第17話アップスタイル(後半、フォンミー視点)
「それより、スカイフォード様…」
廊下の向こうからカツカツと近づいてきた足音が、部屋の前でぴったりと止まった。
続いて高いノックが響き渡る。
突然のことに、心臓が口から飛び出るのではないかと思った。
ぴんと張り詰めた緊張の中、聞こえてきたのは男性の声だった。
「ドストエス伯爵令嬢様、こちらにいらっしゃいますか?」
咄嗟に
(二人きりでここにいると気付かれてはまずい)
とそう思った。
「は、はい!おります!殿下のご厚意で着替えさせて頂いております」
「殿下はどちらにいらっしゃるかご存知でしょうか?」
スカイフォード様と目線が交わる。ほんの僅か首を横に振ったのを認めて生唾を飲み込む。
「執務室に戻られたか、着替えに行かれたのかと…」
「左様ですか。お着替え中のところ、大変失礼致しました」
足音が遠ざかるのを聞いて、お互いにほっと胸を撫で下ろす。
横目で見たスカイフォード様は、髪をかき上げて、シャツのボタンを緩めていた。
汗を拭う長い指になぜだか頬が熱くなってしまう。
くちづけの感触が蘇って、鼓動がうるさい。気が付かれていないかと思うと、なぜかもっと鼓動が跳ねた。
「…さて、ここに長居もできないな。広間に戻ろうか」
(ああ、結局…)
呪いたい血というのは、なんなのか聞けなかった。
ただ一つ言えることは、この城で安心はできないと言うことだ。
思った以上にハイラとイサクの因縁は深そうである。
(そして、イサクに伝わる歴史とハイラでのそれは全然異なると言うこと)
私が知るイサクの史実では、まず侵攻してきたのはハイラの方だ。それをイサクが叩いて勝利したという認識しかない。
石油産出国として知られる様になったのは近代になってから。ずっと後の話なのである。
(けれどこれは、イサクにとって都合の良い史実…なんだろうか…)
きっとハイラの史実とは異なる。
今となっては、真実を探す方が難しいけれど。
実際に目の当たりにしたわけではないけれど、スカイフォード様が言うような強大な魔法が使えるのなら、なぜハイラは敗北したのだろう。
(イサクが勝利し、ハイラが敗北した…本当に?)
✳︎ ✳︎ ✳︎
もう私が選ばれることはないと思ったし、懲罰を覚悟していたにも関わらず、アイリス・ドストエスという伯爵令嬢の世話係を続投することになってしまった。
重いため息をつく。なぜ、このご令嬢は、懲りずに私に髪を結ってもらっているのだろうか。
(馬鹿じゃないのかしら)
他国から嫁ぐ予定の方に、王宮の侍女が悪意を持って接したなど、本来ならば私は縛り首ものだろう。
それほど、この方にお仕えするのを嫌悪するという強い意思表示である。
(イサクの世話など死をもって拒否すると、そう言っているのに。伝わっていないのかしら)
とっとと自分の国に帰って欲しい。今までの職務環境を返してほしい。それができないのなら、ハイラの王室の侍女という矜持をひとつもって死するだけ。
イサクで生まれ育った生粋のイサクである令嬢に仕えるだなんて、私には屈辱でしかない。吐き気がする。
『勉強不足でお恥ずかしいですが、どうか色々と教えてくださると助かります』
湯浴みの時の言葉が蘇る。
良い人ぶって見せて、気持ちがいいのだろうか。イサクは外面ばかりを気にすると聞くから、きっとそうなのだろう。そうやってスカイフォード様にも擦り寄ったのだろうか。
虫唾が走る。
スカイフォード様の報告では、なんでも婚約者の御令息と自身の侍女が浮気していたなどと聞いた。
本当か嘘か知らないが、真実なら侍女にそうさせるだけの器しかないのだろうし、嘘ならば、スカイフォード様を籠絡するための作戦なのだ。
どちらにせよ、つくづく反吐が出る。
私はハイラの王族に仕えてきたという矜持がある。こんな女のために誓う忠誠などない。誓わなければならないのならいっそ死んだ方がマシだ。
(さて、どんなヘアスタイルに結い上げようかしら)
葬儀の時の髪型もいいし、結婚式の伝統的なヘアアレンジも良い。そうだ、どうせなら花嫁のアップスタイルにして差し上げよう。存在が場違いなのだから、お花畑の頭にさぞお似合いだ。
くすり、僅かに口角が上がってしまったのを、嚥下で誤魔化す。
鏡に映るアイリス嬢は、ただ微笑みを湛えていた。
(馬鹿ね、何にも気付かないで)
しかし、アイリス嬢は、その微笑みを崩さず言った。
「フォンミー、私はね、あなたとお友達になりたいわけじゃないのよ」
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