第34話甘い言葉

 季節は巡って秋になった。正直言ってほっとしている。

 暑さ厳しい南国の夏は、コルセットをしていると汗疹ができるし、ドレスは重たい。

 昔なら伝統衣装がどんなに重宝したことだろう。けれど、いまや身に纏う者は少ない。


 秋になって、気温が下がったとはいえ年間を通して温暖なハイラは日中汗ばむこともある。

 それは男性側でも同じことが言える様で、涼茶を流し込んだシャウダン伯爵は、一息ついてから汗を拭った。


「アイリス様、最近好調だったショコラ・ビッテの売り上げが伸び悩んでおります」

「…そうみたいね。販売だけではなく飲食スペースを設けてみたけれど効果は薄いし…。デコレーションしたオランジェットを販売した時は、すごく好調だったけれど…できればデコレーションは期間限定にしたいところよね。うーん。売り上げが安定してきた、といえばそれまでなのかもしれないけれど…」

「いやぁ、本音を言えば、私どもの貿易に関してエジアナとはかなり良好な関係を築いております。ショコラ・ビッテ一店舗ではなく、広くハイラという国で見ればかなりプラスではあるのです。アイリス様に感謝です」

「それは良かったわ。何にせよ、未来を見据えれば国としての利益が大切ですから」

「ショコラ・ビッテのことを考えれば、思い切って二店舗目を出してみるという手もあります」

「うーん…そうねえ…」


 確かに、店舗を増やせば経営コストはかかるけれど収益の増加は見込める。広く知ってもらうキッカケにもなるだろう。でも、結局飽きられて仕舞えば二店舗とも経営難となるだけ。

 今の内に手を打ちたいけれど…


(……そうだ!)


「シャウダン伯爵、飴細工はご存知ですか?」

「飴、ですか…。確かに諸外国では、よく屋台などで見かけますね。温暖なハイラでは、チョコレートや飴はもともとあまり広まらなかったのですよ。ショコラ・ビッテのように販売方法を工夫すれば乗り越えられることですが」

