第2話活字の海
「あった!サン・ルシェロ!」
どうやらミステリ小説家らしい。どのタイトルもとても興味をそそられる。
『星の瞬きの間に消えた君』
『殺人は砂時計の中』
『闇を裂いた猟奇』
『メフィストフェレスの晩餐』
全て上下巻、しかもかなり分厚い。
何を隠そう、私はミステリ小説が大好きなのである。
これも何かの出会い、一作品だけ買って読んでみることにした。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「アイリス様ったら、またお支度が整っていないのに出かけられて!」
髪の毛を結い、化粧を施してくれる我が家の侍女テレサがプンプンしている。
長女と同じ五歳上の侍女は、お互いなんだか気楽に接している。
「旦那様に見つかったら、また大目玉ですよ!?」
「でも、カイン様に早くお渡ししなくちゃいけないと思って…。明日がテストなのよ」
「もおっっ!!!!こんなに健気な婚約者を置いて遊び呆けるなんて信じられませんわ!!」
「卒業できなかったら、結婚が遅れて、それこそ浮気三昧なんてことになりそうだしね…。お手伝いして差し上げたいのよ」
たははと笑った心の内では、
(私も勉強できるしね)
などと思っていた。
「まったく、アイリス様はお人好しなんですよ」
侍女は、いつまでもプンプンしていた。
(化粧したって、私の野暮ったさは変わらないわ。寧ろ素顔の方がマシかもしれない)
どうにも化粧が浮いて見える、ヘアアレンジも背伸びして見える。
だから、なるべく目立たないように選ぶドレスも地味なものばかり。
(お姉様やお兄様はみんな美しいのに…)
うん!と背伸びして机に向かった。
カイン様のお手伝いが終わったので、これからは私の時間だと思うとほくほくする。
机の上に買ったばかりの本を広げた。
『殺人は砂時計の中』上下巻である。こんなにうきうきするのは久しぶり。
新しい本との出会いは、いつだって知らない土地に旅に行くようなトキメキをくれる。
(このタイトルに隠された意味はなんだろう)
表紙を捲る手が緊張を帯びる。
『この本を手に取った読者諸君は幸運だ。さあ、砂時計を返すのだ。その砂が落ち切る前に。』
私は冒頭の一文で既に心を射抜かれてしまった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「アイリス様、湯浴みの準備が整いました」
その声にハッと我に返った。
気づけば窓の外は夕暮れである。
(どうしよう、まだ犯人が捕まっていないのに…)
テレサの胸に何やら見慣れないものがチラついている。
「まあ!小鳥のブローチ?素敵ね!」
「今度聖女の感謝祭がありますでしょう?着けて行こうと思いまして、ちょっと先んじて着けてみました」
なんだかすごくウキウキしていて何よりである。
けれど…
(聖女の感謝祭かあ〜!こちらからカイン様をお誘いしなくてはならないのかしら…)
はっきり言って嫌だ。もう、すごく面倒くさい。
だって絶対に一緒に歩いてはくださらないもの。
瓶底眼鏡を外したって、それは変わらない。街行く女性をキョロキョロ眺め回して、本当に失礼だと思う。
一昨年は、子爵令嬢を連れてきて、これでもかと見せつけられて、そのまま二人で雑踏に消えてしまったし。
去年はチラチラ私を見ながらため息ばかりつくから、「こんな出店がありますわ〜」となんとか盛り上げたものの、空回りしてしまうし。
湯浴みをしながら、もんもんもんと考えていたけれど、いつの間にか、ミステリ小説の続きを考えていたので、聖女の感謝祭のことなど、すっかりと忘れてしまった。
こうして、本を読み耽り、結局今日も徹夜となった。
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