第45話外伝1-2(王女・ウィンディア、アイリス、平民・ウィンディアの視点が切り替わります)
「これはまずいね…ユーランさん、アンタまた重いもの持ったんだろう?次無理をしたら、本当に赤ちゃん出てきちまうよ!」
「このくらい大丈夫だと思ったんだけどねぇ」
「頼むから、暫く安静にしておくれ。…ウィンディアちゃん、そこにいるんだろ?お母ちゃんがあんまり動かないように、ちゃんと見張ってておくれよ」
恐る恐るカーテンを開けて、桶で手を洗うサンバさんという人に笑顔で言われた。
「大丈夫、なの?」
「大丈夫、とは言えないねえ。せめてあと一ヶ月は赤ちゃんがお腹の中にいて欲しいんだ。協力してくれるかい?」
(協力って…本当にこの人が私のお母様になってしまったの…?)
「…早く出てきてくれた方が良いものじゃないの?」
「今出てきたんじゃ、あんまり早すぎるよ」
よくわからない。早い方が楽に産めそうなものだが。
サンバさんは苦笑いにも似た表情で、私の目をじっと見つめる。自分ではない外側の誰かの瞳を通して、本当の自分の魂ごと見透かされている気がしてたじろいだ。
「…赤ちゃんってのはさ、お腹の中で、生きる術を少しだけ身につけてくるんだ。外に出てくるその日まで、お母さんに守ってもらってる。早すぎたら、死んでしまうことだってあるんだよ。それにね、早すぎるということは母体にも影響があるということだからね…お母さんも危険になるかもしれない」
お母さん、と言われても、目の前の妊婦に対して何の感情も湧かない。ほんの少し哀れに思うだけだ。仕方がない、本当の自分の母親ではないのだから。けれど、これから私はこの人を母と思って暮らさなければならなくなるかもしれない、一生そうなったらどうしようと戸惑うことしかできない。
本当のお母様の顔が浮かんだ。堪らなく会いたくなる。
「お母様」
声には出さず唇だけを動かした。
ただ下を向くしかない私に向けて、母親だという人は冷たく言った。
「その子は何もしてくれやしないよ。今日だって…」
「はっはっは!ユーランさん、イライラしてるね!」
「そんなんじゃないよ!」
「まあ、そう言わずにさ、この子、血相変えてウチまで走って来たんだよ?労ってやりなよ」
けれど母親はそっぽを向いてしまった。
仕方がなさそうにサンバさんは帰り支度を始めたので玄関まで見送る事にした。
「ウィンディアちゃん。お母ちゃん、変わっちゃったみたいに思うかもしれないけどさ。今はお腹の赤ちゃん守るために怒りっぽくなってるんだ。許してやりなよ」
「でも、あんな言い方ってないと思うわ」
「なんだい、貴族みたいな話し方して。面白い子だね。ほら、お父ちゃんは海に出てなかなか戻ってこないだろう?アンタだけが頼りなんだよ」
変わったも何も、私は以前を知らない。
ぷいとそっぽを向くと、頭をポンポンと撫でられた。
お母様とお父様にしかされたことがないので、すごくビックリする。
「当分お母ちゃんは動けないから、しっかりやるんだよ」
じゃあねと言って行ってしまった。
(戻りたくない)
この扉を開けて、山盛りに残った家事をこなさなければならない。
涙を拭って、目一杯背筋を伸ばして玄関を開ける。
母親だという、その人は泣いていた。
(泣くくらいならこっちを手伝ってよ!)と思ったけれど、そうはいかないらしい。
(平民の子どもは、こんなに大変なんだ…弟や妹が産まれたら、きっともっと働かされて…)
ゾッとしたけれど、とにかく今やるべきことを早く片付けなくては。陽はとうに暮れている。
お腹は空いたし、洗濯はびしょびしょのまま。
(もしかして、明日着る服がないってこと!?)
その場合はどうなるのだろう。まさか、びしょびしょのまま着るのだろうか。
そんなことを考えながら、動く手に任せて作った、クズ野菜のスープと硬いパンを母親に差し出した。
「おいしいよ、すごくおいしい。ありがとうね。ごめんね、母ちゃん、アンタに当たって…ごめんね…」
さっきまであんなに怒ってたくせに、急に泣き出して、よく分からない。けれどなぜか少しだけ嬉しかった。胸の中がほのかに温かくなる。
母親がそうするのを真似て、硬いパンをスープでふやかしてから口に運ぶ。思い返してみれば、これが今日初めての食事だ。
欠けた皿に乗った、彩りのない食卓。二品なんて今まで経験したこともない。
(これが庶民の暮らしなんだ…)
ゴワゴワのベッドに潜り込む。すえた臭いがした。
勉強するだけでは分からなかった。これをどう改善したものだろう。けれど、改善したいと思うからには、やはり学ぶしかないのだろう。
『何の知識もなく国を治められるほど甘くない』
お父様の言葉に胸を詰まらせる。隙間風が、涙の筋を冷たく撫でた。
(元に戻りたい!!!お父様!!!お母様!!!!)