「でも、ハイラではサトウキビの栽培が盛んですよね?国内の生産者に目を向けることも大切だと思うのです」

「…しかし、飴は子供が屋台で食べるものでは…?ショコラ・ビッテのイメージにはどうも合わない気がしますが」

「ちょっと待ってくださいね、イサクから持ってきたものがあって……。これ!この飴細工見てください!あんまり綺麗でもったいなくて食べられなかったんですけれど」

「これは…なんとも見事ですな。子供が食べるものだと思っていたので、こんなに近くで見るのは初めてです」


 一つだけ残った花の飴細工をこっそり持ち帰って、それを時々眺めては故郷を思い浮かべていた。


「こういう飴細工なら、きっとご令嬢にもウケると思います。勿論、子供にも。ということは、ついで買いが狙えますね」

「でしょう!?」


 けれど、シャウダン伯爵は「うーん」と腕を組んだ。


「これはかなり高度な職人技…ハイラで同じ様なものが作れるかどうか…」

「それなら、職人に来てもらってはいかがでしょうか!」


 シャウダン伯爵は目をパチパチと瞬かせた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





「スカイフォード様、お仕事お疲れ様でした」

「ああ、疲れた。とっても」


 夜着に着替えたスカイフォード様から、湯上がりの良い香りがする。

 ぽすんと私の膝に顔を埋めた。


「まあまあ!」

「…だが、君の顔を見ると疲れなど吹き飛んでしまうな」

「…なんだか猫みたいです」

「それはいいな。一日中可愛がってくれ」


 絡ませた指が、唇に柔らかく触れる。それから、鋭い目線で私を射抜いた。


「…あのう、まだ怒っておいでですか?」

「あたりまえだ」


 スカイフォード様は今だにカインと会話したことを根に持っている。


「私から拒絶してやったのですよ。これ以上ないではないですか」


 スカイフォード様は勢いよく起き上がる。


「それが嫌なのだ!僕が守ってやりたかったのだ!」

「そんなことをしたら…屋敷に入られでもしたらもっと大変でしょう?」

「それは…そうだが…」


 ごにょごにょと口篭って俯いた。この人はなんとも子供っぽいところがある。


「あ、今子供みたいだと思っただろう!」

「えっえっ…お、思ってませんわ?」

「嘘だ!アイリス、君は嘘をつくのが下手すぎる」


 私の腕を掴んで押さえつけられたので、二人ともベッドの上に深く沈んだ。


「っ!」


 私の上に突っ伏したまま、スカイフォード様は顔を上げない。


「スカイフォード様?…あ、あの」

「…こんな僕は嫌いか?」


 答えを探しているうちに、随分と時間を要し、目を泳がせる私にひとつの口付けが落とされた。


「君を困らせたかったわけじゃないんだ…すまない。どうも、うまくいかないな…」

「あのう、正直に告白してもよろしいですか?」

「なんだい?やっぱり結婚は嫌だとか…?そんなのだめだぞ!僕は…」

「私、スカイフォード様に見つめられるだけで胸が痛くて、甘い言葉をかけられると、呼吸が止まってしまいそうなのです。それはつまり、子供みたいなのは私だからで…」


 ぐるぐると目が回りそうになりながら、なんとか言葉を紡いで必死に説明した。


「アイリスは悪くないさ。そういうのも含めてさりげなくエスコートするのが紳士の勤めというものだ」

「そんな!スカイフォード様はいつも一生懸命に私と向き合ってくれているし!」

「い、一生懸命?」

「私がどうも男女の愛情に対して疎すぎるのであって、スカイフォード様は頑張っていらっしゃるし!」

「頑張って…?」


(あ、あれ?)


 なぜだろう、うまく伝わっていない気がする。冷や汗が吹き出た。


「…ぷっ…くっくっく…!あはははは!!いやあ、アイリス、君はやっぱり面白いなあ」

「はあ…えっと…?」

「何とか挽回しようとするのに、どんどん空回りしてドツボにハマる感じがなんとも可愛らしい」

「え、ちょっと、怒りますよ?」


 ぽこすかと胸の辺りを叩いた。


「あははは!!分かった分かった、悪かったよ!くくく…」

「…前から思ってましたけど、笑いのツボが不思議すぎませんか…」

「いやあ、あんまり微笑ましいのが度を越すと、笑いが込み上げてくるな。わるいわるい」


 目尻の涙を指で拭いてから、改めて私に向き直った。


「僕には過ぎる幸せだ。君のおかげだな。…そうだ、今夜は少し飲もうかな」


 ブランデーに口をつけてから、チョコレートを口に含んだのを見つめていると「君も飲むかい?」と聞かれた。


「いえ、私は…。その、スカイフォード様がお酒を嗜む姿が男性らしくて素敵だなって」

「そうか?…素直に嬉しいな。ほら、チョコレートくらいは食べたら良い」


 私の口にぽこっと放られたチョコレートがじんわりと溶け出す。


(かなり甘めのミルクチョコレート…そうだ)


「スカイフォード様、ショコラ・ビッテで飴細工を展開したいと思っていまして…イサクで出会ったあの飴細工職人の方に声をかけてみようと思うのです」

「…ああ、あの職人か。彼は僕が誰か気がついていたみたいだな」

「え?ええ!?」

「ついでに言うと、彼はおそらくハイラの者だろう」


 日焼けしたような肌と黒い髪を思い出す。


「なら!交渉次第ではハイラで飴細工を作って…」

「それは難しいのじゃないかな。何か事情があってイサクにいるのだろうからな」

「うっ……」

「まあ、そうめげずとも、行ってみたら良いじゃないか」


 肩を抱き寄せられた。暖かな胸が私をどんなに安心させるか貴方は知らないでしょう。お酒の香りのくちづけは背伸びした大人の味だった。

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