第20話毒杯
今日はハイラに来てから、初めて大きなパーティにスカイフォード様と連名で呼ばれた。
ルイストン公爵令嬢とシャウダン伯爵の婚約披露である。
仕事の腕だけは確かなフォンミーが結ってくれたヘアスタイルや、着せてくれたドレスには一切の不安も持たずに参加した。
スカイフォード様が何も言われないのなら、特に意図はないのだろうから自信を持つことができる。
私から見ても、普通のアレンジに普通のドレスだ。
「おにいさま!!もう、遅いですわ!!次からはニアと一緒に来てくれなくては嫌よ」
目の前に、急に飛び出してきたニーアール様はスカイフォード様に腕を絡ませると、乏しい胸をひしと押し付けた。
「ニア、遅れてすまないね。けれど離してくれないか?僕はアイリスをエスコートしたいんだ」
「…なぜ?だっておにいさまがエスコートするのはニアだもの。いつだってそうだったわ!今日だってそのつもりでいたのだから!」
「もう十四歳なのだから、ごっこ遊びの話をするのはよしなさい」
(それはそうよね、再従兄妹とはいえ未婚の王太子が公の場でエスコートするわけがないもの)
「行こうか」
爽やかに私をエスコートしてその場を離れた。けれど、背中にはひりひりと視線を感じる。
「ニーアール様は…」
ぽつり、自然と声が漏れてしまった。
「うん?」
「いえ、なんでもありません」
(野暮なことを言いそうになってしまった)
人の恋心を明かすなど、私には恐ろしくてできない。
「あれはまだ子どもなのだ。兄貴が君に取られたみたいで寂しいんだろう」
「…スカイフォード様、ニア様を子ども扱いしないでください。成人前だって、彼女は立派にレディだわ」
「なぜ君がムキになる」
「別にムキになってなど…」
私たちに気がついた本日の主役が、にこりと微笑んだ。
同時にスカイフォード様は王太子スマイルに変わる。
「本日はお招きいただき感謝する」
「お久しぶりでございます、スカイフォード王太子殿下。私たちの婚約披露にお越しくださり、ありがとうございます」
シャウダン伯爵は四十代だろうか、ルイストン公爵令嬢はまだ成人したばかりらしい。
「まあ!そちらはイサクからいらっしゃったという、殿下のお心を射止めたご令嬢ですね?」
「アイリス・ドストエスと申します。本日は誠におめでとうございます」
「スターレスカ・ルイストンですわ。こちらはロック・シャウダン伯爵です」
「スターレスカ様、とっても素敵なお名前ですわ」
「ハイラ語で星のない夜にという意味ですの。アイリス様は…花の名前でしょうか?」
「ええ、そうです。母が花が好きで」
「まあ!そうですの!この庭園にもアイリスが咲いていたと思いますわ。ご案内しましょう。ね、良いでしょう?シャウダン伯爵」
伯爵は「勿論です」と言うと、スターレスカ様は「恋人殿をお借りしますわね」とイタズラっぽく言って私の手を取った。
ぐいぐいと引っ張られて些か困惑する。
「えっと…ルイストン公爵令嬢様!?」
私を引く手に力が籠っている。
「スターレスカで良いわ!私もお名前でお呼びして良くって?」
「こ、光栄です」
「さあ、着いた。あの東屋に入りましょう?」
洒落た作りの東屋にはたくさんのクッションが置かれている。
「おかけになって。すぐにお茶が来るわ」
「良いのですか?これからパーティでは?」
「ふふふ、まだ定刻ではないから、少しお話ししましょう。折角ですから」
見れば東屋を囲むようにアイリスが咲いている。
「素敵でしょう?私もこの花が大好きだわ」
花を愛でていたスターレスカ様の目線は、ゆっくりと私に戻る。
「……ねえ、アイリスさんも変だと思われたでしょう?シャウダン伯爵はもう四十五歳なの」
「随分と年齢が離れていらっしゃるのだなとは思いましたが…」
「…私、自分の名前気に入っているのよ。星のない夜に、意味あり気でしょう?」
(失礼だけれど、子どもの名前にそんな意味を持たせるだろうか…)
運ばれて来た紅茶がふわりと湯気を上げる。
「お察しの通り、公爵家において、私はいらない人間なのよ」
「そんな…」
「…ルイストン家で私はいていないような人間。亡霊なのよ」
(なぜそのような告白を私に)
困惑する私に対して、諦めたような悲しい微笑み。それは、苦難を乗り越えて来た者の貫禄だった。
「…ああ、私こんなこと初めて言うわ…。貴方が他国の方だからかしらね。ごめんなさい、いきなりこんなことを言われても困るわよね、でも知っていて欲しかったの。誰かに」
