第37話 罪への自覚
頼むぞ。澪にその存在を言葉で認められたことにより、
「澪殿下……」
この世のものとは思えないような美しい光景と、激しい戦闘。息を呑む糸季の隣にやって来た雫は、彼女と同じものを見て肩を竦めた。
「全く。色々と言いたいことはあるが、あいつが『偽物』と言われ続けることが甚だ疑問だな。確かに帝の皇子として、あの力を誇示することは決して良いこととは言えない、が」
「……澪殿下のやりたいことは、皇位を継ぐことではありませんから」
「ふっ。そうだったな。そう思えば……ある意味、偽物である方が良いのかもしれん」
「……」
澪のためにどうすべきか、それは澪自身が選ばなければならない。雫がそう言った時、歳之の悲鳴が上がった。
「ギャッ」
「俺は、貴方を傷付けたいわけじゃない。……この力は確かに俺には不相応な大きなものだけれど、貴方に渡せばこの国をどうされるかわからない。だから、諦めてくれ」
「……言っていることとやっていることが、かなり乖離しているようだ」
水の雫が変形した針で衣の裾や袖を壁に縫い止められた歳之は、そう言って卑屈に嗤う。少しでも動こうとすれば、衣が破けるのは間違いない。
しかし澪は歳之の煽りにつられることなく、軽く肩を竦めた。そして「そうかもしれないな」と呟く。
「貴方は、俺の大切な存在を傷付けた。己の欲のため、兄上を殺しかけ、糸季を傷付け、ここで今俺の前にいる。……相応の覚悟があるのだろうが、俺はそれを許せない」
「許せない、ね。……右大臣様、そろそろ潮時のようですよ」
首を動かすのも難しい中、歳之が己の雇い主に向かって告げた。すると厚平は「ふざけるな」と声を荒げる。
「お前の願いはその程度か!? その力と願いへの執着を買ったつもりだったが、期待外れだったな」
「酷いことをおっしゃる。……心配せずとも、私の欲しいものは相手が最も奪われたくない時に奪うのが良い。今はまだ、その時ではなかったということですよ」
「歳之、貴様……」
一体何を考えている? 厚平がさらに問い掛けようとした矢先、彼の腕が何者かに掴まれた。怒りに任せて振り払おうとした厚平だが、腕を掴んだ者を知って目を丸くする。その者は、彼にとって近しく同時に遠い存在だ。
「……兄上」
「ようやく『兄上』と呼んでくれたな、厚平。……しかし、残念だ。いつかお前が私の跡継ぎとなるのであれば、どんなに良かっただろうな」
残念がりながらも、和史は決して厚平を逃がさない。振り切って逃げようと腕に力を籠めるが、何かが目の前を一瞬で通り過ぎて思わずその場に崩れ落ちた。
「な、何だ……?」
「逃げようなどと考えないで下さい、右大臣様。俺は、貴方にも自分の罪を自覚して頂きたいので」
厚平をその場に留まらせたのは、歳之を壁に縫い留めているのと同じ水の針だ。それを躊躇なく放った張本人は、冷たい目で厚平を眺める。銀の瞳は浮世離れした印象を強くし、初めて厚平は澪を「怖い」と思った。
「……の、化け物」
「……」
「この化け物! 気味の悪い色しやがって、異形のくせに帝の皇子であるなど、許されるはずもない!」
厚平の激昂は、世の人々が澪にぶつけて来たものと同じだ。人は自分とは違う特殊なものに出会うと、大抵まず拒否反応を示す。厚平の言葉と態度に同じものを感じ、澪は心を切り替えて静かに言う。
「……さんざん言われてきた。俺自身、生きていることが許されないのではないか、と何度も何度も考えて来た。だけど」
それでも。澪が言葉を続けようとした直後、彼の前に一つの人影が飛び出して来る。彼女は三砂が止めるのも聞かずに割って入ると、泣きそうな顔で叫んだ。
「だけど、生きていてくれたからわたしは……わたしは、澪殿下に会うことが出来ました! 会って、笑って、もっと一緒にいたい!」
「……糸季」
澪の驚いた声を背にして、糸季は腕を広げた。それでどうにか出来るわけではないが、これ以上澪に近付くなという意思表示をする。先程まで離れた場所から見守っていたが、澪を侮辱する厚平に対し、耐えられなくなったのだ。
声は震え、目線は泳ぐ。それでも澪を守ろうと、糸季は言葉を続けた。
「澪殿下の瞳も髪も、心も、全部が綺麗です。――殿下への侮辱を聞き流すなんて、そんなこと出来ませんし、すべきじゃない」
「……ありがとう、糸季」
とんと澪の手が糸季頭に置かれた。その途端、糸季の胸の奥で大きな音が響く。ドクンッという胸の甘い痛みを感じ、糸季はわずかに頬を染めた。
(ああ、やはり……)
糸季は大きく拍動する心臓を抱えながら、自分の気持ちに今だけ蓋をする。今すべきことは、それではないから。
「――澪殿下」
「ああ。……厚平、歳之。自らの罪と向き合え」
「――っ、くそ!」
「行くぞ、厚平。……歳之。お前もついて来い。捕らえずとも、お前は来るのだろう?」
「ええ、勿論ですよ」
吐き捨てた厚平を和史が連れて行き、その後ろを歳之が自らついて行く。彼がパチンッと指を鳴らすと、雫の右手首が熱を持つ。驚き袖をまくれば、あの黒い痣は掻き消えていた。
乱れ壊れた庭の中、この殿の主である雫がふっと呟く。
「……終わったか」
「ああ。……兄上」
澪は頷き、白蛇の顎を撫でる。すると、気持ちよさそうにしていた白蛇の姿が透明になって消え、雨も上がっていく。自らの右腕に白蛇が戻ったことを確かめ、澪は「終わった」と呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます