第3話成人祝いで、消えた婚約者
大変だ。
今日は私の成人祝いの日だというのに、連日サン・ルシェロの本を読み耽ってしまって目の下の隈が酷い。
昨日は待望の新刊、『マーメイド号の行方』が出版されたので、(あとちょっとだけ)と思いつつページを捲る手が最後まで止まらなかった。
あの時、散乱した原稿の一枚でも無くならなくて本当に良かったと胸を撫で下ろしながら本を閉じたら朝だった。
今日の為に作ったドレスは淡いピンク色。
お母様がどうしてもと言ってピンク色が採用されたけれど、なるべく目立ちたくない私はピンクの中でも淡い色を選んだのだ。
(あれ、いつもより似合ってる…?)
侍女たちは忙しそうにあらゆる支度を整えてくれた。
メイクとヘアアレンジは手慣れたテレサが担当する。
支度が整った私を見て、エスコートをするカイン様はちょっとうんざりしたような顔をした。
せっかくの祝いの場、気分を落としてはいけないと気丈に背筋を伸ばして来賓に頭を下げた。
「皆様、本日は私の成人祝いに集まっていただきありがとうございます。ささやかですが、席を設けました。楽しんで頂けたら幸いです」
その後、一人一人と挨拶するうちにカイン様はいなくなった。
見れば、遠くの方で、男爵令嬢となにやら親しげに話しているではないか。
その他のご令嬢からもヒソヒソ声が聞こえてくる。
「ねえ、自分の成人祝いに、婚約者が他のご令嬢を口説いてるとか…」「ヒサンー!」「私だったら耐えられないわよ」
(私だって耐えられないわよ)
私の気分とは反対に、弦楽器の音が軽やかに聞こえてきた。
まず初めに主役である私がカイン様と踊るはずだけど、そのカイン様がどこにも見当たらない。
私たちが踊らなければ、他の人たちも踊れないわけで、痛いほどに視線が刺さる。
「ねえ、嘘でしょ?」「やだー」「いくら野暮ったくても婚約者でしょう?」「惨めねぇ」
居た堪れない空気の中、それは突然破られた。
父と母が軽やかに躍り出て、見事なダンスを披露したのだ。
我が家は厳格で、私も厳しく育てられた。
心の中では、カイン様の行動について両親から「婚約者である私にも責任がある」と叱責されるだろうと思っていた。
でも、父と母の機転でこの場を乗り切ることができた。
ダンスを終えた両親は深く頭を下げて、笑顔の母が明るい声で言った。
「さあ!どなた様も踊ってくださいな!」
その後、私は長兄と踊った後、何人かの御令息と踊った。
✳︎ ✳︎ ✳︎
その夜、やはり両親から呼び出された。
葉巻を燻らせていたのを母に窘められて消した父は、居住まいを正して私に向き直った。
「カイン殿が随分とその浮き名を立たせていることは承知していたが…あれは随分と酷いな。お前はどうしたい」
「私は…この家のためになる事を精一杯やるだけです。もし破談になれば、こんな私を貰ってくれる人などおりませんでしょうし…それに、カイン様も結婚すればきっと家庭を壊すような事はなさらないはずです」
ドストエス家は、父や兄達はもちろん、先祖代々事業で成功を収め、発言権も大きい。国王陛下とて一目置く家柄なのだ。
カイン様側からしても、破談になど、ましてや結婚後に離縁などしたくないはずなのである。
父と母はお互い見合ってから言った。
「私達はね、なによりお前に幸せな結婚をして欲しいのだ。カイン殿の父君とは昔から懇意にしているし、彼のことは子どもの頃からよく知っている。私たちの目も行き届くだろうと思っていたのだが、最近はどうにも目に余る。嫌だったら断っても…」
「いいえ、私、お父様とお母様にそんなに大切に思って頂けて十分幸せです」
「だが、今日のことは…」
「お父様、お母様。とんだ恥をかかせてしまいました…。家門に泥を塗るようなことをしてしまい、お叱りを受けるかと思っておりました」
ぽろぽろと涙が溢れてきた。
私はなぜカイン様の為に泣いているのだろう。
家同士の結婚とはいえ、確かに同志のような感情が芽生えていた。
それを裏切られた悔しさかもしれなかった。
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