第31話どうぞ私の人生に関与しないで

 鏡台の前で、なかなか支度が進まない私をスカイフォード様はしゃがんで覗き込む。


「ほら、顔をあげてご覧」


 少し照れながら顔を上げると、その大きな瞳に吸い込まれそうになる。

 金糸の髪に透けて見える、意志の強い眼差し。それが今日は優しさに満ちていた。


「綺麗だ、アイリス。君はいつだって、綺麗だ。けれど今日は格別に美しい」

「それ以上甘い言葉をかけないでくださいませんか…」

「仕方ないじゃないか、アイリスを見ていたら自然と言葉になってしまうんだから」

「〜〜〜っ!!!」


 これから故郷で身内だけの婚約式だというのに、あんまり顔を赤くさせないで欲しい。

 スカイフォード様は多分、私に元気がないのを気にしてそう言ってくれているのだけれど。


「ほら、もっとしっかり僕を見て、僕の言葉を聞いてくれないか」

「もう!すぐ支度しますから!よして下さい!」


 分かっている。こんな事くらいでいちいち顔を赤らめていたら、これからの夫婦生活は一体どうなってしまうのだ。

 けれど、どうやら私はスカイフォード様の言葉一つで簡単に身悶えしてしまうらしい。

 そういえば、サン・ルシェロの小説を初めて見た時に不思議と引き込まれたのは、スカイフォード様の言葉選び故なのかも知れない。


 はあ、と息をついてヘロヘロとスツールにもたれると、意外にも自信に満ちたその人自身も顔が真っ赤だった。


「…あんまり可愛いことをしないでくれ…」

「え?」

「自覚したまえ。君はいちいち可愛すぎる」

「おかしなことを仰います」

「君が顔を赤らめてため息をつきながら、スツールに顔を埋めるからだろう」

「…変ですか?」

「とにかく、他の人の前でやらないでくれ」

「これは見苦しいところをお見せして…」

「…いや、僕の前では大いにやってくれて構わない…」

「はあ…」


(この人の琴線が全然わからない…)





✳︎ ✳︎ ✳︎





 遠方に嫁いだ姉や、多忙な二人の兄も駆けつけてくれ、ドストエス家は久しぶりに賑やかになった。

 姉の子供は三歳になったばかり。孫に会えて目尻が下がる父母を見て、改めてイサクでの婚約式を提案してくれた国王陛下と王妃に心から感謝した。


 身内だけの婚約式は滞りなく終わり、実家のサロンでゆっくり過ごす時間が愛おしい。

 手土産に持参したショコラ・ビッテのオランジェットを、男性陣はブランデーのお供に、女性陣は紅茶と一緒に味わっていると、てちてちと姪のティアナがやってきた。


「アイシュー、お庭きて」

「あら良いわよ、遊びましょう」


 まだ舌足らずな姪は、私のことをアイシューと呼ぶ。

 引っ張られるがまま、庭園に出たが、その歩みは止まらない。


「ティアナ、お庭で遊ぶのでしょう?何をして遊ぶの?」

「ちなう、きて」

「違うって、何が違う……」


 このまま行けば門を出てしまうけれど、それでも構わずに引っ張られて行く。

 随分と足取りが確かなティアナには、何か明確な目的があるのだ、と感じた。

 ばたばたと門を出るとすぐに「ありがとう」と影から声がした。


(この声は…)


 振り向くとそこには、かつての婚約者がいた。


「カイン様」

「やあ、アイリス。ああ、なんて…すごく綺麗だ」

「私に、何の用ですか?」

「…僕は気づいたのさ。君がどんなに僕に献身的に尽くしてくれていたのだろうかって」


 目の前にバサっと薔薇の花束を差し出された。無造作な渡し方は、彼が一つも反省していないことを如実に表している。


「だからきちんとプロポーズをさせて欲しいんだ。すまない、アイリス。いつも君を不安にさせてばかりで。これからはただ君一人を愛すると誓うよ」

「おかしなことを言います!婚約は破棄されましたわ!」

「僕は了承していない!!!!」


 急に怒鳴ったので、私もティアナも肩が跳ねた。怯えた表情のティアナに気がついたカインは、しゃがみこんで姪の頭をぽんぽんと撫でた。


「ああ、ごめんよ。ちゃんと約束の御駄賃をあげなければ」


 慌ててティアナを自分の背後に隠す。


「…こんなに小さな子を使うなんて…!!ティアナに何をしたのですか!」

「うん?この子かい?さっき屋敷に入る前に、『ここでいつまでも待っているから、連れて来れそうな時にアイリスを呼び出して欲しい』と言ったのだよ。ほら、約束の飴だ」

「わあー!」


 棒付きの大きな飴を見たティアナの瞳が一気に輝いた。


「そもそもアイリスだって悪いんだぞー。その美しさを殺していたんだから。好いてくれるなと言わんばかりじゃないか」


 スカイフォード様の言葉のように受け入れられない。カインの言葉には相手への気持ちは微塵もないからだ。

 そもそも、こんなに幼い子を使うなんて、いつまで経ってもカインは自分勝手なままだ。

 私は、ティアナへ差し出された飴をはたき落とした。


 カインは無表情で落ちた飴を眺め、ティアナは火がついたように泣いた。


「ちっ、うるさいなあ。人が来てしまう」

「私は婚約式を終えました。正式なスカイフォード様の婚約者です」

「おいおい、僕たちだって元々婚約していた仲で…」


 私へと伸ばされたカインの手を振り払った。そして冷たく睨む。


「貴方に献身的に尽くしていたのは、そうせざるを得ないほど、貴方自身が堕落していたからです。私は貴方のことを一度たりとも愛したことなどありません」

「アイリ…」

「そうだ、学園生活は快適ですか?私がいないとレポートの提出が大変でしょう?…それとも、まさか落第でもしましたか?」


 カインは俯いたまま、顔を赤くして何かに耐えている。


 呆れた。


(そんな訳はないだろうと思ったけれど、そんなに顔を真っ赤にするなんて、図星なの?)


「ア、アア……アイリスのせいなんだぞ…君が、約束したレポートを持ってきてくれなかっただろ!?それで僕は……!!責任を取れ!!」

「おかしなことを。まるで孕ませた女のような台詞を仰るのですね。ご自身の人生の責任はご自身で取られたら良いですわ。だからカイン様、私の人生にこれ以上関与しないでください」


 酷く衝撃的な顔をしている。何もかも、今更気がついても遅すぎるのだ。それぞれの人生は、全然別の方向に舵をきって、決して交わることなどないのだから。


 バサっと花束が落下した。

 一歩二歩と後退して、カインはそのまま駆けて行ってしまった。


「おい!どうした!何事だ!?」


 異変に気がついた兄やスカイフォード様たちが駆けつけてくれた頃には、カインは遠くに消えていた。

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