第20話 神話の絵巻
「……これは、雨神の神話? その絵巻か」
「その通りでございます。我が家の蔵を整理してくれていた家人が見付けまして、何かの手がかりにでもなればとこちらへお持ちしました」
左大臣和史が広げたのは美しい絵巻物だった。この天叶国の建国神話、雨神様の物語を絵と文で表したものである。
じっと絵巻物を見ていた澪は、ふっと息を吐くと和史の顔を見て目を細めた。
「なるほど、ありがとう左大臣。……それはそうと左大臣、いつもの話し方で構わない。ここにいる二人は、それくらいのこと気にしないだろう」
「いつもの、ですか?」
糸季が首を傾げると、和史は肩を竦めて小さく笑った。そして「仕方ないですね」と呟き、言葉遣いを変える。心なしか、表情も穏やかだ。
「わかった。見ての通り、これは建国神話に関するものだ。雫殿下の手首に現れた痣は蛇によく似ていたから、もしかしたらこれに関わることかと思ったんだが」
「可能性は高いと思う。兄上の蛇のような痣を見て、同じような痣を持つ俺を疑った貴族も多いだろうし」
「ああ。とはいえ、だからどうしたと言われればそれまでの話になるんだが……」
眉間にしわを寄せた和史に頷き、澪は絵巻物へと視線を移す。いつ誰が描いたのかは不明だが、細やかな筆遣いと色彩で見る者を楽しませる巻物だ。
「……これを見ていると、雨神の腕にも俺と同じような痣があったことがわかる。目にしたわけではないから、推測でしかないけれど」
「確かに、雨神様の腕に模様がありますね。……ここでは、痣が浮き上がっているように見えます」
糸季が指摘したのは、村での雨乞いの場面だ。儀式を行っている雨神の腕から、痣が浮き出して離れているように見える。
澪は身を乗り出し、絵の横に書かれた文字を指で追いながら口に出していく。
「……『ゆらゆらと雨神の身から離れた蛇は、その
思わず自分の右腕を見つめた澪だが、すぐに苦笑いに転じた。
「って、俺は偽物なんだった」
「澪殿下……。で、でも、わたし知りませんでした。建国神話の雨神様の腕に、蛇の痣があったなんて。しかもそれが、龍になって雨を呼んだなんて……」
「一般的に知られている神話は、大事なところだけ抜き出して語られることが多いからな。雨神様が雨を降らせた、という文言は間違ってはいない」
同時に正しくもない。和史はそう口にして、ちらりと澪の腕を見た。そこにある白い蛇の模様を思ったのか、絵巻物に描かれた浮き上がる蛇を指でなぞる。
「この絵巻物は、我が先祖が伝えて来たものだ。どうやら我が家は、都が造られた当時から帝にお仕えしている一族らしい。そのためか、古いものが幾つも残っている」
「では、こちらも古いものなのですね? 装飾など美しく、そうは見えませんけれど……」
興味津々といった体の三砂に頷いて見せ、和史はふむと腕を組む。
「この先には、澪殿下が幼い頃に
「……何か手掛かりがあればとは思ったが、そう簡単ではないか」
「でも、建国神話の知らなかった箇所を知ることは出来ました。そういえば、左大臣様」
「どうした?」
糸季は和史に、雫は今どうしているのかと尋ねた。同じ内裏の中にいるはずだが、相手は皇太子でもある一の皇子。簡単に会える相手ではない。
すると、和史は「息災にしておられる」と応じた。
「痣のために何か起こると言ったこともあるが、今のところは何事もなくお元気だ。基本的には厚平が世話をしているようだが、条件付きで公務も少しずつされているようだ」
「そうか。……兄上はなんだかんだ真面目で、この国のために自分が出来ることならば何でもされるから。少しくらい休んでも、バチは当たらないと思うんだけどな」
「……そう、雫殿下にはお伝えしておこう」
「俺が言ったって言わなくていいからな」
実兄を案ずる弟の言葉に、和史が和やかに返す。すると、我に返った澪はわずかに顔を赤らめた。
そんな二人の掛け合いをにこやかに眺めていた糸季は、ふと絵巻に目を移した。少しずつ進めていたその中で、和史の言う通りに雨乞いの儀の場面が描かれている。
(地面に文様のようなものを描いて、その真ん中に雨神様が立っている。彼を中心にとぐろを巻くようにして、蛇から転じた龍が浮いていて……とても不思議な光景)
これと同様のことを、幼い澪はしたのだろう。そして雨は降らず、周りの大人たちを失望させてしまった。
(でも、それは澪殿下のせいじゃない。天を操るなんてこと、人に出来るなんて思えないけれど……)
一人考えごとをしていた糸季は、澪の声でふと現実に戻った。
「左大臣、これを少しの間俺に貸してくれないか?」
「これを? それは構わない。必要なくなったら、誰か女房にでも預けてくれれば良い」
「わかった、ありがとう」
頷く澪を見て、糸季はこてんと首を傾げる。
「何か、気になることがあるのですか?」
「気になるというか……。少し、じっくり読んでみたくなったんだ。特に」
「特に?」
「……いや、何でもない」
首を横に振り、澪は絵巻物を撫でる。
何となくそれ以上触れない方が良い気がして、糸季は別の話題に転じた三人に意識を向け、違和感を押しやった。
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