える。
スカイフォード様がそんな私をじっと見ていた。
(あ、こんな私と一緒じゃご迷惑だわ…きっと来訪したばかり。お忙しいのに引き止めてはいけない)
早々に退席しようと思い至った時、私の視界が不明瞭になる。
「なぜこんな眼鏡をかける?」
「えっ…あっ返してください…」
驚いた。スカイフォード様が瓶底眼鏡を取り上げたのだ。
「私、極度の近視なので眼鏡がないと…何も見えな…」
ふわっと風を感じる。
スカイフォード様が私の目の前に手を翳したのだ。
「目を閉じてごらん。そうだ。今、星が一つチラついているだろう?それを目掛けて一気に目を開いてごらん」
ぱちっと目を開く。
薄ぼんやりとしているけれど、先ほどよりかなりクリアに視界が広がっている。
「えっ!?」
「ふむ、これは少々調節が必要そうだな」
「あの、これは?」
「眼鏡の代わりとなる透明な膜だ。少々魔力を消費するが、日常生活に支障はない。寧ろ、眼鏡がないから煩わしくないし、一日中着けていても問題ない。ハイラ国はみんなこれなので、あまり珍しくないぞ」
「まるで何もかけていないみたいです…このような過分なお心遣い、感激痛み入ります」
「ファン一号へのお礼だ」
スカイフォード王太子殿下は、くしゃっとした笑顔で珈琲を啜った。
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