第23話まずは一週間

 さくり、芝生の上を歩く。

 ハイラの王城の庭園には、イサクでは見たこともない赤やオレンジの花が咲いていた。その花は、他の花と比べて不思議なほど雄蕊が長い。


「アイリスさんは、ハイビスカスが珍しいですか?」

「ええ、こちらに来て初めて見た花です」

「本当はもっと南の島の花なのですけれど、こちらに輸入されてからハイラでも良く咲くのだそうです」


(ハイビスカス…名前もなんともトロピカルだわ)


 スターレスカ様は、愛おしそうにその花に触れた。

 髪を少し切ったのだろうか。顔にかかる毛が軽やかな気がする、そんなことを思った時だった。


「スターレスカ殿!!!」


 振り向けばそこには、慌てて駆けてくるシャウダン伯爵の姿があった。思い切り顎が上がって、どたどたと大きな足音を立てている。


「は、伯爵…?」


 ふんわりと風が起こり、スターレスカ様のスカートの裾が空気を孕んだ。

 目の前で急停止した男性の髪は乱れている。

 息も切れ切れ、膝に手をついて懇願する。


「どうか!どうか、考え直してください!はあ、はあ…あなたをっ…か、必ず幸せに…します!!」

「もう決めたことです。お帰りください」


 スターレスカ様は、ふいと背中を向けて、わざと迷惑そうな態度をとった。


「スターレスカ様の心配事は、結婚後のご実家との関係性ではないですか?」

「っ……」


 図星なのか、スターレスカ様は顔を背けて俯いた。


「そんなもの、私が跳ね除けます!!」

「…ですが、ルイストン家と結婚するにあたって、シャウダン家は父から融資を…」

「違う。ルイストンとシャウダンの結婚じゃない。貴方と私の結婚だ」


 私は突然のことにびっくりしてしまい、ただ立ち尽くすしかない。


「それとも、せっかく厄介払いできた娘の幸せを手放しで喜べない御父上が黙っていないと?」

「…ええ、そうですね」

「貴方は私が嫌いですか?」

「いいえ。嫌いではないですわ、そう言うわけじゃありません。でも、よく分からないというのが本音です」


 シャウダン伯爵は、たははと笑った。


「元妻は私のことをつまらない男だと言いました。まあ、それで間男と出て行かれてしまったんですが…こんな話を貴方にしても良い気持ちはしないですね、申し訳ない」

「ちょっ、ちょっと待ってください。えっ…と?…元奥様は、酷い仕打ちに耐えかねて離縁したと…」

「む?そんなことはない!全く、人の噂というのは良い加減だ…。酷い仕打ちというのは?」

「なんでも、食事は粗末で一食与えられれば良い方だとか、元奥様のドレスは全て売り払われた、とか」


 シャウダン伯爵は、目を思いきり開いた後、おでこに手を当ててため息をついた。


「そんな、全くの逆です!我が家が立ち行かなくなったのは、あいつの浪費癖だというのに…!!まあ、そんなことを言っても仕方ありませんね。信じるかどうかはスターレスカ様次第ですから。今となっては確認のしようもないことです」

「そうですわね、確認のしようもないことです」

「もしお嫌なら、すぐ出て行って構いません。勿論ご実家とは関わらない様、私が配慮します。だから、まずは一週間我が家で暮らしてみませんか。それができたら一月、次は半年と、そうやって少しずつ試してみませんか」


 スターレスカ様は、ものすごく思い悩んで「一週間だけなら…」と答えた。

 シャウダン伯爵は、ズレた眼鏡を直しもせず、スターレスカ様の手を握った。


(良かった…)


 私はそっとその場を離れようと思ったけれど、そうだと思い立って、困惑するスターレスカ様に声をかけた。


「ぜひ、オランジェットを持って行ってください」

「はい!!」


 来た時よりも、更に晴れやかに笑っていた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 むいたりんごを差し出すと、スカイフォード様に「食べさせてくれ」と言われてしまった。


「もう!ご自分で召し上がってください」

「風邪で思う様に動けないから、モヤモヤする。つまり、君に思いきり甘えたいんだ」


 仕方がなく、うさぎの形にむいたりんごを口元まで運ぶと、満足そうにしゃくしゃくと食べている。


「それにしても良かったな。スターレスカ殿の修道院行きが取り敢えず延期になって」

「ええ、このまま一生延期になると良いのですが」

「実は君が一番嬉しいんだろ?」

「そうかもしれませんね」

「僕も君をそれくらい喜ばせられる様、努めるよ」

「もう十分に頂いております」


 もう一つりんごを取ろうとしたが、どうも目がぼやける。


「…そろそろクリアグラスの度を調整した方が良さそうだ」

「そういえば、最近よくぼやけます」

「なんだ、早く言えば良いのに」


 私の目の前に骨っぽい手が翳される。前回と同じ様に、星を目掛けて目を開けた瞬間、熱を帯びた唇が私の唇を奪った。

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