第28話

 小さい頃はお姉ちゃんのお下がりをよく着させられていて、それが楽しみだったそうだ。それは野々宮くんが大きくなって、声変わりをしてからも、変わらなかった。


「自分のしゃがれた声を聞くたびに、どうして俺はこうなんだろうって思ってた。せめて、格好だけでもって家族に頼みこんだ。休みの日だけでいいからって。姉ちゃんのお下がり、もらってさ。母さんはごめんって泣いてて、それで余計につらくなって。俺、悪いことしたのかなって。だけど、女の子になりたいのは止められなくて」


「そっか。ずっと不思議だったんだけど、野々宮くんは女の子の格好してるときでも、男の子みたいな話し方をするよね。自分のこと、俺って言う。あ、でも女の子でも俺って言う人もいるか……」

「うーん、言葉遣いまで女の子にしちゃうと、困惑されるから。それに……やっぱ母さんが泣いてんの見たのはでけえかも。身も心もすべて女の子になることに、どこか罪悪感がある。ま、覚悟できてないって言えばそれまで。結局俺はどうしたいんだろう」


 野々宮くんはふう、と大きな溜息をつく。

 言いたくないことを言わせてしまっただろうか。


「あ、でもさ、今はこのままでいいやって思えるようになったんだ。つばさが、俺は俺でいいって言ってくれたから。あ、あのさ……」


 野々宮くんは足を止める。わたしも数歩進んで止まった。

 野々宮くん、と呼びかけると、野々宮くんはなにかを言おうと口を開きかける。

 その背後に人影を見つけて、わたしは野々宮くん越しに覗きこんだ。それと同時に、チリン、と鈍いベルの音がする。


「……野々宮?」


 背後からの声に野々宮くんは急襲を受けた猫みたいに振り返る。自転車にまたがった瞬くんがいた。

 瞬くんの目は大きくまん丸に見開かれて、その奥には小さく火が灯っているようだった。遭難した人が、ひとつの明かりを見つけたような。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る