第5話
お昼前の時間帯は、電車も比較的空いている。人がまばらな車両の座席に腰掛けて、スマートフォンを眺める。映画のあらすじを読みながら、心を弾ませた。
目的地に近づくにつれ、車両の中には人が増えていく。だけど満員というほどでもない。立ったままの人が数人いるくらいだ。
わたしの隣に男の人が腰掛けて、こっくりと船を漕ぎ始めた。
電車の揺れに合わせて男の人は身体を揺らした。よほど疲れているのか、大きく揺れてはわたしにぶつかってくる。しまいには寄りかかって鼻をすんすんといわせている。男の人は腕を組んだまま、眠っているようだった。
男の人の肘がわたしの胸に柔く食いこむ。先ほどまであんなに揺れて眠っていたのに、そのままの姿勢で固まった。
胸の側面を男の肘の骨がゆっくりと動いた。それに気づいたときにはもう遅く、男の人の体重がわたしの肩を押さえたまま、どうにも動けない。
ふすん、という男の人の鼻息が耳にまとわりついた。
「あれえ、偶然だね。おでかけ?」
頭の上からかすれた声がした。わたしが勢いよく顔を上げると、男の人もほぼ同じタイミングでわたしの肩から頭をのけた。
目の前にはきれいな女の子がいた。お人形のように長いまつ毛と、真っ白な肌。わたしのようなぼさぼさ頭ではなく、艶やかな長い黒髪。パステルピンク色のマスクをしていた。
その美しい子は身体を折り曲げて、再び眠るふりをする男の人の耳元に顔を寄せた。
「……しれっと胸触ってんじゃねえぞ」
美しい子は地獄から響くような声でそう言った。わたしまでぞっとしたけど、男の人はもっと驚いたみたいだ。違います、と早口で言い、電車が止まるなりそそくさと降りていった。美しい子はチッ、と舌打ちをする。
身体の力が抜けて、手足がかちかちと震えた。涙も出て、息もおかしくなって、お礼さえ言えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます