第44話外伝1(王女・ウィンディア、アイリス、平民・ウィンディアの視点が切り替わります)

「ウィンディア様!!少しお転婆が過ぎます!!今日は地学に歴史、ダンスレッスンがまだ終わっておりません!!」

「えぇー…。一日ぐらいサボったって良いでしょう?明日やればいいじゃない…」

「そう言って、昨日も一昨日もサボっていらっしゃいました!」

「あー、もう!うるさいなぁ…!やれば良いんでしょ!?やれば!」


 家庭教師のキャスティンが自動採点できる魔道具の眼鏡をくいと上げる。ただでさえキツイ印象なのに、よりキツく見えるのだ。


「大変よろしいですわね、さあ、今日はこのテキストを…」とゴソゴソやっている間に、私は部屋を抜け出した。


 廊下を駆けて行くと、背後からキャスティンの叫び声が聞こえた。


「ウ、ウィンディア様!!!!」


 後ろを振り向くと、必死に私を追いかけている。

 それがまた面白くて、変な顔をしてからかってやった。


 ドン!!!


「痛っっっ!!!!」


 後ろを向いたまま走っていたので、誰かにぶつかったらしい。

 尻餅をついた私に、手を差し出してくれた人を見上げる。


「お、お父様…!?」

「ウィンディアじゃないか。怪我はないか?…おや?」


(まずい…)


「こ、国王陛下…はあ、はあ、」

「キャスティン…。ははーん、ウィンディア、また授業を抜け出してきたのだな?」

「そんなんじゃ…」と言いかけたところをキャスティンに告げ口されてしまった。

「そうなのです!国王陛下からも一言言って差し上げて下さい。まるで授業になりません!」


 キャスティンの訴えに、お父様がぴくりと反応した。


「…ウィンディア。君は将来恐らくこの国の女王になるだろう。何の知識もなく国を治められるほど甘くはない」

「そんなの…私は望んでいないもの!お父様とお母様が勝手に決めたことだわ!こんなことなら私は自由に遊んで暮らせる平民に産まれたかった!!!」


 自分で何を言ったのか、よく分からない。感情に任せて言葉という拳で思い切りお父様を殴りつけてやった気分だった。不思議とスカッとした気分にはならない。それどころかむくむくともっと非道い感情が湧いてきて、更に酷い言葉を言ってやりたい気分になる。

