第34話 煽り

「澪、その力を渡そうなどと考えるなよ?」


 二の句が継げない澪に、和史が釘を刺す。険しい顔の和史に、澪は頷いてみせた。こちらも眉間にしわを寄せている。


「そもそも、力を渡す方法などない。……まだ、この力について何もわかっていないのに」

「方法は、あるのですよ。貴方が知らぬだけで、私には出来るのです」

「……!」


 顔を上げた澪に、歳之はニヤリと口端を片方だけ上げる。人差し指を口元に立て、秘密ですがねと囁いた。


「しかし、貴方が力を渡して下さるというのなら、お教えしますよ。……どうです? その扱えもしない厄介な力から解放されて、ただの帝の二の皇子様として、蔑まれることなく内裏へお戻りになれますが?」

「……脅しのつもりか?」

「まさか。ご提案ですよ」


 ふっふと嗤う歳之を背後から眺め、厚平は頬杖をついた。彼にとっても、歳之が雨神の力を得ることは不都合ではない。


(伝説の力を味方につければ、この国で私に歯向かう者はいなくなる。いずれ次代の帝も我が駒とするのだから、手駒は多いに越したことはない)


 厚平が高みの見物を決め込む中、澪は頭の中で懸命に最適解を探していた。確かにこの力は、澪にとって扱い切れない強大なものだ。なくなれば良いのにと思ったことは、一度や二度ではない。


(それでも……)


 甘い言葉に惑わされた先のことを思い、澪は迷う。ここで力を渡して糸季を取り戻したとして、その先では、この国は歳之の思うがままとなる。そうなった時、自分は後悔しないのかと。


(……糸季)


 顔を上げれば、歳之の頭上に浮かぶ黒い球が見える。その中で自分たちを見つめる糸季を瞳に映し、澪は歯噛みした。


「澪殿下……。絶対、渡したら駄目です。そのためには、わたしが何とかしてここから出ないと」


 一方、糸季は澪の姿を見下ろして決意を新たにしていた。歳之の意識がこちらから外れている今ならば、と周囲を見渡す。

 しかし繋ぎ目のようなものは見付からず、壁を叩いてもびくともしない。ドンドンと叩き、手が赤く腫れて痛みを感じていく。それでも糸季は何もしないということが出来ず、叩き続けた。


(どうにかしないと! 早く、戻らないと!)


 糸季が叩くことで起こるドンドンという音は、声と同じく外には漏れない。しかし歳之には、自らの術への攻撃として感じられる。ちっと舌打ちした歳之は、球を見上げて眉間にしわを寄せた。


「……無駄なことを」

「糸季……っ」


 糸季が自ら行動を起こしている。それなのに、自分は何も出来ていない。


(何でだよ。動けよ、俺)


 しかし、どうすれば糸季の解放に繋がるのか分からない。武器の持ち合わせはなく、下手に歳之を刺激することも出来ない。

 澪が一歩踏み出せないでいる中、和史が前へ出た。


「歳之、糸季姫を解放しろ。澪殿下の力は、例え渡す方法があったとしても渡さない。そして、この国と人々を守るのが私の役目だ。国も、お前の思い通りには決してさせない」

「左大臣……!」

「左大臣様……」


 澪と三砂の感激の声を聞きつつも、和史は決して気を緩めない。左大臣として、この国を率いる者の一人として、自らの信念を曲げずに立ち向かわなければならないのだ。それが、自らの実弟との対立へ繋がるとしても。

 険しい目つきの実の兄に、厚平は悲しげに見える表情で問いかけた。


「……兄上、私とは共に歩んで下さらないのですか?」

「共に支え合うことが出来れば、この国のためになっただろう。しかし、もうそれは叶わぬ夢となった」

「ならば、兄上はその選択を悔やむことになるでしょうね」

「……」


 ぴくりと眉を動かした和史だが、それ以上何も言わない。対する厚平は、自分を振り返った歳之に頷いて見せる。すると歳之は、不意に指で印を結んだ。


「では、力を渡したくなるようにしようか。……ハッ」

「――っ!」


 壁を叩いて脱しようとしていた糸季は、壁に触れた瞬間に痺れを感じ、反射的に手を引っ込めた。手を見れば指がわななき、痛みを感じる。


「何、これ……?」


 痛みを我慢してもう一度壁を拳で叩いた途端、今度こそ大きなバチンッという音が響いた。狭い球の中、糸季は吹き飛ばされて背中を打つ。すると背中に痺れが走った。


「――はうっ!?」

「糸季? 糸季!!」

「姫様!?」


 足元から崩れ倒れる糸季を見て、澪と三砂が息を呑む。彼らの隣で、和史はまとう気配を一変させたが黙っている。

 とうとう澪は歳之の前に立ち、彼の胸倉を掴む。怒りを込めた低い声で、自分よりも年かさの陰陽師に強く問う。


「歳之! 貴様、何をした!?」

「ただ、あの球に術を追加しただけですよ? あれに刺激を与えれば、その倍以上の力が、小さな雷として刺激を与えた者へ返されるという術です」

「今すぐ止めろ」

「貴方が力を渡すと言うのならば、いつでも瞬時に止めましょう?」


 ですが、と歳之は澪を煽り立てる。


「ですが、貴方が拒めば拒んだ分、あの姫君は痛みを感じることになります。……さあ、どうなさいますか?」

「ふざ……けんなっ」

「ふっふふ。ふざけてなどおりませんよ」


 もう一押し。そう思ったのか、歳之は指を鳴らした。すると澪の耳に、聞き慣れた声が聞こえて来る。顔を上げれば、糸季の唇の動きと一致した。


『駄目。絶対に……渡したら、駄目』

「し……き……っ」


 カッと頭に血が上る。澪の中で警鐘が鳴り響き、しかしそれを彼は無視した。今無理をせず、いつ大切な人を助けるために無理をするのか。醜いと言われ続けたものを「綺麗」と言ってくれた、綺麗な心の恩人を。

 歳之の口元がわずかに歪んだことには気付かない。


「糸季を……今すぐ離せ!!」


 澪の瞳が銀色に輝き、巨大な力が爆発した。

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