最終話 精一杯の言葉で
一の皇子の殿で起こったことは、帝によって闇に葬られた。それが出来たのは、陰陽師歳之による巨大な結界がその場を覆い、更に雨神の結界が重なったことで外と完全に遮断され、外の者たちが全く気付かなかったためだ。流石にあれだけのことがあり、人々が騒ぎ立てれば、帝であろうと秘匿することは極めて困難となる。
しかし一の皇子の殿は、戦いによってかなり損傷した。特に外側、庭などの被害は酷く、住めないわけではなかったが、雫本人ではなく周囲が許さなかった。雫はその後、内裏の外宮にて一時的に居を移すことになっている。
あの戦いから十数日が経過した頃、左大臣和史の邸の一角。糸季は澪に会うため、訪れていた。三砂も糸季について来たが、今は左大臣に会いに行っている。
出された干し桃を摘まみながら、糸季の前に胡坐をかく澪が言う。
「ようやく落ち着いたな、色々と」
「そうですね。ただ、歳之のことが不安ではありますが……」
糸季が顔を曇らせると、澪も「そうだな」と頷く。
歳之はあの時素直に和史に従ったが、数日後にはその姿を牢からくらましていた。誰も出て行った姿を見ておらず、どうやって出て行ったのかもわからない。
「今も追っ手をかけられているが……見つかるかどうか」
「……気になること、言っていましたよね。確か……『私の欲しいものは相手が最も奪われたくない時に奪うのが良い。今はまだ、その時ではなかった』のだと」
激昂する厚平へ告げた言葉だ。つまり、歳之はいまだに澪の持つ雨神の力を欲している。
糸季は顔を曇らせるが、ふと視界が暗くなって顔を上げた。すると頭に澪の手が近付いてきて、優しく撫でてくる。
「みっ、澪殿下!?」
「いずれ、歳之は再び俺の前に現れるんだろう。その時に何が起こるのか見当もつかないが……きっと大丈夫だ」
「な……何を根拠に、そんなことを」
「……左大臣がいて、三砂がいて、兄上もいて下さる。それに……何より、糸季がいるだろう?」
「わたし……ですか? 何の頼りにもなりませんよ?」
澪に触れられているところが熱い。糸季は赤くなっているであろう顔を見られないように俯き加減のまま、自信のない声で澪に応じた。
実際、糸季は澪の役に立てると自分では思っていない。特別な力も、高い地位も、教養も才覚も、人並みかそれ以下だ。
(あるとすれば……何だろう? あ……)
ふと思い付いた誰にも負けないもの。澪が「そんなことないぞ」と手を離した直後、糸季は小さな声で呟いた。
「……もしも、少しおごって良いのなら」
「何だ?」
「貴方を、澪殿下のことを想う気持ちだけは、誰にも負けない……負けないものでありたいと思っています」
「……」
身を乗り出し、真っ直ぐに澪を見つめて告げた糸季。淡く染まった頬、潤んだ瞳、さらりと風に揺れた長い黒髪。間近にそれを見ることになった澪は、目を丸くして固まった。
「……」
「み、澪殿下? どうなさったのですか……?」
澪から何の反応も得られず、糸季は何か気に障ることを言ってしまったかと慌てる。まずは謝らねばと再び顔を上げようとした時、かすかな澪の声が聞こえた。
「無意識なのか……? 可愛すぎるだろ……」
「み、お……でん、か……? 今、何と……?」
聞き間違いでなければ、澪は糸季のことを「可愛い」と褒めてくれたのではないだろうか。思わず期待して聞き返した糸季に対し、澪はカッと赤らめた顔を手の甲で隠して「何でもない」とそっぽを向いてしまう。
「こっちの話だから、なかったことにしてくれ」
「わかりました。……いつか、その時が来たら聞くことにしますね」
ふふっと笑った糸季に、澪は苦笑いを返す。
その時突然、器に盛られていた干し桃の一つが宙に浮いた。糸季と澪が顔を上げると、そこには干し桃を口に入れる雫の姿があった。
「あ、兄上!?」
「どうして、一の皇子様がここに……?」
「ああ。左大臣に、至急話さなければならないことがあったんだ。家人に聞けば糸季が来ていると言うから、顔を見に来た」
ごくんと干し桃を飲み込み、雫はそんなことを言っていたずらな笑みを浮かべる。
そんな雫の態度に、糸季は笑みで応じるしかない。どうしようかと考えていた糸季は、ふと向かいに座る澪が顔をしかめていることに気付く。
「澪殿下……?」
「……」
「おい、澪。何か言え」
「一応、兄上を立てているのですか?」
棘のある言い方をする澪に、雫はニヤニヤ笑って「自覚があるのは良いことだ」と弟の背中を無遠慮に撫でた。
兄のすることに何とも言えない顔で応じていた澪は、それでと雫を見上げる。
「俺で遊ぶためだけにここに寄ったわけではないんでしょう、兄上?」
「まあな。……右大臣の処遇が決まった」
表情を改め、雫はその場にどっかと腰を下ろす。澪が円座を勧めたが、すぐに立つからと断った。
「右大臣だが、帝の采配で南の方の国の赴任が決まった。しばらくは、都に戻ることは出来ない。……まあ、比較的豊かな地域らしいから、野垂れ死ぬことはないだろう」
「流石に、右大臣としての実績を無視出来なかったということですか」
「それもあるだろうが、帝の個人的な気持ちだろう。あの人は、口五月蝿い左大臣よりも右大臣を気に入っていたからな」
「でなければ、兄上の傍に置かないでしょう」
澪に指摘され、雫は肩を竦めて「そうだな」と言う。わずかに寂しさがにじむ声だったが、次に微笑んだ時にはその影は消えていた。
「ということだ。私は左大臣のところに行こう。……澪」
「はい」
「お前が隠れて暮らす必要は、もうない。好きな時に帰って来い。でなければ……」
「でなければ?」
首を傾げる澪の目の前で、雫は傍観していた糸季の手を取って肩を抱いた。目を丸くする糸季に微笑みかけ、弟に意味深な視線を送る。
「でなければ、お前の大切な人を盗ってしまうぞ?」
「――っ、兄上!」
「ふふっ、冗談だ」
思わず声を荒げる弟の反応に満足し、雫は笑みを浮かべながらその場を去ってしまう。その前、糸季の手を離す直前、彼女の耳元で一言囁いて行った。
当然、澪は気付いていた。というよりも、雫の行動がこれ見よがしなのだ。
「……兄上は何て?」
「……『澪に飽いたら私のところへおいで』と」
「あの人は……」
ため息をつきたくなる気持ちを堪え、澪は糸季の手を自分の手で包む。そして、間近の糸季の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「――糸季」
「はい」
銀色から青の混じった瞳の色に戻った澪に見つめられ、糸季は顔を真っ赤にした。目を逸らしたくても逸らせず、ごくんと喉を鳴らして澪の言葉を待つ。
すると澪はわずかに迷いを見せた後、改めて糸季を見つめた。一言ずつ確かめるように、言葉を紡ぐ。
「支度が終わったら、内裏へ戻る。そうしたら……正式に、俺の正室になって欲しい」
「――っ」
「きちんと告げたことがなかったな。……幼い頃に出会ってから、ずっと糸季のことが忘れられなかった。糸季にもう一度会って、共に過ごして、気持ちが別の……はっきりしたものに変わったことを知った」
「……澪、でんか」
「最後まで聞いてくれ。まだ、泣かないで」
澪の懇願に、糸季は涙声で「はい」と言う。何故か涙が目の縁にたまってしまい、どうすることも出来ない。その涙を澪に拭われ、少し視界が鮮明になる。
糸季の潤んだ瞳の中、澪が意を決して想いを告げる。
「俺は、糸季のことが何よりも大切だ。好きだ、誰よりも。……今後何があるかはわからないが、共に乗り越えていきたい」
「みぉ、でん……っ、か」
「この手を、取っては貰えないだろうか?」
糸季の手を離し、澪は自分の手を改めて糸季に差し出す。
糸季はこみあげてくるものを全てぶつけるようにあふれる涙をそのままに、おずおずと澪の手を取った。するとその手は引っ張られ、糸季の体は澪の腕の中に収まる。
「み……」
「ありがとう、糸季」
「わたしも……わたしも、澪殿下の傍にいたいです。一番大切な貴方を支えられる存在になりたい。……大好き、です」
「……ありがとう」
精一杯の言葉を尽くして想いを伝え合った糸季と澪は、互いに涙でぐしゃぐしゃの顔を見て吹き出した。ひとしきり笑った後、澪の指が糸季の頬に触れる。
その時、御簾を柔らかく揺らすそよ風が吹いた。
――了
雨呼びの偽皇子 長月そら葉 @so25r-a
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