「え……。スターレスカさ…」
ざっと強い風が吹きつけた。
「午後から夕立が来るかもしれないわ…」
入道雲が太陽を一瞬だけ隠したせいか、彼方を見るスターレスカ様の表情を曇らせる。
「私、ハイラに来てから、初めてこの様な場に参加します。今日という良き日にスターレスカ様にお声がけ頂いたこと、とても嬉しいのです。どうか、またこの東屋に呼んでくださいませんか?」
「……さあ、もうパーティが始まるわ、行かなければ」
「あっ……」
スターレスカ様はアイリスを一輪手折って、私の髪に挿した。
スカイフォード様は私が戻って来たのにいち早く気がつくと、肩を抱いて
「寂しかったじゃないか。花は見れたのか?おや?」
髪に挿した花を見ると「とても似合っている」と微笑んだ。
「東屋を囲う様にアイリスが……」
頭にあの曇った笑顔がこびり付いている。
「どうかしたのか?」
「いいえ、なんでも、ないのです…」
心臓がどきどきする。トキメキなどではない。これは、嫌な前触れ、不安。そういう類のものだ。
スターレスカ様とシャウダン伯爵が腕を組んでお辞儀をしている。
給仕が皆にシャンパンを配った。私もそれを手に取る。
受け取る手が僅か震えて溢しそうになったので、給仕は不思議そうにした。
黄金色の輝きと芳醇な香り。
ゆらめくその液体に瞳を落とした時、
「乾杯!」
拍手と共に、わあわあとお祝いの歓声が響いた。
「あら?」とフォンミーが私の後ろで呟く。
「…フォンミー、どうかした?」
「…なんでもありません。ただ、なぜルイストン公爵令嬢のシャンパンだけやたら泡立っているのかと思っただけです。お気になさらず……えっ!?アイリス様!?」
気がついた時には駆け出していた。
スターレスカ様が口をつけようとした瞬間、私は彼女のグラスを叩き落とした。
「…アイリス、さん…?」
(良かった、口をつけていないみたい)
会場が何だ何だとざわついた。
「なんなんだ!!あ、あんた、正気か!?」
恐らくルイストン公爵、スターレスカ様の父君なのだろう。怒り狂って私に詰め寄った。
(間違いならそれでいい。鞭打ちでも何でも甘んじて受ける!でも、もしそうなら、私は行動しなかったことを絶対に後悔する!!)
私はお辞儀一つして、「恐れながら」と言って続けた。心臓はバクバクしているし、冷や汗でぐっしょりと湿っている。
「どうやら、スターレスカ様の杯に毒が仕込まれた様です」
「ああ!あんた…イサクのっ!!!」
イサクがハイラに良からぬことを持ち込んだという不信感が一気に会場を伝播した。
ヒソヒソとした声はやがて大きな騒めきとなる。
「いくらスカイフォード殿下の客人とはいえ…イサクというのはこうも無礼なのかっっ!!!」
ルイストン公爵は、私に向けて人差し指を突き立てた。
「待ってくれ。何か事情がありそうだ」
「公爵様。どうか決めつけず、私としてもきちんと調べていただきたい」
スカイフォード様の声掛けに同調したのは、シャウダン伯爵だった。
「ええい!!公爵家の人間がそんなことをするわけがない!言い掛かりだ!!スターレスカ、何をしている!!いつまでそうしているんだ!!立て!!!」
けれど、スターレスカ様は地に手をついたまま微動だにしない。
「このっっ!!!」
「私は…」
ルイストン公爵の怒りが頂点に達した時、スターレスカ様は言葉を溢した。
「その方の、アイリスさんの仰る通りです。私は…自害しようと…薬を自分のシャンパンに入れました」
「スターレスカ!!!おまえ、何を言い出す…」
ふるふると振った長い髪はよく見ると傷んでいるし、地についた手の爪先は割れている。
「…シャウダン伯爵との婚約が決まった時にそうすれば良かったのね。でも、今ひとつ吹っ切れたのです。いいえ、正確にいうと、お父様に恥をかかせて死のうと思ったのです」
「なん、なんだと…!?」
「だってお父様、私のこと娘だと思っていらっしゃらないじゃないですか。出来損ないの愚図の醜女だと」
ルイストン公爵の喉から「きゅう」と音がする。
「四十も過ぎ、前妻が逃げた程のシャウダン伯爵なら貰ってくれるだろうとも仰ったわ」
私に注がれた視線は一転ルイストン公爵に注がれた。
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