第19話 干し桃

「糸季」

「澪殿下、お元気そうで何よりです」

「ああ、糸季も。三砂も、息災そうだな」

「お蔭様で」


 にこにこと見守る三砂の前で、糸季と澪は互いの近況報告をする。前回会ってからそれほど日が過ぎたわけではないが、お互いに報告すべきことは起こっていた。


「数日前から、左大臣の息子の世話を頼まれることがあるんだ。まだ幼いが、闊達だから大人になるのが楽しみだな」

「左大臣様のお子様ですか! きっと賢い子になるでしょうね。わたしはようやく三砂様に、手習いを褒めて頂けるようになりました。まだまだ修行が必要ですが、頑張ります」

「いつか、俺に文を書いてくれ。俺も綺麗な文を書けるよう練習するから」

「えと……はいっ」


 まだまだ先になるからと断ろうと思った糸季だが、澪の嬉しそうな顔を見て頷いていた。こんなに喜んでくれるなら、と気合が入る。


「きっと驚かせてみせますから」

「言ったな? 楽しみにしていよう」

「……っ」


 柔らかく微笑む澪に、糸季は胸の奥がきゅうっと苦しくなる。ぽろりと何かを口走ってしまいそうで、糸季は視線を逸らして話題を変えた。


「そ、そういえば、ここに来る途中で右大臣様にお会いしました」

「右大臣に? 一体何処で」

「従者らしき方を連れ、東の市で。わたしは、三砂様に勧められてこれを買い求めたんです」


 そう言って、糸季は手元に置いていた包みをほどく。紙の中から現れたのは、干した桃。食べやすい大きさに切られたそれは、ふわりと甘い香りを漂わせる。


「市の中で甘いものを探していて、三砂様にお勧め頂いたんです。澪殿下、宜しければ一つ召し上がりませんか?」

「美味そうだけど、どうして甘いものなんて……。ん、うまい」


 干し桃を手にして、一かじり。おいしそうに顔をほころばせる澪を見て、糸季はほっと自分も桃に手を伸ばす。甘酸っぱい桃の果肉が口の中でほどけ、じんわりと甘い香りが口の中に広がった。


「甘酸っぱくておいしいです。買って正解でしたね、三砂様」

「ありがとうございます、姫様」


 糸季が桃の入った包みを差し出すと、三砂は嬉しそうに一つ手にした。そしてちらりと澪を見て、口元を緩める。


「……姫様は、殿下を案じておられたのです。未だ陥れようとした犯人はわからず、ご自身の部屋に帰ることが出来ない貴方に、少しでも元気になって欲しかったから。……ですよね、姫様?」

「あ……はい」

「そういうことなのです、殿下」


 干し桃を口に入れ、三砂はいたずらの成功した少女のように笑った。それからすすっと後ろに下がると、御簾の向こうへと行ってしまう。

 糸季が「え、三砂様!?」と声を上げると、御簾の向こうから笑みを含んだ声が返って来た。


「左大臣様に改めてご挨拶してまいります。お二人はここにいて下さいませ」

「み、みさ……行ってしまいました」

「……そのようだな」


 変に気を使われた気がする。澪は軽く頭を掻き、それから俯き膝で両手を握り締めている糸季の方を向いた。

 糸季は澪に話しかけられ、ぴくっと肩を震わせる。


「糸季?」

「……み、三砂様のおっしゃった通りです。少しでも、殿下の気がまぎれたらと思って買い求めました。甘いものもお好きだと、三砂様が教えて下さったので……喜んで頂けたようなので、ほっとしました」

「――っ」

「殿下?」


 澪の顔が赤い。手の甲で口元を隠す彼の顔をじっと見つめた糸季は、不意に澪の手が自分の頬に触れたことに驚き、ごくんと唾を吞み込む。


「で、でん……か?」

「……」


 澪は何も言わないが、真剣な面持ちで糸季を凝視している。その眼差しにさらされ、糸季は胸の奥がドクドクと早鐘を打っていることを自覚した。顔も体も熱く、のぼせそうになる。

 更に澪の指先が耳たぶに触れ、糸季は「ひゃっ」と小さな悲鳴を上げた。


「――す、すまないっ」


 ガタンッ。大きな音がして澪との距離が急に開き、糸季は目を丸くする。先程まで澪が触れていた頬や耳元は熱を持ち、指が離れたことに寂しさを覚えていた。


(わ、わたし何を……!?)


 思いがけない感情がせり上がっていたことに気付き、糸季は恥ずかしさで顔を赤くした。そしてそれを見た澪もまた、真っ赤な顔で再び「すまない」と謝った。


「怖がらせてしまった、申し訳ない」

「だ、大丈夫、です。澪殿下が、桃を食べて少しでも気を休めて頂けたら、それで……」

「――こほん。こういう甘いものは好きだから、嬉しいよ。ありがとう、糸季」


 咳払いをして、澪はもう一つ桃の欠片を口に入れた。そして、糸季にも一つ食べたら良いと勧める。素直に応じた糸季は、澪と共に干し桃を楽しんだ。

 二人してちょっとした雑談をしつつ、桃を完食した。

 また別のおいしいものを見繕って来ると約束する糸季に、澪は気になっていたことを尋ねる。


「そういえば、東の市で右大臣と……」

「待って下さい、どなたかが」

「よく気付いたな、糸季姫」


 御簾の向こう側で、左大臣和史が笑った気配がある。糸季と澪は顔を見合わせて微笑んで、和史の言葉に耳を傾けた。


「実は、殿下にお見せしたい書物の一部がございまして」

「見せてくれ、左大臣。……良いか、糸季」

「はい」


 糸季が頷くと、澪は和史を部屋に招き入れる。二人の前に胡坐をかいた和史は、手にしていた書物を開き指し示す。


「こちらを、殿下にご確認頂きたいのです」

「それは……」


 澪は目の前に開かれた書物を眺め、和史の言わんとしていることを理解した。



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