第41話呪われた血とは
(なんだか、すごく疲れた…)
もう会わないとはいえ、どうにも気持ちがささくれる。
湯浴み番が随分と香りの高いオイルで身体を磨いてくれたのは、きっとそんな私の胸中を汲み取ったからなのかもしれなかった。
すっかり気分転換になって、寝室の扉を開けると、先客が「やあ」と手を上げた。
「今日は気疲れしただろう?すまなかった」
「ええもう強烈でした…へろへろです」
「こっちへおいで」
ベッドに腰掛けているスカイフォード様の隣に腰を下ろす。まるで猫を撫でるみたいに優しく髪を撫でてくれる。
「まだ休まれないのですか?」
「うん、そうだな…。ああ、まだ髪が濡れている。拭いてあげよう」
ふっくらタオルに包まれる。ぼんぽんと丁寧に水分を拭ってくれる心地よさに、うっとりしてしまう。
ドキドキするけれど、ずっとされていたいような不思議な気持ち。
このまま眠ってしまいそう…。
(ってダメダメ!また聞きそびれてしまう!)
ちら、と顔を見つめ、意を決して口を開いた。
「あのう、私ずっとお聞きしたかったのですが…その、スカイフォード様の呪われた血って…何のことなのでしょう?」
「…ん?」
なぜか時が止まってしまったかの様に、彼は動かなくなってしまった。
(まずいことを聞いてしまった)と思ったけれど、明らかにせず共に過ごすなんて、無理がありすぎる。
ゆっくりと「そうだなあ」とだけ言葉を発してから、随分と長い時間逡巡している。
暫く考え込んでから、
「産まれた時の記憶がある、と言ったら君はどう思う?」
と突拍子もないことを言った。
「まさか…」
「だろう?だが、僕は覚えている。大きな手で掬い上げられて、母が僕を抱きしめた時、確かに聞こえたんだ。それはこう言った」
『未来の王よ。私は異国の血の介入を喜ぶ。だが愚かな人はそうではないだろう。だから、私はお前に加護を、そして力を与えよう。強く望め。何かを歪めてでもその願いは叶えられるだろう』
「そんなに長い言葉を産まれたばかりの子が覚えている訳がありませんでしょう?」
「…普通はそう思うよな。けれど、あれは5歳くらいの時だったか、『そういえば、こんなことを言われた気がする』と思い出したのだ。それで、試しに初めて強く何かを祈った」
スカイフォード様は、寂しいのか悲しいのか判別のつかない顔で、わずか唇を震わせた。
「僕は…両親が子どもをたくさん授かりたいことを知っていた。けれど、そうしたら父も母も僕への愛情がなくなってしまうのではないかと、堪らなく怖くなったのだ。だから、兄弟などいらないと、強く祈った」
それが本当ならば、結果、祈りが成就したことになる。後にも先にも子どもはスカイフォード様だけだ。
けれど、この事実は時間経過と共に自分自身を責めることになったのだろう。
「幼いスカイフォード様は、お寂しかったのですね」
「…しかし、それで国内からの母への風当たりは随分と強くなった。あることないことが、面白おかしく新聞記事に載ったりもした」
「ハイラの神様は、なぜそんな力をスカイフォード様に?」
「わからない。いずれにしても、以来僕は強く何かを欲することは無くなった。…君以外は」
「え?」
「アイリスが欲しくて堪らなくて、僕の心の叫びは、強い願いとして成就してしまった。半ば強引に君と添い遂げる事になったと自分でも大いに自覚している。それだけではなく、他でもない君が危ない目に遭っているんだ。僕の願いは危険を伴う。これは、もう僕の中で出生時の記憶は現実のことだったのだと確信するに十分すぎた。だから…」
(ああ、だから誓いの言葉を工夫して…)
「君を傷つけなければ何だって良い。けれど、僕はいずれ王になる。国のことも国民のことも今以上に大切にしなければならぬ身だ」
「分かっておりますわ。私だって貴方の足枷にはなりたくありませんから」
"君への愛ゆえの行動"
つまり、誰でもない、あの誓いの言葉はスカイフォード様ご自身に向けられたものだ。強い祈りと共に何かが、ましてや国民が犠牲にならぬように、御自ら受け止めようという誓いだったのだ。
「アイリス」
くちづけが、頭の芯を溶かすみたいだ。
「好きだ。心から。どうしようもないほどに。僕は君のことばかりだ」
「…私も、お慕いしておりますわ。でも時々すごく不安になるのです。どうしてこんなにも深い愛情を向けてくださるのだろうかって。目が覚めたら、全てまやかしで、また瓶底眼鏡の私に戻って貴方のいない世界で一人になってしまうのではないかって…おかしいでしょう?」
「ならもう、そんな不安など抱けぬ様、しっかりと僕を刻みつけなくては」
スカイフォード様は私の目の前に手を翳した。
「…クリアグラスを外そう。レンズ越しなどではなく、しっかりとその目で僕を見てくれるか」
久しぶりに裸眼になると、かなり視力が回復しているのがわかる。
それでもまだ、ややぼけて見えるスカイフォード様は、私にくちづけの雨を降らせた。
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