今までにない程の心の叫びに、声も出さずただ泣いた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「最近、ウィンディアの様子が変でしょう?」
「やっぱり君もそう思うかい?」
「…勉強したくないと不貞腐れた日、あの子貴女と同じことを言ったのよ。『産まれるときに声がした』って」
スカイフォード様は驚いた顔で私を見つめたけれど、すぐに強い眼差しに変わった。
どちらからともなく頷いて、ウィンディアの寝室へと向かった。
コンコンコンと三回軽めのノックを響かせる。
「ウッィン!ディアッ!」
「もー!誰?こんな夜に……。あっ…お、お父ちゃ…お父様、お母様。どうかされまして?」
「ちょっと良い?お話ししない?」
「うん…。は、はい!どうぞ?」
(貴族もベッドに座っちゃって良いんだ)
何か粗相をしては怒られる事ばかりなので、二人が座ってからアタシもベッドに座った。
緊張して拳を握ると、陛下がにこやかに話しかけてくれる。綺麗な造形の顔が近づいて、顔が熱くなった。
「気が付かなかったみたいだけど、ウィンディアはお母さんが来るとすぐ分かるんじゃないのか?」
「えっ?」
「…やだわ。スカイフォード様ったら。私が来たなんて分かるわけないわよねぇ?ウィンディア」
「そうだよ!わ、わかんないよ。分かるわけないだろう?」
国王陛下と王妃殿下は目を見合わせた。
それから、王妃殿下が私の背中をさすりながら言った。
「やっぱりあなた、ウィンディアじゃないわね?」
(バッ…バレた!殺される!くくり首にされる!)
どくどくと血流が波打つように、体の中を暴れている。視線が定まらない。手のひらは汗で湿った。
「…大丈夫、何もしないから。ただ正直に言って頂戴。ウィンディアは私たちの大切な娘なの。貴女にも本当のご両親がいるんじゃないの?」
「ア、アタシは…ウィンディアだよ」
ため息をついてから、国王陛下は言った。
「それ。ウィンディアはアタシ、なんて言わない」
思わず口元を押さえた。
二人の視線が、私に突き刺さる。
でもそれは、決して殺そうなどという目ではなく、心配する親の視線だということに気がついて手を下ろした。
「…殺さない?」
「殺すわけないよ。少しの間だって親子だったのだから、そうだろう?」
「本当に?」
「当たり前だ。僕はそんな暴君になったつもりはない。何か事情があったのだろう?話してごらん」
「…わかんない。目が覚めたらこの身体だったから」
正直に言ったのに、二人は怖い顔で私を見た。
「や、やっぱり殺…」
「「ごめんなさい!!」」
「へ?」
二人は頭を下げた。平民なんかのアタシに。
大人に初めて謝られた、それだけで困惑ものだと言うのに、それがしかもこの国の国王と王妃だ。
どうすれば良いのか分からなくて、「わ、わ…」としか言えなかった。
暫く頭を下げていた二人はそれから私をぎゅっと抱きしめた。
「君のせいじゃないよ。君のせいじゃない」
「巻き込んでしまって、ごめんなさいね」
「お母さんやお父さんが恋しいだろう?」
もうすぐ赤ちゃんが産まれるお母ちゃんは最近すごくイライラしていて、怒ってばかりだ。
お父ちゃんは漁師で、一度海に出ると半年は帰ってこない。でもそんなの嘘だって知ってる。本当はもっと早く帰ってきていることも、隠れて娼婦に売り上げの半分を渡していることも。だからうちは、どこよりも貧しくてクズ野菜しか食べられない。汗をかいても汚れても、毎日同じ服を何度も直して着ているんだ。
それが嫌で嫌で堪らなくて…眠る前にはお姫様になる妄想をした。もしかしたらお姫様になる夢を見られるかもしれない、そうしたら寝ている間、つまり一日の半分はお姫様ということになるんだって。一度もそんな夢、見たことないのだけれど。
でも、だけど、やっぱり…
「ア、アタシ、お母ちゃんに会いたい!お母ちゃん!!」
うわああああん!と信じられない声で泣いた。
きっと本当のお姫様はこんな風には泣かないんだろう。
でも、二人は本当のお父ちゃんとお母ちゃんみたいにずっと頭を撫でてくれた。
「明日になったら、元に戻れる方法を探そう、な?」
「うん…ぐすっ」
「今日はもう遅いからお休み」
「あ、あの!…二人にお願いがあります…。その、ベッドがあんまり広過ぎて…その…えっと…」
もじもじしていると、王妃殿下がベッドに潜り込んだ。
「さあ、こちらへいらっしゃい」
「わ!わ!」
ふかふかのベッドを四つん這いで潜り込んで、王妃殿下の隣に収まった。
「あっ!ずるいぞ!僕も…」
(こ、国王陛下って…こういう人なんだ…ちょっと意外…)
ちょっとびっくりしたけれど、二人の間にしっかり収まって、ゆっくり眠りに落ちていった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
小鳥の囀りが耳に優しく朝を教えてくれる。
「う、ん…」
ごしごしと目を擦る。
(今日もまた、水を汲まなきゃ…)
そう思ったけれど、何だかいつもより窮屈なベッドは、不思議とやたらふかふかしている。
左を見るとお母様が、右を見るとお父様が私を挟んで眠っていた。
恐る恐る手のひらを見る。つるんとした、マメのない手だった。
(元に戻ってる!!!)
「ウィンディア…起きたのかい?」
「お、お父様…お父様ぁ!!」
「あら、どうしたの?」
「お母様も…!!!」
うわあああああん!と初めて大きな声を出して泣いた。
お父様とお母様はお互いを見つめ合って、仕方ないという風に笑って、私を抱きしめてくれた。
「もう少し、こうしていようか」
「うん」と言いかけたけれど、お母ちゃんだった人のことを思い出す。
それでやっぱり
「ううん。私、早く起きて勉強しなくちゃ、立派な女王になれないもの。まだまだ解決しなければいけないことが沢山あるのよ、お父様、ご存知!?」
と早口で言った。
二人はキョトンとした顔をしたかと思うと、いきなり大声で笑った。
「うんうん、これは本物のウィンディアだ」
「そうね、本当にそうだわ」
二人がそんな風に納得しているので、なんだかちょっとムッとする。
けれど、すぐに嬉しくなって肩をすくませた。
「おかえり、ウィンディア」
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