 でも、お父様はすごく傷ついた顔で私と目を合わせたので、途端に堪らなく恥ずかしくなって、その場を走り去った。


「ウィンディア様!!!」

「放っておけ」

「陛下…し、しかし…」

「僕も好き好んで何もかも受け入れてきたわけではないからな。あの子の気持ちは痛いほどよくわかるのだ」


 キャスティンが見つめる先に、不安が渦巻いた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





「まあ、ウィンディアがそんなことを?」

「だから夕食もほとんど手をつけなかったのだろう。そんな訳だから、すまないが、君からも話をしてやってくれないか。ちょっと心配なこともあってね…」

「もうそろそろベッドに入る頃かしら。ちょうど良いわね、今日はウィンディアと一緒に眠ろうかしら」

「えっ…?」


 瞬間、スカイフォード様が氷のように固まった。ピシッとパキッと。


「どうかされましたか?」

「なら僕は誰と眠れば良いのだ…」

「たまにはゆっくり、お一人で眠ったらよろしいでしょうに」

「それは嫌だ!!!」

「そんなに堂々と仰ることですか…?」

「いーや、僕は堂々と言うね。アイリスと眠れないのなら、一晩寝ない方がマシなくらいだ!」

「まったく、困った人ですわね…。とにかく今日はウィンディアと寝ますからね」

「行かないでくれ!ア、アイリスゥ…!!」





✳︎ ✳︎ ✳︎





 控えめな三回のノックが聞こえる。それだけで(お母様だ)と分かる。


「ウッィン!ディアッ」


 歌のような、跳ねるような音階の特徴的な呼び方。

 プライベートでは一発目に私を呼ぶ時、お母様はそんな風に呼ぶ。


「お母様、悪いけれど今日は絵本を読んで貰いたい気分じゃないの」

「あら、そうなの?寂しいわ…。お母さん、今日はなんだか眠れそうにないの、ちょっとお話ししない?」

「…お父様から聞いたのでしょう」

「バレた?」

「バレバレよ」


 二人でベッドに腰を下ろして、シナモンが入ったホットミルクを飲んだ。蜂蜜を入れてから、スティックシナモンでかき混ぜる。


「お母様には分からないわよ…。スターレスカのとこのヨンシュアだって私より遊んでるもの」

「あのね、ウィンディア。あなたの苦しみはあなただけのものだわ。でも本当にみんなが全然苦労していないと思う?お母さんだって子どもの頃、ちょっとは遊びたいなーって思ったわ」

「ふぅん。でも私に勉強させようとするじゃない。大人になると忘れちゃうのかしら、子どもの頃の気持ち」

「そうなのかもしれないわね。だから、お母さんはちゃんとウィンディアの気持ちを聞きたいの。大人は子どもの時の気持ちをすっかり忘れちゃうから」


 私はこくこくと頷いて、ぽつりぽつりと話した。


「あのね、私産まれた時に声が聞こえたの」

「えっ…あなた、それ…」

「願えば何でも叶えてあげるよって言われた。なのに、遊びたいって思っても、全然遊べないの。毎日毎日勉強勉強ダンス勉強なんだもの。嘘つきだわ。ねえ、あれはお母様の声?お父様の声?どちらにしても大嘘つきよ!」


 お母様は傷ついたのとはまた違う、私がまだ知らない感情を内に秘めている気がした。ただ静かに私を見つめて「そう」とだけ言った。


 その晩、お母様は私が眠るまで、多分眠った後も頭を撫でてくれていた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 ガンガンガン!!ガンガンガン!!!


「うるさいなあ、何の音?」


 なんだかゴワゴワする布団を押し除けようとすると、すごく湿っていて重たくて、お漏らししたのかと思った。


(おかしいな、最後にお漏らししたのは五歳のとき…)


 恐る恐る目線を落とすと、なぜか私はあちこちがツギハギだらけの服を着ている。


「なっ…」


 ずかずかと大きな足音がして、頭を何かで叩かれた。


「ウィンディア!何してんだい!早く起きて水を汲んできておくれ!」

「…は?」


 お腹が大きな女の人が、汗をかきながら大声で私を怒っている。

 新しい侍女だろうか。不敬だ。


「ぶ、無礼者め!私を誰だと…」

「あんた、まだ夢でも見てるのかい?お姫様ごっこは終わりだよ!!全く、王女様の名前なんかあやかるんじゃなかったね!!!態度ばっかり立派だよ!!」


 自分の手に目を落とすと、ほんの少しだけ小さい手のひらは、明らかにマメだらけだ。これは私の手じゃない。


「分かったら早く水を汲んで来るんだよ!ついでに顔も洗っちまいな!」


 恐ろしくなって飛び出した。履き慣れない靴、知らない井戸。

 もちろん井戸水なんて汲んだこともない。けれどなぜか体が動きを覚えている。


(重い!!!)


 それから顔をバシャバシャと洗うと、黒髪に色黒の顔が水面に反射している。


「誰…?私、一体どうなっちゃったのよぉ…!」


(だって私は金髪で…色白で…)


 両親から受け継いだ私のアイデンティティが一つ残らず消え去っている。

 ぺたり、としゃがみ込むと、朝露をたっぷり含んだ雑草が私のお尻を濡らしてしまった。

 惨めったらない。

 こういう時、誰かを呼べば何とかなったけれど、きっとここではそうはいかない。それだけは明瞭に分かる。


「あっ!ウィンディア!!こんなところでサボって!何してんだい!さっさと水を運んでおくれよ!洗濯ができないよ!」

「…そんなに言うなら…」

「はあ?」

「そんなに言うならご自身で運んだらいかが?」


 目の前のご婦人は、きっと殴りかかってくるに違いないと思ってとっさに身構えた。

 けれど意外にもあっさり「そうかい」と言って水を持ち上げた。


(なんだ、持てるなら初めから…)


 何か様子がおかしい。呼吸が乱れて、何度も桶を地面に置いて一向に進まない。


「あ、あの…」

「うっ…」


 遂にはお腹を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「大丈夫…ですか?あの…」

「誰か…よ、呼んできて…」

「誰かって…」

「いつもの、産婆さん…早く…」


 いつものサンバさんって誰だろう?

 そう思うより先に、私の足は風より速く駆けていた。不思議と息も上がらない。

 目の前には、見知らぬ場所、知らない暮らしぶりが続いていく。

 修繕の後が残る家々を抜けると、身体が勝手に一軒の民家の戸を叩いた。私はこの家を知らない。けれど、自然と身体がそうしている。


「誰だい?おや、ユーランさんとこの…。母ちゃんになんかあったのかい!?」


 私のただならぬ様子を見て、すぐに顔色が変わった。

母ちゃんと言われて、あれが私の母親だったのかと知ったが、自然に首が縦に動く。


「ちょっと待ってな」と言って、何やら荷物を一つ持つと「急ぐよ」と来た道を引き返す事になった。





✳︎ ✳︎ ✳︎





 翌日目を覚ますと、アタシはとんでもなく豪華な部屋に寝ていた。

 確か昨日は、薪を拾っていたらいつの間にか夜になってしまって、急いで帰ったけれどお母ちゃんにこっぴどく叱られたのだ。


(でもなんで…)


 私の隣にアイリス王妃殿下が寝ているのだろう。

 これは間違いなくお姫様になれたのだ!!と思った。


(どうしよう!夢が叶っちゃった!)


 金髪に色白…たくさんのドレスに、ネックレスにブローチ。

 鏡の前で何度もくるくる回っては頬をつねった。


(これで毎日毎日優雅に遊んで暮らせるんだ!)


 マメのない、つるつるの手のひらを眺めてはうっとりした。


「ウィンディア様、お勉強のお時間です。今日はちゃんと授業を受けて下さいませね!」

「えっ?」

「え、じゃあありません。はい、今日は歴史のお勉強から」

「待って、ドレス変えさせておくれよ!せっかく沢山あるんだから!」

「な、何を仰って…?」

「だって、王族はみんな一時間おきに着せ替えてもらえるんだろう?」


 吊り目に眼鏡の女の人は、困惑して頭を抱えている。


「違うのかい?」

「ウィンディア様、昨日は言い過ぎたかと反省しておりましたのに…はあ。手のかかるお方だとは思っておりましたが、ウィンディア様はよくよくご両親から過度な贅沢は禁物というご教育をしっかり受けていらっしゃるなと思っておりましたのに」

「ちょっと、アンタ…」

「アンタぁ!?まあ!どこでそのような言葉を覚えられたのです!今日はみっちり教育しなければならないみたいですわねッッ!」


 なにやら教科書をずいと差し出されたが、難しいことがぎっしり書いてあるだけで、何が何だかさっぱり分からない。


(なにこれぇ!退屈すぎ!!)


 更にアタシを絶望させたのは、確か12時で一回休憩のはずと思ったのにまだ30分しか経っていなかったことだった。

 意味のわからない話をただただ聞かされて、何度も紙に書き記したり、時にはテストをしたり、こんなに苦痛なことは産まれて初めてだ。


(こんなんじゃあ水汲みしてた方がまだマシだよお!)


 ひとつだけ、アタシが知らないことでもすらすらと手が勝手に動いてくれることだけは幸いだった。


(お尻が痛い…)


 じんじんと痺れてきた。動きたくてもぞもぞすると、姿勢を正せと怒られる。


(もう嫌!!お母ちゃん!!!)

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