第27話その店の名前は(前半、ニーアール視点、後半、シャウダン伯爵視点)
このままでは終わらせない。
(おにいさまにはがっかりだわ)
私の方が良い女に決まっているのに、成人してないからって子供扱いして。わざわざ不健康そうな女を、よりにもよってイサクから連れてくるなんて。
(あんな人だと思わなかった)
おにいさまより格好よくて、素敵な人と結婚して絶対に後悔させてやるんだから。
それから、あのアイリスとかいう女にはうんと恥をかかせてやる。
ぶるぶると震える手が抑えられない。二人とも楽しそうに歓談している。
けれど、よく見たら、アイリスへの冷ややかな視線は相変わらずらしい。
今はその様子を見て心を落ち着かせるよりなさそうだ。
給仕からグラスを適当に取って、ぐいと煽る。
「…おや?失礼ですがレディ、ドレスにジュースが…」
「えっ……!?」
黒髪の男性が跪き、ハンカチを当てた。
「これなら、すぐに染み抜きすれば問題なさそうです」
パッと顔を上げた人は緑色の瞳を私に向けた。おにいさま程ではないにせよ、精悍な顔つきをしている。
(かきあげた髪を下ろしたら、もう少し肌に気をつかったら、もっと素敵になるんじゃない?)
「これは…ニーアール様でしたか!とんだご無礼をお許しください。お召し替えをされた方がよろしいのでは?今、侍女を呼んで参りましょう」
「…貴方も…」
「は?」
「貴方も私をガキだと思う?」
面食らった彼は、丁寧にお辞儀をして言った。
「申し遅れました。ドラゴアーク・メイサンです。以後お見知り置きを」
(メイサン…?メイサン宰相の息子かしら…。確かに見たことがあるような、ないような…)
ドラゴアークは、胸に手を当ててお辞儀の姿勢を崩さないまま、射抜くように私を見て言った。
「ニーアール様、ご自身をそのように下げてはいけません。貴方は誰よりも気高く、美しい。成人前だから子どもだと?なら成人したら誰もが羨む女性になるだけのこと」
「つまりやっぱり今はガキということでしょう?」
「随分と年齢に拘りますね」
「…貴方はいくつ?」
「17歳ですが…」
「ほら、成人して余裕がある人は別段気しないんでしょうけど…」
ふっと笑う口端に男性特有の色気を感じて、不覚にもどきりとした。
「こんなにも美しい人を前にして余裕がある男などおりません」
(へえ)
私を口説いて利用したいのかしら。随分と面白いことを言う。
私は笑みだけで牽制した。
「それに確かニーアール様は14歳、もうすぐ成人のはずでは?」
「ええそうね」
「成人した貴方を一番にダンスにお誘いしたいのですが、それは叶いますか?」
(それは…)
「求婚と捉えるわよ」
「如何様にも捉えてください」
彼にどんな企みがあるにせよ、私も利用させてもらうだけだわ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「無事に本日開店を迎えます。皆さん、今日まで準備や仕込み、本当にご苦労様でした。けれど、本番はこれからです。ハイラのみなさんに広くオランジェットを知ってもらえるように、頑張りましょう」
そう言って微笑むアイリス様は少し痩せられた。
輸入交渉だけではなく、店舗のデザインは細部まで拘っておられた。販売員の採用については、スターレスカ様も交えてかなり悩み抜いた。アイリス様はその多岐にわたる激務に加えて、やがて国妃になるための勉学にも寝る間も惜しんで励まれているのだ。
それでも三ヶ月という短期間での実現は、空間魔法で国と国を行き来できるハイラの移動手段が大きく貢献している。
それだけで見ても、やはりハイラというのは他国との貿易に圧倒的に有利な国なのである。
(アイリス様のため、ハイラのため、オランジェット販売をなんとしてでも成功させなければ)
今回貿易交渉したエジアナという国では、カカオが豊富に取れる上、オレンジ農家も多い。
まずは輸入コストを抑えることが先決であるため、カカオとオレンジの輸入交渉がこのビジネスの肝と言えた。
ハイラというだけで、ピリつく雰囲気を柔和にし、最終的にエジアナの首を縦に振らせたのは、他でもないアイリス様だ。彼女がいなければ今回の輸入は叶わなかっただろう。
(正直、嫉妬するほどの交渉力だった)
アイリス様は領主だけではなく、カカオ農家やオレンジ農家にもオランジェットを配り、紅茶を淹れて一緒に味わうように勧めて、その魅力を力説していた。
カカオ栽培を主な財源とするターリー子爵と、膨大な土地を所有し、オレンジ栽培も行っているオーセイ辺境伯の二人の領主は、はじめは難色を示していたのだ。
けれど最終的に快諾するに至ったのは、徹頭徹尾礼を尽くすアイリス様の姿勢を見たからに他ならない。
(私も見習わなければ)
貿易というのは、"対等"でやり合うものだと思っていたが、そうじゃない。特にこれからのハイラは、相手を尊重する姿勢が大切なのかもしれない。
アイリス様は、ずらりと並んだ販売員の緊張を笑顔でほぐしてから、カランと扉を開いた。
「ショコラ・ビッテ、開店です!」
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