雨呼びの偽皇子

長月そら葉

第1章 都への導き

第1話 春宮の娘

糸季しき、そっちは終わりましたか?」

「はい、母上」


 良く晴れた昼下がり、一組の母子が畑仕事に精を出していた。春先に植えた種から芽が出て、茶色の土に緑色の双葉が幾つも頭を出している。本来下男などが行う仕事ではあったが、ここ春宮はるみやは多くの人を雇えるほど潤った土地ではない。

 曲げていた腰を逸らし、糸季の母は天を仰ぐ。日か傾いて来ていた。


「そろそろ、帰りましょうか。食事の支度もしなければなりませんし……おや?」

「どうかなさいましたか、母う……」

「――お方様、姫様!」


 糸季たちの元へと息を切らせて走って来たのは、春宮の家に仕えるたった二人の者の内、下男の米介よねすけだった。咳込みながらも話し出そうとする彼を、お方様と呼ばれた糸季の母・明子あきこは「一度落ち着きなさい」といさめた。


「一体全体、何があったというのです? 落ち着いてから、ゆっくりお話しなさい」

「は、い……おかた、さま。……実は、先程都から使いが来ました」

「都から? こんな辺鄙なところに?」


 目を丸くする糸季たちに、米介はうんうんと頷く。そして驚き固まっている糸季をちらりと見て、言いにくそうに「実は」と切り出した。


「どうやら、二の姫様にご用事があるとか」

「わたしに、ですか?」


 ますますわからない。顔を見合わせる母子に、米介は「兎に角!」と急かした。


「私もよくわかりません。殿様がお呼びですから、お二人共屋敷の方へ」

「わかりました。丁度帰ろうとしていたところです。ね、糸季」

「はい」


 米介に導かれ帰りを急ぎながら、糸季は都からの使者という大事件にまだ気持ちがついていけていなかった。都と春宮の領地は遠く、これまでも父しか都との接点はない。

 一体何が伝えられるのだろうと気を張っていた糸季は、屋敷で父迎えられた途端に浴びた言葉のせいで硬直することになった。


「喜べ、糸季。二の皇子みこ様との縁談が来たぞ」

「――え?」

「正しくは、二の皇子様の正室候補として都においで頂きたいという帝からの命でございます」

「へ?」

「殿、突然言われても意味が分かりかねます。順を追って説明して下さいませ」

「お、おお。そうであったな」


 正室のもっともな突っ込みに、夫はたじたじとなる。すまない。そう言って、春宮の主・季平すえひらは座り直して妻子を座らせた。


「それで……帝からの命、とは?」

「二の皇子であるみお殿下の正室候補として、都へ来いということだ。わかるか、糸季」

「言葉としてはわかります。でも、何故わたしが……?」

「それは知らん!」


 ハッハッハと笑う季平に代わり、都からの使者だという男が口を開く。


「私も、何故貴女が選ばれたのかは存じません。しかしこれは、帝の命。残念ながら、否を唱えることは出来ません」

「わかっています」


 帝は、この国において神聖かつ不可侵の存在。その絶対性は特に政治面で発揮され、何人たりとも否を唱えることは許されないという。

 糸季が殊勝に頷くと、使いはほっと肩の荷が下りた顔をした。


「ありがとうございます。では七日後、お迎えに上がります。それまでに仕度を整えておいて下さい」


 使いの男はそう言い置き、早々に場を辞した。

 それからが大わらわだ。

 糸季の家は、一応地域を取りまとめる領主の家柄である。しかし中央から遠く離れた辺境の地であるため、よっぽどのことがなければ都へ行くことはない。だから、作法も何も知らないのだ。


「良い嫁入りの服を着せてあげたいけど……何も無いわね」

「母上、お気持ちだけで充分です。わたしも……まだ自分に何が起こったのか理解し切れていないので」


 母と共に自室で片付けや家を出る支度をしている糸季は、そう言って肩を竦めた。手近にあるこれまで大事にしてきたものは、ほとんど持って行くことが出来ない。苦渋の決断を繰り返しながら、最低限にまとめていった。

 嫁入り道具などという大層なものはない。七日間で揃えられるものなど、たかが知れている。更に、糸季がこれから行くのは都、しかもその中枢たる内裏だ。

 糸季はその後、数日をかけて名家の姫としての作法や仕草、更には知識などを付け焼刃ながらに頭に叩き込んだ。そして両親や家人たち、更には春宮の領民たちによる祝いの席が残り数日に渡って執り行われた。


「姫様、おめでとうございます」

「またいつでも帰って来て、うちの話を聞いとくれ」

「手際が良いからね。帰って来たら一緒に着物を作りましょう」

「姫様、辛くなったらいつでも帰って来て下さいね。米介と共に、このさらもいつ何時でも歓迎致します」

「……ありがとう、更。米介。皆さんも」


 実家で過ごす最後の夜、糸季は邸に集まった皆の前で深々と頭を下げた。その姿に、領民や家人たちがざわめく。


「ひ、姫様!?」

「お姫様はそんなことしなくて良いんだよ!」

「――ううん、そんなことないです。ありがとうを、感謝を伝えるために、わたしは今ここにいます。だから、言わせて欲しいんです」


 おっかなびっくりの表情が幾つも見える。泣いている顔も笑っている顔も、糸季にとっては幼い頃から見知ったものばかりだ。そんな人々と、もしかしたら一生会えないかもしれない。そう思うと、糸季は頭を下げたままで「ありがとうございました」とはっきりと言った。


「皆さんと過ごした日々は、決して忘れません。それから、父上や母上のことを宜しくお願い致します」


 その宴の翌朝、糸季は迎えと共に都へと旅立った。


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